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すっぴん

”すっぴん”でいられる時間が好きだ。

じゅわじゅわ。ミルク状のクレンジングが、塗りたくったファンデーションを溶かしていく。アイシャドウのブラウン。リップの赤。素肌にのせられた、たくさんの”色”をはがしていく。

そこには、”ありのままのわたし”がいる。

「そうそう、わたしって、こんな顔だった」

毎日みているはずなのに、”メイクをしているわたし”と”すっぴんのわたし”は、ぜんぜん違う。メイクのおかげで肌がきれいになったとか、顔色がよくなったとか、そういう目に見えるものじゃなくて。「大人として、ちゃんと生きるための仮面」をつけているような、そんな感じ。

社会人として。大人として。ちゃんと生きていくためには、ある程度身だしなみを整えなければならない。上司に言われたわけでも、だれに言われたわけでもないが、”みえないルール”として、たしかにそこにある。

めんどくさい上司に文句を言われないように。女子にしか見えないヒエラルキーのなか、”きれい過ぎず、かといって手抜き過ぎない”ところにいられるように。”社会”と戦っていくための、ある程度の”よそ行きの顔”をつくる。

「大丈夫。これなら、ちゃんとした大人だ。」

できあがった顔を見ながら、うなずく。そう。これでいいんだよ。だってわたしは”大人”だから。”社会人”だから。色素沈着して黒くなったクマも、最近できたニキビも、都合の悪いものはすべて隠して、きれいにして、笑ってなきゃ。そうすればわたしは、”社会の一員としてそこにいる、ただの大人”になれる。べつに、わたしじゃなくてもいいような、”ただの大人”に。

社会人としての身だしなみ。とても大切なことだ。わかっている。メイクすることによって、シャンと背筋が伸びる瞬間は、たしかにある。ファンデーションのノリがいいと嬉しくて、いちばん難しい眉毛がきれいにかけたときなんか、5分くらい鏡の前でニヤニヤしている。そう。それを楽しめばいいじゃないか。きれいになれるんなら、それでいいじゃないか。

”ありのままのわたし”をだれも求めていなくても、それでいいって思わなきゃ。

”社会”にとっちゃ、ちゃんと働いて、お金を消費して、歯車を回していれば、その人が”ほんとうはどんな顔をしているか”なんて、どうでもいいことだ。そんなの知らなくても、世界は勝手に回っていく。分かりきったことだ。だからわたしも、そこからはみ出さないために、顔をつくる。人とつながっていないと、どこかに所属していないと、不安が尽きない世の中で、そこに居場所をつくるために、何度か塗りなおしたリップで、おもしろくもない話に笑っている。ぜんぶ、わたしが選んだことだ。居場所を失わないため。他人の目に映る”自分”を、少しでも良くするため。結局は自分のためだ。べつに悪いことじゃない。だって、”よそ行きの顔”でいたほうが、この世界は、なにかと生きやすい。だから、これでいいんだよ。・・そうやって自分に言い聞かせるたび、”心の中の小さなわたし”が、ずっと叫んでいる。

「クマだって、ニキビだって、ぜんぶわたしなんだ!!ちゃん生きてきた証拠なんだ!!これがほんとうのわたしなんだよ!!」と。

なんの色ものっていない、まっさらなわたしのままで、ただそこにいられたら、どんなにいいだろう。子供の頃みたいに、そのままで笑っていられたら。そんな、グツグツと煮えたぎるマグマのような本音が、腹の奥の奥に、ずっとある。

・・いまここに、少しだけ吐き出させてもらった。

きっとこれはわたしのわがままだ。みんな、見えないルールに縛られながら、自分を少しだけ良く見せて生きている。もしかしたら、そんなルールを、大人として見ないふりして、うまいこと生きている人だっているかもしれない。そのルールさえ、楽しめちゃう人もいるかもしれない。みんなすごいなぁ。社会の一部として、大人として、ちゃんと生きている。わたしも、ちゃんと生きていかなきゃな。メイクだってちゃんとする。きれいな顔して、ちゃんと笑うから。

・・だから、どうしても、息苦しくなったとき。

鏡に映る、”クマやニキビができた、ありのままのわたし”を

「大丈夫。あんたは充分かわいいよ。」

そうやって、励ます夜があることを、どうか許してほしい。

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