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第三十六景 内に潜む狂気の話

書き出しを迷っている。高校生終わりから、大学に入学するまでのことを書こうと思っているのだが、なかなかうまく書き出せない。よく覚えていないということもあるし、そもそも書くことがないのかもしれない。

僕は「第五景」で紹介したように、過疎地域で育った。人口数十万人の都市部のことなど知るはずもなく、田んぼと老人と木に囲まれて育った。ご近所さんの家は、数百メートル先にあるし、幼馴染と言われるような友達ももちろんいなかった。冬は数メートル雪が積もる。

近くに保育園があったが、同い年は僕を含めて4人だった。その後町の中心部の保育園と合併したが、それでも40人に満たない人数だった。今考えると本当に小さい世界だった。

僕の遊び相手といえば、1個下の弟と母だった。適当な木の枝を拾って、剣に見立てて林の中を駆け回ったり、秋には籾摺りで出てきたもみ殻の山にもぐったりして母によく怒られた。冬はびしょびしょになりながら、雪の中に突撃したり、斜面をそりで滑り降りたりした。

保育園や小学校低学年の時には帰りに、よく公園に連れて行ってもらった。なんだかんだ言って、身体を動かすことが好きだった。でも僕はびびりだったので、アスレチックや初めての遊具はいつも弟に先を越された。

雪が積もるある日、学校から帰ってきて、スキーウェアに着替えて外に飛び出した。当時冬の遊びといえば、雪遊びだったのだ。

家の近くに10メートルくらいの緩やかな斜面がある。雪が積もるとそれほどの傾斜には見えないが、そりで滑り降りるには急な70度くらいの崖だった。

そこで、落ちそうな弟を崖のへりから、手を差し伸べて救出するというアニメによくありそうなごっこ遊びをしていた。

謎に切羽つまる展開である。元は仲間だったが、いつしか敵になり、本当は倒したいが、この期に及んで昔の友情が戻ってきたみたいな激熱展開だ。

最初は両手で引き揚げようとする。なかなか上がらない。そうしている内に徐々に握力が無くなり、ついに片手で支えることになってしまう。

絶対絶命だ。落ちたら命は助からない。落としてしまえば、楽になれると狭間で揺れる感情も上手くふたりで再現出来ていたと思う。

何を思ったのか、急に興味を失った僕は、弟の顔面に蹴りを食らわせた。滑り止めのちょっとしたスパイクのついた長靴の底面でだ。痛くないはずがない。

手を離され、落下していく弟。冷めた目で見送る僕。突き落とすようなシーンが頭にあったのかもしれないし、ちょっぺこきの僕は面白半分でやったのかもしれないし、何かと弟の方が優遇される日々のうっ憤が狂気として現れたのかもしれない。しかしやられた方は堪ったものではない。

弟は別のところから登ってきて、無言で家の中に入っていった。そのあとこっぴどく母に叱られたのは言うまでもない。

最初に書こうと思ったこととは別のことを書いてしまった。

最近の冬は雪遊びが出来るほどの雪が降らなくてちょっと寂しい。降ったら降ったで憎たらしい存在にはなるのだが、目一杯雪とじゃれ合いたい時もたまにはあるのだ。

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