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読書感想文『覚醒するシスターフッド』

 「シスターフッド」女性同士の連帯。#Me Too運動の高まりとともによく耳にするようになった。#Me Too運動のような大きな社会運動だけではない、身近なところにあるシスターフッドに気づかせてくれる物語が『覚醒するシスターフッド』だ。現代を代表する国内外作家10人が描いた短編を集めたものであり「覚醒するシスターフッド」特集の『文藝』(2020年秋号)を増補の上、単行本化したものでだ。

 収められているのは以下の10編。
サラ・カリー『リッキーたち』
柚木麻子『パティオ8』
ヘレン・オイェイェミ『ケンブリッジ大学地味子団』
藤野可織『先輩狩り』
文珍『星空と海を隔てて』
大前粟生『なあ、ブラザー』
こだま『桃子さんのいる夏』
キム・ソンジュン『未来は長く続く』
桐野夏生『断崖式』
マーガレット・アトウッド『老いぼれを燃やせ』

 『リッキーたち』は“レイプ・サバイバー”である女子大生4人のひりひりする怒りが伝わってくる物語だ。彼女たちはレイプという出来事への怒りの表現として名前を変え「リッキーたち」になる。時間は経ち「リッキーたち」は過去のものになる。それでもその出来事がなかったことにはならない。主人公のリッキは「むきだしの怒り」「わたしたちの中の、いちばん勇敢でいちばん醜い部分」をベッドの下の箱の中に閉じこめ、生きていく。

 『パティオ8』は読後の爽快感溢れる物語。舞台は七世帯の住居が中庭をロの字で取り巻いている平屋型マンション『パティオ6』。住人の女性たちの協力により緊急事態宣言中を乗り切ろうとしているところに101号室の男性からの邪魔が入る。女性たちはその101号室の男性の鼻を明かすためにある計画を実行する。その様がコミカルで面白い。最大の難関を乗り切るために、これまで彼女たちの協力体制に参加していなかったある女性が加わることでシスターフッドが覚醒するというからくりが面白い。

 『ケンブリッジ大学地味子団』はケンブリッジ大学の兄弟団(ブラザーフッド)、ベトンコート団に真っ向から対立して生まれた姉妹団(シスターフッド)、その名も地味子団のお話。ベトンコート団のミソジニーに対抗して生まれた地味子団だが、時代は流れ、「今日の地味子とは何者なのか?」という問いが現代のフェミニズムへの問いかけとも重なり興味深い。ベトンコート団の「やつらの頭をちょっと小突いて」やるためにお互いの持っている本をこっそり交換するという企みが和解へとつながるのがいい。

 『先輩狩り』は一種のディストピア小説だ。感染症の流行により、女子高生は将来赤ちゃんを産むためという名目上、外出が制限され何年も女子高生が繰り返される。女子高生を守るためという言葉の裏で、外出する自由、学ぶ自由、生殖の自由といったすべての自由が制限されているという想像するだにおそろしい環境。女子高生たちは夜毎家を抜け出し「先輩」を探す。「先輩」は恐れられる存在である一方で、きっと自由や変化の象徴であるのかもしれない。

 『星空と海を隔てて』は社会人生活5年目の孫寧が珠海に出張に来たところから始まる。孫寧は一番仕事の調子が乗っている時期だ。副社長が「孫寧が俺に密兎されたってあちこちで言いふらしてるらしい」と言っていることを先輩から知らされる。「密兎」は日本語で訳されていない。だがなんとなく意味は推測できる。このようなおぞましいことが世界各国で起こっていることが突きつけられる。孫寧は今後のことを考え不安にうちのめされる。学生生活にお世話になった学寮長に相談に行くマカオまでの道中をある少女と共にすることになる。その少女のあどけなさに対するいたずら心から思わず「密兎」のことを打ち明ける。少女は「通報しましたか?」と尋ねる。そうだ、被害を受けた側が悩むことはないのだ。だがそんな単純なことがわからなくなってしまう。まっすぐに、本質を示してくれるのもまたシスターフッドなのだ。

 『なあ、ブラザー』はトランスジェンダーの人たちの思いが綴られている物語。男性や女性という性別を超え、自分の存在を表すものとしての名前を思いつく限りに叫ぶ。「ウチはただウチとして最高、そして最強の生命体」。

 『桃子さんのいる夏』は美沙と桃子さんの一夏の物語。美沙は田舎の小学校教師。働きたいから働いているだけなのに、独身というだけで周囲からは結婚や子育てという物語に当てはめられてしまうことに困惑している。美沙の家の隣の空き家に夏の間だけ都会から夫婦が移住体験しにやってくる。その妻が桃子さんだ。化粧っ気もない田舎の教師である美沙と、「派手で気の強そうなおばさん」である桃子さん。一見対照的だが、女性として「繊細な薄皮を何枚もまとって生きている」思いが通じ合う。劇的なことは何も起こらないがゆっくりとシスターフッドが育まれていくさまが美しい。

 『未来は長く続く』は火星が舞台のSFである。十一歳の私、マヤは三百年以上ママのお腹の中で宇宙を横切った後、ようやく火星で生まれた。ママは死んでしまい、一緒に火星にいるのは探査ロボットのダイモスとシベリアンハスキーの幽霊のライカだけである。ある日、地球からキナという少女がやってくる。キナはまぶたの内側がディスプレイになる世界のなかでまぶたの除去手術を受けさせられ、常に自分の欲望をさらされてきた。マヤとキナはお互いを認め合い、大切なものを交換し、キスをする。そのシーンが美しい。「私の友だち」であり「私の恋人」であり、新しい進化へと続く。

 『断崖式』は主人公のわたしが大学生のときに家庭教師をしていた真紀が四十歳前後で自殺したことを聞くところから始まる。真紀の家庭環境はいびつだった。父親の愛人とその娘が同居し、実の母親が出ていってしまうという異常な状況。そのなかで「わたしはどうしたらいいですか?」という真紀の問いに答えられなかったわたし。真紀は子どもの頃プロレスに関する会話のなかで「雪崩式よりも、断崖式の方が効く」と言っていた。断崖から落ちていった真紀に対する罪悪感。真紀や母親、愛人までも軽んじていた家父長的な父親に対し、断崖から落ちていかざるをえなかった重苦しい空気がまとわりつく。

 『老いぼれを燃やせ』は富裕層向け老人ホーム<アンブロージア荘>に住むウィルマが主人公。ウィルマは視力が低下してきており、同じくアンブロージア荘の住人である色男のトバイアスが身の回りの世話を手伝ってくれている。贅沢な生活を暮らすアンブロージア荘にある日異変が起きる。どうも門のあたりが騒がしい。乳児の仮面を着け、「アワターン(われらに出番を)」と名乗る集団がいくつかの老人ホームに火をつけて回っており、その集団がアンブロージア荘にも乗り込んできたようだ。「アワターン」の主張は、高齢者が社会をめちゃくちゃにしているから高齢者の出番はもう終わりだ、「われらに出番を」というものである。シスターフッドという視点は薄い気がするが、作者マーガレット・アトウッドの描く世界は時代を先取りしていると常々言われるように、本作の世界も若者と高齢者の分断をあおろうとしている今の時代を表しているように思われる。

 どの作品もシスターフッドについて描かれているが、その主題は様々だ。息苦しさに満ちている作品もあれば爽快感溢れる作品や心がほんのりと温かくなる作品もある。大きな社会問題だけではなく、日常のなかに生まれるシスターフッドに目を向けてみたくなる、そんな短編集だ。

 









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