どうして2回も東大に落ちちゃったんですか?(前編)
2度の東大不合格には理由がある
本日のお題は、「私はいったいどんな勉強をしたら、2回も東大を不合格になったんですか?」でございます。
①東京大学をはじめとするいわゆる難関大学を目指す受験生や、そのお子様を温かく見守る保護者の方々には、何かしらの参考にはならないかと存じます、残念ながら。
②私と同じように大学受験で苦渋を味わい舌の肥えた方々()にはなんら参考となる部分はありませんが、「こんな勉強やってたら、そりゃ2回も東大に落ちるわ、おふぇふぇ」と笑い飛ばしてくださいまし。
③それから大学受験とは無縁な方々にとっても、この記事には人生の糧となるようなものはおそらくほとんどございません。なので「へえ、東大受験って、こんな世界なのね」くらいに思っていただければ幸いです。
※ちょっとだけ感謝祭=初期の購入者&フォロワーさまのために
たいへんありがたいことに、私の東大不合格に関する記事は多くの方々に購入して頂いており、しかもそのうちのほとんどの方がフォローしてくださるという、いや、本当に嬉しい限りでございまして、この場を借りて(自分のnoteって借りるものなのか?)感謝を申し上げます、誠にあざざます。
私のnoteはフォロワー50人にも満たない弱小で、しかもSNSでの普及活動を一切行っておりません。
つまり、今のフォロワーさまのみなのものは、ロックバンドに例えるならば「インディーズ時代からの最古参のファン」なのでございます。
最古参のファンの特権は何といっても「あのバンドが売れる前から応援していた」と言えることであり、これに勝る「ご褒美」はないかと思います。
ただ、私としましては、何かしら目に見える形で「古のフォロワーたち」に感謝の気持ちを示したいのです。
本当は「早期フォロワー特典」みたいなものがあればいいのですが、noteの料金体系は勝手にいじれないし、メンバーシップに入っていただくには記事が少なすぎる(頑張って週2)。
そこで、苦肉の策ではございますが、「記事の公開から1週間は無料」ということといたします。
簡単にいってしまえば、「フォローしておいて、新着の知らせが来てすぐに読めば、実質無料で閲覧できる」ということです。
今後もSNSでの活動は特に予定しておりません、というのは、このnoteはあくまで「隠れ家的」なブログをコンセプトにしておりますので、大々的なプロモーション活動は趣旨に反することになるからです。
(本当はSNSが得意でないからやらないだけです)
もちろん自然に読者が増えていくことは嬉しいことですが、まあそんなに肩肘張るつもりもない、ということで、しばらくはこっそりこじんまり営業するつもりでございます。
当てはまったら危ないぞ!失敗する勉強法
いつかの記事にも書いたけど、世の中には「東大合格体験記」なるものはたくさんあるのに、不合格体験記はほとんどない、ほな、私が書いたろか、と思って書いてみた。
それと同じように、「東大生の勉強法」はたくさんあるのに、東大不合格者の勉強法については、ほとんど世に知られていないのではないだろうかと思い、ほな(以下省略)。
ノムさんって知っていますか? 野球の監督をやってた人です。野村克也氏。もう死んじゃったけど(寂しい)。
そのノムさんの名言のひとつに「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というものがありまして。
これは大学受験にも当てはまります。
つまり、「合格に不思議の合格あり、不合格には不思議も何もあるわけないわちゃんと原因があるに決まってるやろ胸に手を当てて己の過去をよく振り返ってみろ夏ナス」なのです(どういうことだ)。
成功者の体験には、ある種の偶然が多分に含まれています。
「当日に得意な分野が出てくれた」
「苦手教科が簡単だったから助かった」
「マーク式で当てずっぽうで選んだのがほとんど当たってた」
これは、思っているよりは、受験生あるあるです。
E判定ばかりだったのに、なんかよくわかんないけど、本番ではできちゃって合格!って知り合いはけっこう多かった。
一方で、不合格にはこれがない、というか、どうがんばっても論破されます。
「当日に苦手分野が出てしまった」→「苦手がわかってるのに勉強しなかったの?」
「得意教科が簡単すぎて、他の受験生に差をつけられなかった」→「受験は総合得点で決まるって募集要項に書いてあるよね?」
「マークがずれていて全て誤答になってしまった。本当はわかっていたのに!」→「マークずれしないための方法、考えてなかったの?」
「こうすれば、うまくいく」には、多くの場合普遍性がありません。
成功者の方法にはたしかに参考になる部分もありますが、紹介されている方法がその人に合わないこともあります。
しかし、「こうしたら、失敗した」は、だいたいの人に当てはまります。
つまり、やらない方がいいこと、やらなくていいことに関しては、知っておくことで余計な時間を使わなくて済むのです。
それでは、東大不合格のプロである(なにそれ?)私はいったいどんな勉強をしてしまったのか、くれぐれも読者のみなのものは真似しないように願います。
①受験生は1日10時間勉強
学校や予備校の先生には殴られそうなことをいいます、10時間も勉強するのは無意味です、ほんとに。
どうしてか?
毎日10時間勉強していることを誇りにする受験生というのは、毎日2時間残業していることを自慢する社会人みたいなものだから。
大人ですら「1日8時間・週40時間労働」がベースなのに(そうじゃない黒いお仕事もあるけど)、10代の受験生(3浪以上の人、すまない)が10時間も勉強に集中できると思うこと自体が間違っていると思いませんか?
私が受験生だった頃は、東大はセンター試験(勘の良い読者は、大好きだよ…)で5教科7科目、2次試験で4教科5科目が必要でした。
東大受験の最も難しい要因は、この圧倒的な科目数の多さにあるのでございます。
しかし言い換えれば、最多科目数を誇る東大でさえ、せいぜい7科目しかないのです。
1科目1時間としても、1日7時間で終わります。というか、7時間で終わらないような勉強をしているのなら、学習方法や計画を見直すべきでしょう。
理想としては、1日6時間で勉強を終わらせるべきかと。
もう一度言いますけども、大人の労働ですら8時間が前提なのです(前提は前提でしかないのが悲しいかな)。
私の体感なので科学的根拠は知りませんが、6時間が人間の集中力を保てる限界ではないかと思ってみたり。
それから、10時間勉強の最も悪いところは、それ自体が目的になってしまうことです。
どういうことかと言いますと、集中すればもっと短い時間で終わる内容なのに、10時間を達成するためだけに「時間稼ぎ」をしてしまうからです。
私は受験生時代から「10時間勉強って、おかしくないか?」と違和感を抱いていました。
ですが、塾の講師や学校の先生からは「去年合格した〇〇さんは食事の時間すら単語帳を見ていた」みたいな謎の圧力をかけられ、それから周囲の友人が「昨日は12時間も勉強した!」と誇らしげに言っているのを聞くと、ついつい長時間勉強に流されてしまった、意気地なしっ!
何度でも言うけれど、10時間も勉強する必要はないし、そもそも無理だし、そんなことをしないと課題が終わらないなら「何かが間違っている」と疑ってみるべき。
誤解のないように言いますと、「勉強時間を減らそう!=量を減らして楽する」ではありません。
むしろ逆で、8時間の勉強で10時間分の勉強をできるようにしなければならないので、かえってきついです。
社会人の用語辞典には(そんなものはない)、「生産性」という言葉があります(ないものにあるってどういうこと?)。
同じ時間内にどれだけたくさんの仕事をこなせるか、という意味です。
生産性を上げるというのは、受験生ならば数学で積分の計算問題を10問クリアするのに、本来1時間かけていたものを50分で解き終えられるようにすること。
他の受験生が1問当たり6分かけているところを、1問5分でこなせるようにすることが、本当にやるべきことでしょう。
計算スピードが上がる、あるいは処理速度が高まるというのは、まさしくこういうことですよね?
1時間かけて10問こなす受験生も、50分で終わらせてしまう受験生も、量は同じ、むしろ後者の方が優秀なはず。
日本の大学受験のおかしなところは、1時間かかる受験生がなぜか賞賛されて、50分で終わってしまう受験生には「もう終わったのか?じゃあ、もっとやれ!」とさらに課題を課そうとすることです。
100歩譲って余分な問題を解くとしても、その時間は積分の問題ではなく他の分野や科目に充填するべきでしょう。
私の最大の失敗は、「10時間勉強しなくちゃ」と手段と目的を履き違えた結果、効率化して50分で終わらせることよりも、「やってる感」を優先して現状のまま60分かけて「時間稼ぎ」してしまったこと。
また、個人的には、効率化によって生じた空白の時間は、さらなる勉強ではなく趣味や友だちと過ごす時間など、好きなことに使うと良いと思います(これについては後述)。
実はね、大人だって、「今日は彼女とデートに行くから、絶対に定時までに仕事を終わらせる!」と目の前にニンジンがある方がとんでもない力を発揮します(笑)。
それでも、時間を減らすのは不安かもしれない。
あるいは保護者だって、「塾の先生は最低10時間と言っていたけど…」と心配するものだろうか。
そういう人は10時間やればいいでしょう。別に、やっちゃいけないなんて決まりもないので。
ただ、やらなきゃいけない決まりもない、ということをお伝えしたいまでです。
多くの場合「10時間勉強」は、教える側や保護者が安心するための口実として使われているのが実態です。
「あの子は朝から晩まで自習室にこもって勉強していたけど、残念ながら合格できなかった→私はちゃんと教えた/勉強させた。だから私の教え方/教育が悪いわけではありません」と。
もっと言えば受験生自身にとっての免罪符です。
「私は毎日10時間勉強したけど合格できませんでした→結果は出なかったけど自分はがんばった」
えーっと、がんばることが目的なの?
合格することじゃなくて?
今まで1時間かかっていたことを、どうやったら50分で、あるいは45分で出来るようになるのか、それを考えることが「頭を使う=効率化」であり、結果的には試験時間内に解ける問題数を増やすことに繋がるはず。
もう一度言いますけど(しつこいな)、10時間勉強は教える側と教わる側双方の怠慢によって支持されてきた風習で、日本の教育全体がここから抜け出ることはまずありえませんので、自分でやるしかないです。
②休憩を取らない
ここに木こりがいるとする。木を切る人ね。
彼が言うには「朝から晩まで休まずに切り続けているのに、ちっとも仕事が終わらない! お腹が減って、喉が渇いて倒れそうだ!」とのこと。
彼をよく見ると、げっそりとやつれて足はふらふら、汗だくでびしょ濡れのシャツを着たまま、その右手には刃先のボロボロになった斧が握られている。
たぶんあなたはこう言う。
「あのさあ、こまめに水分を取ろうよ。お昼ご飯は食べてないの?それからタオルで汗を拭いて、時々着替えようね。そして何よりも、その斧、研いだらどう?」
木こりは答える。
「いや、水分補給するなんて、時間がもったいない。昼は仕方なく木を切りながらパンを胃に押し込んだ。汗を拭く時間も着替えをする時間なんてない。だから、斧を研ぐ時間なんてますますあるわけがない!」
10時間勉強しようとすると、この木こりと同じことをすることになる。
というか、私も同じことをしてしまった。
1日は24時間しかない。睡眠時間を8時間(それより短いのが普通らしいけど、ちゃんと寝た方がいいですよ)、食事や入浴といった生命維持活動に不可欠な時間が2〜3時間くらい?(もっと味わって食べなよ……)。
これらは最低限削ることのできない「固定費」であり、使える時間の残りは13時間ほど。
10時間勉強すると、残る自由時間は3時間。その3時間にはトイレに行く時間や教室間の移動時間、その他どうしても勉強できない時間が含まれている(とりあえず1時間としよう)。
受験生の1日の自由時間は、多くてもだいたい2時間になる。
おい、現代日本は産業革命期のイギリスか?(まさしく10〜16時間労働だって) 少なくともブラック企業に認定だよ。奴隷かよ。
「1年間だけなのだから、仕方がない」「今がんばればあとで楽できる」と大人たちはいうだろう。
簡単に1年って言うけど、実際にやってみると長いよ? あと、それさあ、やりがい搾取って言うんだよ?(仮に東大に受かっても後で楽になることなんてない、断言できる)。
1年間は長い。
1年間というゲームは、瞬発的な無理を通すにはあまりにもロング・ゲームだ。
長期的な計画に基づいて無理のないペースで走り続けなければ、あっという間に息切れを起こしかねない。
マラソンと聞いて「42.195kmか。1回だけなら、気合いでいけるっしょ」と思う人はまさかいないですよね?普通はペース配分を考えるよね?よもや水分補給をしない人なんて絶対にいないはず。
私は「受験期だけ」と思って、好きだった運動(水泳・ランニング)もやめて、食事も最小限の時間で済ませ、歩いている時はイヤホンをして英語のリスニングをしていた。
すべての時間を勉強に使おうとした。
その結果?
大学生になってから知ったのは、「運動によって脳の機能が向上し、集中力が高まり、メンタルも安定する」という科学的根拠のある事実。
改めて英語の勉強を、特にリスニングをやる上で気がついたのは、集中して音を聴き取ろうとしないとあまり意味がないと言う事実。
あと、最近知ったのは、学習した内容が脳に定着するためには、眠る以外にも何にもしない時間、ぼんやりする時間、つまり空白時間が必要だという事実!(ホワイトスペースという概念)
それから、フランス人は昼食に2時間もかけてゆっくり味わうことで人生を豊かにする習慣があったという事実(笑)
ちゃんと休憩しましょう。
つまり、水分を摂って、栄養をつけて、汗かいたらタオルで拭いて(風邪ひくよ)、そして斧を研いでから木を切りましょう。
それから、自分の体力(集中できる時間)を念頭において、計画的に休憩をとりながら、1年間息切れせずに勉強し続けられるペースを守りましょう(最初はなかなか見つからないと思うけど)。
あとは、何もしない時間を作らないと、学習したことは脳に定着しないらしいので、胸を張って堂々とぼーっとしてくださいませ(※スマホを触るのはダメ、意味がなくなる)。
③部活や学校行事を諦める
部活や学校行事は、好きならばやり切ったほうがいい(むろん意に反してやる必要はないけれど)。
キッパリと「受験に集中する」と決められる人は、それで構わないと思う。
そうでなくて、「本当はやりたいけど、勉強があるから……」みたいな気持ちで中途半端にやらないと、大人になってから「勉強したければ浪人だってできる。でも、高校生活は1000億円払ってもやり直せない」と気がついても遅い。
それからね、ここだけの話、部活や文化祭をがんばったせいで落ちる人は、そもそもそれらがなくても受からないから(ほんとだぞっ!)。
受かる人は、高3の夏休みのすべてを部活に捧げても合格する。振り返ってみると、そういう人ほど違うところで要領よく帳尻合わせてたなあ。これもほんとの話。
大人になってからも同じ。
本当に仕事ができる人ほど、趣味や自分の勉強にもエネルギーを使っている。どこにそんなエネルギーがあるんですか、と聞きたくなるくらい。
そういう人を見て思うのは、エネルギーを節約しようとすると循環が悪くなり、かえって使えるエネルギーが減ってしまうらしい、ということ。
受験生にとっても、心のエネルギーは節約するよりも循環させる方法を考えるのがいいのでは?
(長くなったので後編に続く。)
#受験体験記
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