2リットルのペットボトル

幼少期の一番のストレスが2リットルのペットボトルだった。

コップに注ぐ際に、ドッポンドゥップンとコップからはみ出るアレが嫌で嫌で仕方なかった。

牛乳パックならならないので、ペットボトルの口の形状が丸いからだと考えていた。

小学生になり、友人宅にお邪魔した際に友人の母が大量のお菓子とお茶の2リットルとコップを二つ用意してくれた。友人に大型ペットボトルが嫌いな事と理由を告白した。

すると友人は「え?ゆっくりやれば大丈夫だぜ?ほら、こうやって空気が…」
目から鱗だった。
ターニングポイントだった。

もっと深く思考したり、色々試したり、聞いたりしないとダメなんだと。物事の見方は多面的に。

そして友人の優しい事ったら。俺なら「え!?こうやりゃイイだろ!馬鹿だなー!考えろよー!馬鹿馬ー鹿!」とかの侮辱を言っていたに違いない。

その友人がどうしているのかはわからないが、きっと幸せな人生を送っている。彼はそうに違いない。

ひょんな事で彼の実家に別の人が住んでる事を知り、彼との思い出が吹き出してきた。小学生の頃は長い時間を過ごしたが、中学に上がると廊下で「オッス!」くらい。クラスも同じにならなかったし、部活も別。学年で混ざる授業やイベントも離れていた。お互いに避けているわけではないと俺は思っているが、向こうはどうかわからないのが切ないところである。

クラスメイト、友人、友達の友達、知り合い、旧友。
いとちゃんは俺をどう思っているのだろうか。

友人と思ってるなら三億円くれねーかな。

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