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世界でサバイバルする知恵(1) 「おくゆかしさ」を封印する

今回から、海外で留学や仕事をする上でサバイバルするための知恵について、私の体験からお話しします。

まず、第1回目は日本人の美徳とされる「おくゆかしさ」の課題を認識し、そして海外ではこの美徳を封印することが必要であるということを説明します。

1.日本人と「おくゆかしさ」

おくゆかしさとは英語でModestyと言います。これは、「控えめ」とか「慎み深さ」という意味です。

日本人の美徳とされ、ネットでしらべていると「品がある」という意味がふくまれていることがわかります。

「おくゆかしい人」とは、自分の存在を主張せずに、相手の気持ちを推しはかり行動できる人のことを言うと思います。

これは、「集団主義」という日本の伝統的な価値観をもとにしてつくられている行動規範です。

集団主義の社会では、自分の利益よりも集団の利益を優先するために、自分の意見を言うまでに、相手(つまりその社会)が何を自分に期待しているのか、その社会でどう言うことがその社会全体の人のためによいのか、まず考えて行動することが必要です。

これができないと、私たちは「あの人は空気が読めない(KY)」と言うレッテルを貼ります。

でも、こんな「空気を読む」おくゆかしさは、世界でサバイバルする時には邪魔になります。

2.留学生”ある、ある”:「自分の思っていることを言えない」

私がカナダのトロントで留学生活をしていたころ、同じ日本人留学生と食事をして話をすると、必ず話題になるのがクラスで発言ができずに、クラスメイトから信頼をえられないという「愚痴」めいたことです。

北米(アメリカ・カナダ)の大学で、履修している科目の評価はテストの成績やレポートの点数だけでなく、授業への参加の度合いが重要な項目になります。

「参加」と言うと日本では出席率を思われるかもしれませんが、北米の参加とは、授業のなかでどれだけ発言をして貢献できたかということが問われます。

日本人などの留学生にとっては、言語の壁があるので難しいのは当然と思われるでしょう。

でも、日本以外の国からきた留学生は私の見た限りこの「参加」のところで困っているようには見えませんでした(レポート課題には困っているようでしたが)。

なぜ日本人がだけがこまっているのか。

それは、最初に書いた「おくゆかしさ」を美徳とする社会の中でそだってきたからなのです。

先に話た日本人の留学生の友人たちは、東京でも有名大学から来たひとばかりです。優秀なひとたちですから、英語で問われていることは理解できています。また、自分なりの回答も持っているのです。

でも、それを言うタイミングがわからないのです。

だから、いつも発言せずにクラスがおわります。そして、クラスメイトからは「なにも発言しない=能力がない」と思われしまうのです。

友人たちは言います。「私たちだってわかっているのよ。でも言えないだけ。なのに『なにもわかっていない。できない学生』って思われている。くやしい。」

これはしかたがないです。北米では、発言しなければ誰もわからないのです。そして、発言することに価値を置く文化です。「おくゆかしさ」は美徳ではありません。

でも日本人の学生たちは、日本の伝統的価値観をしっかりとみにつけた、本当に品のよい、私からみると感じのよい日本人学生さんでした。

日本の美徳や価値観がしっかりと身についているが故に、柔軟性にかけて、それが海外でサバイバルすることを難しくしている例です。

3.サバイバルする上で求められるコミュニケーション能力

北米とは個人主義の文化です。個人主義とは、かならずしも集団の利益を優先はしません。どちらかというと、まず個人の権利を大切にします。

なんとなく利己的に聞こえます。でも本当にそうでしょうか。

よく考えてみると、個人の権利を守れない人に他人の権利をまもることは不可能です。ということは個人主義も案外合理的な考え方と言えます。

北米の価値観が世界で共有されているとは限りません。しかし、アメリカ経済が世界を牽引していることは誰の目にも明らかです。

となると、北米の価値観をいったんは共有しておくこと、また少なくとも理解しておくことが無難です。

私たちは「おくゆかしさ」とは相対的なものであることをまず認識することが必要です。これは日本の社会的文脈のもとにつくられた日本人に特有の価値観ということです。

海外では異なった価値観や行動規範があることを認識しておくことが必要です。

北米で仕事や留学をする場合には、自分の意見を主張できるように努力していきましょう。

いつもいつも人からどう思われるか、ということばかりを考えていると、自分の意見が言えなくなります。

そして、意見を言わないことで相手から「無能」であると思われてしまいます。

無能と思われなくても、「なんておもしろくない人だろう」と思われ、友人をつくったり、信頼関係を構築することは難しいです。

もちろん、相手の気持ちを考えずに自分の意見を主張することはだめです。

しかし、かといって日本にいる時のように「自分が意見をいったら、周りがどう思うだろうか」、「でしゃばりと思われないだろうか」なとど考え躊躇することなナンセンスです。

北米の人に言わせると "Who cares?" (いったそんなこと誰が気にするの?)ということです。

北米では、自分の意見を主張することが、相手や社会に対する貢献であると考えます。つまり、自分の意見を言うことが個人としての「責任」であると考えます。

さて、ではどのようにしたら、相手にとっても自分にとっても価値のある意見をつくり、発言できるのか。

英語が単に話せてもだめだということですね。

自分のコミュニケーションのあり方をその国の社会的な背景を考えながら柔軟に変えていくということが求められていると言うことですね。

これは、Web3のメタバースの世界になっても必要なサバイバルスキルです。

ではでは。




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