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004.時代は巡る

 広い道路を車で走っている。
複数ある車線は流れてはいるが車で詰まっており、少し先に先頭を走る車両が見える。時速65kmほどで安全運転に徹する先頭車両に対して、後ろについた車の挙動が明らかにイライラしているのが分かる。

あおり運転が厳罰化されて以来、幹線道路で分かりやすく前の車両に突っかかる車は減ったが、やはり1秒でも早く目的地に着きたい、前を行く車を追い抜きたいという感情は走り方から見えてしまう。動きに全く動揺するそぶりは見られないが、先頭車両のドライバーは敏感に感じていることだろう。

正直、前に出たがっている若いドライバーの気持ちは非常によくわかる。先頭車両がもう少しスピードを上げていれば他の車の車線変更もスムーズになり、前との距離が詰まり過ぎてのブレーキによる渋滞も多少は緩和されるかもしれない。

こうして日本中の道路で発生する「はやる若者」と「泰然とした老人」という対比はさて、21世紀になって出てきた現象だろうか?
そんなわけはない。平成でも昭和でも戦前でも、おそらく日本に自動車というものが入ってきた時からこの対比と衝突はあったはずだ。

先述した先頭車両を運転するドライバーが仮に70歳、後ろから追い抜きを図ろうとしているドライバーが20歳だとしよう。
今70歳のドライバーも50年前の20歳の頃はきっとイケイケで車を運転していたことだろう。あまり詳しくは分からないが、50年前の車は今よりも確実に小さく、パワーもなく、スピードも出ない。小さい車に合わせて設計された道路も幅が狭く、路面状況も良くはなかっただろう。この違いを考慮すると、当時の時速65kmは相当に「攻めた」走りだったはずだ。

今先頭をゆく70歳のドライバーが「攻める若者」だったかは分からないが、もしかしたら当時も同じように時速65kmで走り、その頃は後続をぶっちぎっていたかもしれない。つまり当時の彼は「はやる若者」だった。

50年前なら後続車をぶっちぎっていたであろうスピードで走る車の後ろを、若いドライバーがイライラしながらついていく。歴史上こんな光景が繰り返されてきただろうことを考えると、現代から50年後も状況は変わらないのではないかと思う。自動車(ではないかもしれないが)は更に大型化し、道路状況は改善し、平均スピードはアップする。

今先頭車両を追い抜きたがっている20歳の若者は50年後には後続車からイライラをぶつけられる立場に変わる。
もしかしたら「幹線道路を90kmなんかでノロノロ走ってんじゃないよ」とか言われてるかもしれない。こうして時代は巡るのだ。

そんなことを考えているうちに渋滞を抜け、車の流れは次第にスムーズになる。運転中にイライラしそうな時はこんなふうに考えると気分転換に良いと思うが、そちらの世界に入り込み過ぎて事故を起こすようでは本末転倒である。

安全運転。

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