予測"そのもの"に意味はない

専門家は専門的な物事に対する将来的な予想の的中率は高いのか?

これには科学的な結論がすでに出ており、ペンシルベニア大学の1985年の実験により、専門家の的中率は一般の学生の的中率より若干高いが、ほぼ変わらないという結果が出ている。

つまり、「この先の未来はどうなりますか?」と周りの適当な人に聞いても、専門的な人に聞いても、大枠としては同程度の意見しか得られないことを意味する。

むしろ将来が不安だからと、専門的な人に駆け寄って行って、予測を聞きに行くとなお悪い出来事が起こる可能性がある。

問題は大きく二つあり、「権威」と「認知的不協和」である。

「権威」とは

世の中の物事は多くのことが複雑に絡み合っていて、判断することが難しい場面が多々存在する。
当然そのような場面に直面してしまうと、人は考えるのをやめてわかりやすい事物に頼ろうとする。

その対象の一つが権威だ。

おそらく経験があるだろうが、「科学的な根拠が~」や、「○○大学の教授が推薦する~」などといった宣伝文句を見たことがあるかと思う。

これが一種の権威を用いたマーケティング手法である。

もともと村社会に住んでいた我々人類は、偉い人の決定は間違いないと判断するように脳の構造ができている。

そのため、権威に縋ることによって人は安心を手に入れようとするのだ。

さて話を戻そう。

最初に、専門家の的中率は学生とさほど変わらないと話したように、偉い人、人の上に立つ人も、普通に間違えるのだ。

特に考えもせず権威に従い、間違った未来に備えて、間違った未来に投資し、大損をこくなんてことは昔からよくあることだ。

不安の解消方法を外に求めないで、自分の中で完結させればこのような失敗を犯す確率はぐんと下がることでしょう。

「認知的不協和」とは

認知的不協和は強い感情を抑えるために脳に解釈を与え、精神を安定させる脳の機能である。

とても抽象的なので具体例を一つ。

ある宗教が地球の滅亡を予想しました。
宗教の信者はみな大慌てです。
どうせ未来なんてないのだと思い、自棄を起こしたようにたくさん金を使って豪遊したいほうだいしました。
そして滅亡の日がやってきました。
しかし、一向に世界が滅びるようなことはありません。
おかしい、変だと皆の心に不安がたまっていきます。
この「予測」が間違っているはずはない。
そして人々は考えた末に一つの結論にたどり着きました。
「我々の祈りによって神は我々にチャンスを与えたのだ。やはり我々の宗教は素晴らしいものだ。」

これが認知的不協和です。

外側から眺めている限りでは、そんな馬鹿なと思う方も多いでしょう。

しかしこれは実際にあった出来事です。

人は自分の信じているものの信頼が揺らぐと、新しい解釈によってその信頼を立て直そうとします。

そして信頼を揺らがせる情報に対して「あんなものはまやかしだ」と唾を吐き捨てることを当たり前のようにする生き物なのです。

さて、具体例からもわかるとおり、信仰的な予測が外れた場合、これからの未来においても世界を正確に見定められる能力を見失うリスクが付きまとうわけです。

このようなことを避ける方法として最も効果がある手段として、「クリティカルシンキング」というものがありますが、これはまた別の機会にお話しします。

なら何のために「予測」をするのか

予測は当たりもするし、外れもします。
占いはよく当たると思う人もいるかもしれませんが、それは当たった時の印象が強く残っているだけで、的中率はたかが知れています。

なら予測に意味はないのか、というとそういうわけでもないのです。

つまり、当たりも外れもするなら、両方に備えればいいのです。

最高の未来を描きましょう。
備えは十分ですか?成功の秘訣は?

最悪の未来を描きましょう。
何の準備が足りなかったですか?失敗の要因は?

これは言ってしまえば「意思決定」の話にすぎません。

大きく分けて、最高と最悪を予測しておけば、どう転んでもどうとでもなるわけです。

よって、専門家の適当な予測に流されずに、良かったとしても、悪かったとしてもどうにかなるように、いろんな手を打っておくと、これからの人生が少しくらい楽になるかもしれないですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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