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第三十九景 気持ちが楽になる話

僕には苦手なことがある。人間誰にでも苦手なことがあると思うから、そう珍しいことではないはずだ。その僕の苦手なことの中のひとつに「思ったことをすぐに言葉にして口から出すこと」がある。

慎重?保身?頭の回転が遅い?利害を考える?聞いてるふりをして実は聞いてない?といった様々な理由が考えられる。

これをもう少し掘り下げて考えようと思う。例えば複数人で会話をしている時、自分から質問をしたり、自ら自分のことをひけらかして話すことは滅多にない。極力聞き役に徹するし、話しかけられなければ、会話には参加しない。

ただ、話はよく聞いている。あの人はこんなこと、あんなことを考えているんだと思って、心の中でにやにやしながら見ている。自分の身体はそこに置いてあるのに、上から自分を眺めている感覚だ。顔にも出ているかもしれないし、はたから見れば、楽しそうに見えるのかもしれない。

でも咄嗟に話を振られると困る。上から見ていた自分が身体の中に入るまでに時間がかかる。話したいこともパッと言えないし、聞くだけで満足しているからだ。心の中では色々考えてはいるが、それを言葉にして口から出すとなると、人の何倍もの時間がかかってしまう。

その時、その場の感情を読まれるのが苦手なのだと思う。真剣に考えすぎてしまって、その受け答えの先にあること、ないことまで想像してしまうのだ。

逆に言えば、変なことを言って、相手を傷つけたくないということになる。更にその裏返しには、変なことを言って、なにかを失うことが怖いのだと思う。どこが表なのだろう?


要は自分を傷つけたくないという意識が根底にある。卑怯で傲慢なのかもしれない。また他人が思っているほど、強い人間でもない。だから安易に言葉を使いたくない。

なぜそこまで自分の言葉について、他人に影響があると考え、自意識過剰なのかと考えてみると、自分はこれまで生きている中で、言葉に助けられた経験が多くあるからだと思う。

例えば、好きなアーティストが作り出した歌詞に励まされることが多いし、映画や小説の登場人物のセリフにどれだけ支えられたか分からない。そして実際の人間関係においても、自分に向けれられた言葉に対して、良い言葉も悪い言葉もよく覚えている。

それほど自分にとって重要なものだからこそ、自分が発する言葉に責任を持ちたいのだと思う。また言葉が持つ力を信じているのだとも思う。毒にも薬にもなる。

そう思っているのに、心の中でその人の気に入らない所やその人が気にしているだろうということに気づく自分もいる。

心の中まで見ることが出来る人がいるとしたら確実に嫌われる自信がある。その能力の持ち主には出会いたくない。嫌われたくないし、本当は誰とでも仲良くしたいと考えているのに、その悪い部分だけを抜き出してしまう嫌な自分がどこかに存在している。見つけられないようにするためには黙っていることがいちばんだ。

と、掘り下げて考えてみたわけだが、嫌な自分を自覚することが出来た。嫌な自分を認めてあげることは、自分に過度の期待をしないことにも繋がる。そして、誰にも嫌われたくないから、そう行動していたことにも気づくことが出来た。

苦手なことを掘り下げると、思ってもみない発見がある。
それと同時に気持ちが少し楽になった気がする。

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