エッセイ「西條家」
小さい頃、私は「日本一」だったらしい。それは決して良い意味ではない。ジジイ並みに頑固で、末っ子にもかかわらず兄弟喧嘩にも負けじと挑み、敗北すれば雄叫びを上げながら車体の下に潜り込むような、とにかく人を困らせる子供だった。
四才頃だろうか。漁港で働く母はいつものように朝早くから仕事へ行き、一人で目覚めた私は激怒した。どうして母がいないのだ、と。
黙っていられず、泣きわめき「おっかを連れてきて!!」と祖母を怒鳴り散らした。
祖母は昔から我慢強い人で、酔っ払いや厄介者のあしらい方に長けていた為、お得意の常套手段で私を静めようとしたがそうはさせなかった。あろうことか自宅の階段にのぼり、パジャマをずり下した私はこう言い放った。
「おっかを連れてこないならおしっこするがらね!」
祖母は一瞬、こいつどうかしている、という顔になり息をのんだ。そして
「なるちゃん…」とおずおずとなだめる。
「なるちゃん、卵焼きあるよ…」
そんな慰めもむなしく、結局放尿に至った。
当時、我が家の階段には一段一段に隙間があり、そこからしたたるしずくを目撃した姉は、のちに「黄色い雨かと思った」と語った。
この、おしっこを人質にするケースは歯医者さんでも横行された。
別の日、またしても私を激怒させる出来事が起こった。デパートに行く約束をした母が、都合により行けなくなったのだ。
私の怒りのボルテージは上昇し、5歳にして家出を決意した。
さすがにお得意の放尿はしなかったがこんな思いが沸き起こった。「家出する前に一丁迷惑をかけよう」と。
もはや考えるより先に体が動き、なんと近くにあった自分の背丈よりも高いタンスをまるで憑りつかれたようにグラグラとゆすり始めたのだ。その狂った娘の姿をみた母は大急ぎで止めに入りこっぴどく叱った。
こんな暴れ馬のような娘(妹)に鍛え上げられた西條家は一種の諦念を早々に養い、獲得したのではないだろうか。