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秘密の猫の引っ越し

集合住宅の1階に引っ越した。今まで引っ越すたびに2階以上の住宅になるようにつとめてきたが、今回はうまくいかなかった。家財道具が運び込まれ、引っ越し屋さんが帰った後、車からキャリーバッグを運び入れ、ふたを開けると、黒猫の陽ちゃんが飛び出してきた。新たな生活の場所を見回り、においをかぎはじめる。

今回の住宅も猫を飼ってはいけない決まりだった。猫を飼っていることは内緒だった。わたしたち夫婦は、子どものようにかわいがっていた。

陽ちゃんは15歳になる。猫にするともうだいぶ年寄りだ。子猫の陽ちゃんが我が家に来たときは、わたしたち夫婦もまだ子育ての最中だった。子どもたちは中学生だった。陽ちゃんも子どもたちも一緒に育ち、子どもたちは皆独立した。わたしたち夫婦はまたふたりになり、陽ちゃんだけが残った。お盆や正月に子どもたちが帰ってくると、わたしたちもうれしいが、陽ちゃんもとても喜んだ。子どもたちのことをちゃんと覚えている。

住宅が湿気っぽいのは1階のせいだろうか、引っ越しで今日は疲れたから荷ほどきは明日以降にしよう、などと話す。

陽ちゃんは室内飼いの猫だった。天気のいい日にはベランダに出て、ひなたぼっこをするのを楽しみにしていた。今回の住宅は1階だからベランダの柵をとびこえて外に出てしまったらこまるね、と話すと、それじゃあ陽ちゃんがかわいそうだわ、と妻が言った。ためしに出してみようか、と話し、ベランダに出してみた。陽ちゃんは喜んでひなたぼっこをはじめた。黒い背中の毛が太陽を浴びてきらきら光った。柵をとびこえる気配はみじんもなかった。

猫がベランダに出ているところを外から見られたら困るので、ホームセンターに行ってパネルボードを何枚も買い、ベランダの柵沿いにはりめぐらせた。

天気のいい日、陽ちゃんはベランダに出入りできる窓のところで鳴いた。出してやると喜んだ。雨の日は恨めしそうに窓ごしに外をながめている。陽ちゃんは夜、妻と一緒にベッドで眠った。枕に頭を乗せて、首から下は布団の中に入れて横になっている。そんな毎日がはじまった。

何度目の引っ越しだろう。新たな街で新たな生活がはじまる。陽ちゃんもずっと一緒だ。

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