見出し画像

村上春樹が結婚を決めた理由「この人となら退屈しないから」


「100%の女の子」よりも「この人となら退屈しないから」



結婚の一番の決め手は何だろうか?

つまり、どんな基準で相手を選べば後悔しない結婚ができるだろうか?


やはり世間で最も重視されるのは「愛」または「経済力」。
男女の関係が話題になると、この二つは往々にしてライバル関係とみなされる宿命にあるみたいでして。
「愛があればお金がなくても幸せ」とか「お金で愛は買える」とか、相反する主張がぶつかり合うことになる。


このいわば「お金VS愛」という2大巨頭による東西横綱対決に決着が着いたという話はいまだに聞かないけど、要はこの問題は「そもそも比べるものを間違っている」わけで、でもまあそんな話は今はいい。



古からの伝統の一戦とは別に、ブライダル企業などの現実的な調査によるところでは、「優しさ」「誠実さ」「居心地の良さ」「価値観の一致」などなどが続くらしい、というのはもはや常識だったりします?


お金、愛情、性格、将来性、人生観、あと忘れてはいけないのが「顔(=外見)」……うん、まあ、どれも大事だよね。
ただ結局のところ現実には、どれもこれものバランスが取れている理想的な人間などいないもので。だれだってどこかしらとんがっているか、そうでなければすべてが中途半端でいささか面白みに欠けた人間しかいないわけでして。


完璧な人間はいない、そして完璧な結婚はない。


当たり前と言えば当たり前なんだけど、ただあくまで私の個人的な所感といたしましては、現代日本の婚活事情にはどこかしら「悲観的妥協」のような雰囲気が付き纏っているような気がする。
完璧なんてないんだから、ほどほどのところで、身の丈にあったところで手を打ちなさい、と。


妥協が悪いのではない。私ごときが言うまでもなく、人生というのはどこかで「折り合い」をつけて、何かを捨てて、何かを譲らなければならないものだ。
ただ、妥協にも2種類あって、それは楽観的なものと悲観的なもの、ではなかろうかという提言。


現代日本社会は失われた何十年と言われ続けるような経済状況で、「年収や財力で選ぶのはやめた方がいいですよ(選択肢が狭まるから)」と言う理由で、仕方なしに「優しさ」や「価値観」といった非定量的な属性で手を打とうとしているのではないのだろうか。


〇〇がない、だから(仕方なしに)他の要素を検討します。
これが悲観的妥協。


一方で、楽観的妥協というのは、「他は何もないけど、これだけあれば十分じゃん?」という開き直り方。
経済力も社会的地位もなくて、外見や性格には好みと一致しないところがあるけれど、「それでも、ここだけは良いんだよね」というポイントを探すこと(そんな歌もありましたね)。


結婚や恋愛に限らず(というか私にはそれ以外しかない)、どうせ妥協するならさ、せっかくなら楽しい妥協をすれば? と、私はけっこう本気で思って生きているけど、今のところ仲間はいないみたい。



さて、読者のみなのものの中にも「この人と結婚していいのかな?」と迷っているみなのものがいるかもしれない。
あるいは、どんな基準でパートナーを選ぶべきか、いまいち自信のないみなのものもいるだろうか?


そんな迷えるみなのものたちに、そもそも迷うことすらできないでいる天涯独り身の私から、現代日本文学のトップランナーであり世界的な小説家でもある村上春樹のちょっと変わった結婚観をご紹介しようと思う。
村上春樹の結婚の決め手こそ「割に楽しい妥協」の代表ではないかと思う。


25年間生きてきて、やっと心から好きだと思える人ができました。その人と出来ればずっと一緒にいたいなぁと思っています。そこで作品の中でいろんな男女の愛の形を描いている村上さんに質問です。
結婚の決め手はなんだと思いますか?

『村上さんのところ』#345


村上春樹はたま〜に読者からの質問を受け付ける企画を開催していて(10年に一度くらい?)、引用したのは結婚の決め手を尋ねた質問。
これに対する村上氏の答えがこちら。


僕の考える結婚の基準ですか?とても単純です。「この人と一緒にいたら絶対に退屈しないだろうな」と思えることです。どんなに素敵な人でも、どれほどいろんな条件が揃った人でも、「退屈だな」と感じたら、まずやっていけません。退屈なのってきついですよ。これはもちろん僕の個人的な見解に過ぎませんし、異論もあるかとは思いますが。

同書


ふうむ。「退屈しないこと」。なるほど。


一緒にいて楽しいでも、居心地がいいでも、自分らしくいれる、でもない。


退屈”しない”という、いわば「ネガティブな基準」だ。


村上春樹は、結婚して、就職して、卒業した。


学校を卒業→就職→結婚、という流れが一般的な中で、村上春樹は真逆の順序でライフイベントをこなしている。
それどころか、彼は一般企業に就職せずに自らのジャズ喫茶を構えたのだけど(ピーター・キャットというお洒落な名前のお店)、それも「結婚しちゃったから、仕事をしなきゃいけなかったから」的な話らしい。


(ちなみに村上氏にはお子さんはいないそうので、いわゆる「デキ婚」とは違う。念の為。)


陽子夫人は春樹氏と同じ早稲田大学の同級生で、文学史の講義でたまたま隣の席に座ったきっかけで知り合ったとか。
ただ、長い間「気の合う友だち」みたいな関係が続いたらしく、そこから結婚するまでの過程については村上氏は語っていない(私の知る限りでは)。


では、村上春樹氏をして「この人となら絶対に退屈しない」と言わしめた陽子夫人とは、どんな人物なのだろうか?



残念ながら(私は特にそうは思わないけどまあ)、陽子夫人は表に顔を出すことはほとんどない。Googleで検索すれば画像は出てくるらしいけど、彼女自身の書いた文章は読んだ記憶がない(たまに春樹氏のエッセイに「妻がこう言ってます」というのはあった気がする)。


ただ、村上春樹のエッセイには陽子夫人の人となりがそれとなく知れる文章がある。
そこで明らかにされていることは、彼女は読書家で(夫とは本の好みはだいぶ違うらしいけど)、河合隼雄氏の著作を読み(夫人の後押しもあって、プリンストンで村上氏と河合氏は出会った)、いつも村上氏の最新作の最初の読者である(編集者より先に読む。春樹氏にとっての「定点観測のための定点」なんだって)、ということ。



それから、カメラが得意で春樹氏のエッセイに写真を提供したり(「うずまき猫の見つけ方」など)、映画を見ると必ず何かしらの教訓を引き出さずにはいられず、陶磁器に詳しくて骨董品屋巡りが趣味で(海外旅行では別行動=春樹氏はレコード屋巡り)、数十年に渡って毎日欠かすことなく日記をつけ続け(死ぬ時は燃やすつもりらしい)、もしも夫よりも好きな人ができたら迷いも躊躇いもなくその人のもとにすっ飛んで行くであろうはっきりした性格(そういうことにはならなかったそうです)の人物だとのこと、へえ。


これだけでも、陽子夫人が独特で豊かな感性の持ち主だとわかる気がする。
確かに、こういう人といたら「絶対に退屈しない」だろうなあ(笑)。


実は陽子夫人の方でも、春樹氏と結婚することに決めた理由があるらしい(ただ出典を忘れてしまったのでご容赦願いたい)。
それは「春樹氏はだれよりも面白い手紙を書いたから」だそうです。なんと姉妹で3人で読み回して「この人の手紙が一番良い」と評議されたらしい。どんな手紙だったんだろう?


村上春樹といえば今では世界各地で翻訳される小説家だけども、じゃあ陽子夫人が「この人は偉大な作家になる!」と将来性を見込んで結婚したかというと、たぶんというかほぼ間違いなく違うようだ。


というのも、春樹氏は前述の通り学生をしながらジャズ喫茶の経営を始め、朝から晩まで「肉体労働(本人の証言)」に明け暮れていて、また、まさか自分に小説が書けるとは思わなかった、という趣旨のことも言っており、実際に初めて書いた小説が28歳という業界では考えられないほどの遅さだった(だいたいの作家は学生じだいから”習作”なるものを書いている)。
なので、少なくとも陽子夫人と結婚する時点では”世界的な小説家の片鱗”なるものはおそらく欠片もなかったのです(陽子夫人に未来予知能力があれば別ですが)。


ちなみに、村上夫妻は結婚して間もない頃はお金がなかったため、陽子夫人の実家に居候していた。
エッセイ集『村上朝日堂』中の「文京区千石と猫のピーター」で、布団屋を営む義父に頼み込んでピーターという猫を一緒に住まわせてもらった、という結婚初期のエピソードが語られている。


「退屈しないから」
「手紙がだれよりも面白かったから」



そんな理由で学生のうちに結婚して、仕事もなければお金もなくて、妻の実家に居候して、やがて日本文学を終わらせる作家になる(村上春樹のせいで日本文学は廃れた、と評した批評家がいたそうな。ちなみに本人は、僕ごときで終わるような文学なんて、さっさと終わってしまえばいいんじゃないですか、みたいな反論をしている)。
うーん、とても真似できない人生だ……。


村上春樹の結婚観


ここからは村上春樹の結婚観を示す読者とのやり取りをいくつか紹介する。


①100%の女の子に出会わなくてもいいや


Q.  私は、『カンガルー日和』の中の「4月のある晴れた日に100パーセントの女の子に出会うことについて」という短編が好きです。村上さんは、今までの人生の中で、100パーセントの女の子に出会ったことがあると思いますか?

A.いいえ、ないと思います。でも「なにも100パーセントじゃなくたっていいじゃないか」と思わせる女性に会ったことはあります。そういうのもまた素敵なものですよ。

『村上さんのところ』#208  

「4月のある晴れた日に〜」は村上春樹の有名な短編小説で、街中で前から100%の女の子がやってくるのだけども、すっとすれ違って出会わずに終わってしまう、というお話。


100%の人に出会えないから仕方なしに90%で手を打とうか、ではなくて、100%じゃなくても90%だって思っているより良いものだよ、むしろ90%にしかない面白さだってあるんじゃない?という村上春樹らしい答えです。


②あまり稼がない夫との楽しい生活

Q.わたしの夫は収入が少なく、家計はほぼわたしのお給料でまかなっています。2人暮らしなので、なんとかやっております。
夫は絵を描く仕事をしていて、仕事がないときには、好きな音楽を聞いたり、サイクリングをしたりして楽しく暮らしています。
お金はあまり稼がない夫ですが、一緒にいて楽しいし、ビンのふたも開けてくれるし、庭の手入れも熱心にしてくれるし、話も合うのでわたしは満足しています。でも、私がダイヤの指輪を「買ってもらえない」ことを。かわいそうと思う人もいて。
人の価値観って、ほんとうにさまざまだと思っています。
でも、これからは、豊かさの基準は変わっていくのではないかな、と思います。
ちょっと村上さんに聞いて欲しくて書いてみました。

A.僕の知り合いにも。あなたのご主人のような人ってけっこういますよ。自由業で、あまり売れなくて、でも性格はよくて、家事も嫌がらずにこなし、楽しく日々を送っていて、お金がなくてもとくに気にしない。終始マイペースでのんびり生きている。あなたがそういう生活でも悪くないと思っておられるのなら、それで良いじゃないですか。何の問題もありません、がんばって働いて家計をまかなってください。
ところでそういえば、僕も妻にダイヤの指輪を買ったことありません。いいじゃないですか、ダイヤの指輪くらいなくても。

同書#472


うん、世の中にはいろんな価値観の人がいる。
お金も大事だけど、気分よく生きるのはもっと大事じゃないかな、と思ってみる。


③無収入な夫の「本当の男らしさ」


同じ本からの引用ばかりなので、違う出典を探す。
2006年に出版された『ひとつ、村上さんでやってみるか』より。
今回のは長いけど、全文載せます。


Q.私は地方に住む25歳、女、会社員です。
私事ではありますが、実はこのたび結婚が決まりまして、そこで村上さんに聞いてみたいことがあります。
私の彼は同い年なのですが大学院に行っており、収入がほとんどない状態です。バイトくらいはするつもりかもしれませんが、忙しい学部ということもあり、なかなかあてには出来ません。実質的に私が彼を養っていく立場になります。私としてはそれは承知の上で結婚するので(私もそこそこに収入がありますので)構わないのですが、彼の方が何かにつけて「どうせヒモですから」「ごくつぶしで悪かったねえ」などとチクチクと嫌味を言ってくるのに若干辟易しています。おそらく彼にもプライドがあり、養ってもらうということに抵抗があるのかもしれません。
けれど、私は家事を全くしないので、学校に行きながら家のことを全てやってくれる彼に感謝すらしているのです。別に卑屈になる必要もないのに、どうして彼はそんなに自分を卑下するのか、どうしたらそれが解消されるのか、気持ちよくいてくれるのか、私はなんて言ってあげたらいいのか、見当もつきません(「いいじゃない、あなたは家事をしてくれてるんだから」と言っても、「ええ、それくらいのことはさせていただかないとねえ」とまた嫌味で返されるので……)。
人生いろいろの村上さん、是非、「私が彼にかけてあげるべき一言」を教えてください!

『ひとつ、村上さんでやってみるか』質問31


長いので質問部分で一区切りします(笑)。
なんかとんでもない男性の匂いしかしませんが、村上春樹の返信はどんなものでしょう。


A.これは僕の個人的意見ですが、「どうせヒモですから」「ごくつぶしで悪かったねえ」などとチクチクと嫌味を言ってくるというのは、男としてあまり褒められたことではないと思います。結婚前からそれなら、結婚後が思いやられます。「今は迷惑かけるけど、しっかり勉強していつかは借りを返すからね」というのが本当の男らしさです。そうすればあなただって「よし、がんばろう」とか思いますよね。そのへんの機微がよくわかっていないようです。問題があります。
いや、べつに「別れた方がいい」とか言っているんじゃないですよ。誤解しないでくださいね。「村上が、あなたとは別れろって言ってたわよ」とか、彼に言いつけたりしないでくださいね。あなたがの彼が清原選手のような体型で「ほう、村上がそんなことを言ったのか。ひとつ痛い目にあわせてやろう」というようなことになったら、とても困ります。
あなたがまずやるべきことは、あなたが思っていることをはっきり彼に言って、腹を割ってとことん話し合われることだと思います。「気の利いたひとこと」というような便利なものは、このようなケースには存在しません。
幸福になられることを祈っています。


この質問者の方がその後どうなったのかはわかりません。


④結婚式にはリスも呼ぼう


最後は楽しい質疑応答で。

Q.私は多感な高校生の時に『ノルウェイの森』を読んでしまったため、ちょっと婚期を逃したのですが、32歳になって素敵な人と結婚することができました。今までは相手に精神的な繋がりを求めすぎてしまっていたのです。求めるばかりで、私にはユーモアが足りませんでした。村上さんの小説の暗い面ばかり感じていたのですね。
村上さんの小説で一番しびれるセリフを言うのは「ファミリー・アフェア」の僕、です。大人になって良さがわかりました。「結婚式はやはり秋がいいな」「まだリスも熊も呼べるし」なんて最高ですよね。私も結婚生活の端々にこのようなユーモアをちりばめて夫婦円満につとめたいです。彼もわかってくれると思います、たぶん。
A.僕は日常生活でもその手のことを日常的に口にしています。ほんとに。おかげで家庭内であきれられたり、喜ばれたりしています。ユーモアってやっぱり大事ですよね。
僕は結婚式って好きじゃないんですが、熊とかリスとかが結婚式に来るのなら、結婚式をしてもいいかな、とか思いますね。どんなプレゼントをくれるんだろうか、と気になりますよね。どんぐりなんかだと、つまらないなと思いますが、「このあいだシャケとったら、腹の中からルビーの指輪が出てきてなあ。それを持ってきたぜ」とか言うと嬉しいですが。しかしながらくだらないことを書いてますね。

『ひとつ、村上さんでやってみるか』質問60


夫がダイヤの指輪なんか買ってくれなくても、結婚式に呼んだ熊がルビーの指輪を持ってきてくれるなら、その方がよっぽど楽しいだろうなあ(笑)。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?