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第六十四景
最近悩んでいることがある。それは僕色百景の景に続くサブタイトルの「〜の話」という部分がなかなか決められないということだ。
そもそも僕色百景の由来は僕の目を通って頭に入ってきた景色、これから見る景色を100個集めて書いてみようと思って始めたもので、又吉直樹さんの東京百景のオマージュである。
ちなみに各話の写真は、僕がiPhoneで撮ったものだ。今のところ、オール自分で撮った写真で、その話と連動した写真に設定している時もあれば、全く関係ない時もある。
写真の多くは登った山から見た景色や飲み歩いた日の夜の景色、あとは旅先や日常で撮った景色が主となっている。
タイトルが決まらないという話に戻そう。僕には書き始めるパターンが3種類あって、まず1つ目は各タイトルやテーマや書くことが決まっている場合。
2つ目はお風呂に入ってる時や髪を乾かしている時などに無意識の中で浮かんできたものを、あ!書かなきゃと思って書く場合。
3つ目はタイトルやテーマを決めたものの、書いてるうちに、思いついたことを織り交ぜなが書く場合がある。
あらかじめ書くことが決まっている分についてはまだ良い。問題なのは、あ!と思いついた時だ。
思いつき、書き終えたあと文章を読み返して、良いタイトルが無いか思い悩むのだけど、どうもしっくりこないのだ。ぱっと浮かんだものであるから、タイトルがつけられない。
タイトルというものは、その後に続く話をイメージする上で、とても重要になってくる。反面、そのイメージに付きまとわれてしまうのがネックだとも思う。
読む側からすれば、ここにはこんなことが書いてありますよという事を、タイトルを見て判断するし、それによって興味があるかないかで読むかを決めるだろう。自分もそうだ。
しかしタイトルに縛られるあまりに、あっちこっちに飛び散った考えを、タイトルに合わせるように書いてしまうため、どこか窮屈な感じになってしまうこともあった。
タイトルが先か、話が先か。
鶏が先か、卵が先か。
タイトルが話を生み出すこともあるし、話がタイトルを生み出すこともあるのかもしれない。
でも今のところ、僕の場合、タイトルが話を生み出すことはあっても、話がタイトルを生み出すことは難しいように感じる。
そういった名前のつけられない感情を言葉にすることの難しさを日々噛み締めている。
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