あの人は、北宇治を愚弄してるんです!【ユーフォ考察】
本記事では,アニメ『響け!ユーフォニアム3』における忌まわしい原作改変の意図について考察する.
ただし見出しの「あの人」は元の文脈と異なる.
改変は広範に及び,根本的にキャラの解釈が異なるため,ネットの声だけでなく原作も読んで判断されたい.
1. 序論
1.1 今北産業
終
検閲・独占
━━━━━
ⓃⒽⓀ
1.2 論点
あれ,3期のタイトルは『響け!クロエのユーフォニアム』だったっけ?😅
そう錯乱するレベルの原作レイプ改変に終盤で突如として襲われた視聴者が,ネット上で激しい論争を繰り広げている.
原作の結末を知っていた視聴者からすると,サプライズで根性焼きをプレゼントされたようなもので,悪い意味で裏切られたという感想を抱くのは至極まっとうだろう.
大吉山のお涙頂戴シーンで,😳←こんな顔になるのも無理はない.
著者は次のように,猛り狂うファンをなだめている.
いつも感想が他人事な印象はあったが,それもそのはず.
著者はアニメを——小説とたもとを分かつ——独立した作品と認識していたようだ.
しかし,他人事な理由はそれだけでない.
著者の体癖は上下型が主体だから,自分まで客観視する傾向がある.
上下型は,まさに著者のごとく首に特色がある.
著者の体癖については,記事をわけて考察する.
続く投稿でも,上下型の毀誉褒貶(メンツ)の感受性が前面に出ている.
「私の許容範囲を超えている部分」がどれほどだったのかはわたし、気になりますが,著者は納得したと主張している.
しかし,原作ファンがあれをみて愉快に思うかは別の話だ.
本件の論点は,必要だと認められる程度の改変かというところにある.
また著者は,最終楽章 後編について次のように述べている.
小説が「自分が納得できる作品」ならば,アニメは著者が望む結末ではないはずだ.
「著者が納得してるんだから文句言うな😡」という原作未読のアニメファンは,著者の言葉に応えて小説も読んでみてはいかがだろうか?
1.3 論拠
それぞれの主張を大別すると次のとおり;ただし同じ分類のなかでも,人によって主張の内容は大きく異なる.
肯定
未読:アニメはよくできていた/改変も何もない
既読:アニメの結末の方が良い/別作品と割り切るべき
否定
未読:「物語はハッピーエンドがいいよ」
既読:原作を読んで安心していたのに裏切られた
原作改変を擁護する論拠として,次に示す著者の投稿が引き合いに出されている.
改変はこのルールに則っており,なんら問題ないという.
しかし,アニメと原作との結末を入れ替えるとその理屈が破綻するというところに,深い落とし穴がある.
原作の久美子は,麗奈にとっての「特別になりたい」という願望がモチベーションとなって練習を重ね,ついに北宇治のトップ奏者となった.
ところが,アニメの久美子は「全国大会金賞を、とりましょう!」という考えが最優先となり,「特別になりたい」という思いは——作品のテーマとしても——雲散霧消した.
本番直前の久美子の演説でも,「私は北宇治が好きで、滝先生が好きで、みんなが好きです。」に続く
の部分が,「そんな みんなと 金賞とりたい。」に置換されている.
また,その前の滝サンによる
というスピーチはカットされた.
代わりに,久美子からバトンタッチした麗奈による長尺の「金賞 とりましょう!」が挿入された.
これらは,アニメの金賞至上主義を象徴している.
原作の久美子は部員に対して,金賞という結果はあくまでついてくるものだと演説し,一貫して部内の分断を解消しようと働いている.
このように,アニメと原作とではそもそも目標が異なる.
したがって,結末だけを比較しても意味がない.
次の投稿も,改変の妥当性を示すものとされている.
真由に負けたことが久美子を成長させたという点では,原作もアニメも共通している.
原作では,一度ソリの座を奪われた時点で,上記の目的は達成されている.
その悔しさをバネに成長した久美子は,最後に真由を(気持ちで)わずかに上回り,誰もが納得する形で全国を迎えた.
最新刊では,このネタバラシ⚠️があった.
一方アニメでは,久美子は真由との実力差を縮めることができないまま,久美子が精神的に大人になることで,ようやくそれを認められたように描かれた.
すなわち関西大会の時点で,久美子はその水準に達していなかったことになる.
それなら,なぜ府大会で久美子がソリに選ばれたのだろうか?
また上下型の久美子は最初から冷めていて,高校生らしからぬ客観性をもつ.
捻れ型が濃い麗奈の勝ち負けの感受性に影響されて,臨時に子供っぽくなっていたとしても,それは久美子の体癖素質ではない.
したがって久美子にとって,麗奈との (a) 衝突と,(b) 別れへの意識とが,大人の階段昇る必要十分条件だったはずだ
麗奈とのソリを吹けないことでしか大人になれなかったとは考えにくい.
この点においても,同じ登場人物が全く異なる感受性で描かれているため,結末だけを比較すると整合性がとれない.
いずれにしても,その改変がなぜ必要だったのかという疑問は残る.
2. 多数決による分断
1年次のソロオーディションにおいて,部員の多数決で決める展開はアニオリだが,そのときは久美子(とそれにつづいた葉月)だけが麗奈に拍手を送った.
部員たちが——NPC かのごとく無感情に客席に座っているだけで——明確な実力差にざわめく描写はカットされ,先輩 vs. 後輩 という分断が解消しないままコンクールに進んだ.
それが最後のアニオリのソリ再オーディションで逆転して,麗奈→久美子へと拍手を送り返す伏線なら納得できる.
ところが麗奈は,久美子との最後の演奏を楽しむことよりもコンクール受けを優先して,真由に決定票を投じた.
本当に「好みの問題」に帰着するほど二人の実力が拮抗しているなら,麗奈が久美子の想いをへし折って真由を選ぶ理由がない.
したがって,実力では完全に真由が上回っているが,お情けで票が割れたか部員たちの耳がポンコツだったかということになる.
たとえば葉月は,一貫した実力主義者として麗奈・真由に投票したように描かれているが,初心者の代名詞である葉月が経験者を凌ぐ耳を持つようなら,他の部員たちは北宇治でいったい何をしていたのか?
もし誰しも判別できるほど音が違うなら,久美子が提案した目隠しはとんだ茶番だ.
滝サンは,部員が二人の実力差を正しく評価できないことを承知で,香織のときと同様の多数決による公開オーディションを提案したはずだから,責任転嫁 以外の何物でもない.
麗奈が泣いて悔やんでまで真由を選ばざるを得ないほど明確に,久美子の実力が全国金賞のレベルに達していなかったのなら尚更で,中の人に負けず劣らず無責任な男として描かれている.
アニメではカットされたようだが,あすかが久美子に気づかせた「部員のため」という滝の方針も,過大評価ということになる.
久美子が率いる北宇治が好きな部員は,もちろんあの結果に納得できない.
また実力主義者にとっても,部員による多数決の結果は,絶対視する滝の判断ではないから,「実力で選ばれた」という意味を持たない.
そもそも,麗奈が部員による意思決定で納得できるようなタマなら,一体全体なんのために滝へ疑念を抱く久美子たちと敵対したというのか?
麗奈には,九種的な愛憎の感受性によって生ずる激しいこだわりがある.
その上,勝ち負けの捻れ型だから,その方向には絶対に頑固だ.
愛する滝先生の審美眼を度外視して,部員の多数決で自身のペアを決めることを,捻れ型九種の麗奈は認めないはずだ.
滝サンの一存で決めるというのは一見,独裁的で危険思想の人だ。と思うかもしれない.
しかし裏を返せば,カリスマ性やリーダーシップを発揮するということでもある.
集団の空気をコントロールする上で,鶴の一声が有効にはたらくことは多い.
一方で,民主主義の根幹をなす多数決原理は,便利だが「正しい」とはいえない.
多数派と少数派とは必ずセットだから,異なる体癖の集まりである限り,派閥の形成は避けられない.
これは政治における対立構造とまったく同じであり,政治の議論はどこまでいっても平行線だから不毛なのである.
すなわち多数決は,人々を分断する方向に作用し,集団の団結には寄与しない.
したがって,競争を煽る対立煽りとしては有効だが,決して「みんなに平等」な結果を得るための手段ではないのである.
そのため私は——麗奈の決定票のおかげで負けを受けいれられたかのように描かれている——久美子の熱い演説中,「いや,部内の対立が解決してないじゃん🙄」とチキン冷めちゃったのである.
3. 改変の妥当性
監督・石原立也は,好きなエピソードについて次のように述べている.
改変は,この 香織 vs. 麗奈 のシーンのフラッシュバックを意図していたはずだ.
しかしその場合,麗奈はソリの決定権を滝先生にゆだねるべきではないか?
もっとも石原は,滝サンが香織に「あなたがソロを吹きますか?」ときいたのは亡き妻の面影があるためと考えていたから,このセリフがそのまま久美子に適用されることはなかっただろう.
しかし,麗奈の思いを汲んだ滝サンが迷いを断ち切り,久美子に断固として実力差があることを示せば,久美子の演説にも説得力が出たはずだ.
これによって初めて,再オーディションで真由が勝つという改変に,みんなが文句なし最強でした!に納得できるだろう.
また麗奈の九種的な愛憎の感受性に着目すると,幼少期から滝先生に全霊の愛を向けてはいるものの,高校からは久美子にもかなりの愛を注いでいる.
地の文が久美子の一人称視点なので,小説中では明示的に語られていないが,X の SS から久美子に対する異常なまでの執着が読み取れる.
これほど愛する久美子に対して No を突きつけるには,——九種は愛憎が行動の原理なのだから,その愛憎を上回るほどの——強い動機が必要だ.
愛では 滝先生 > 久美子 だから,久美子と喧嘩してしまったのは妥当である.
しかし,わずかな実力差と久美子への愛とを天秤にかけたときに,果たして前者をとるかというのは難しい問題だ.
そもそも愛憎が感受性の中心なのだから,見出し画像の奏が涙ながらに訴えたように,贔屓目なしに真由と久美子との実力差を客観的に評価すること自体が不可能なのではないか?
そういう面でも私は,やはり麗奈は滝先生に判断を仰ぐないしは久美子を選ぶのではないかと考える.
ところが実際には,決定票を投じた麗奈が悪役になってしまった.
しかも,その役回りを押し付けたのは,他ならぬ滝サンだ.
生徒のために憎まれ役を買ってでるべき教師が,久美子の申し出や馴れ合いラストで涙して善人ぶってたのは,滝サンに対する冒涜とさえ思える.
滝憎しの構成が,滝先生ラブの麗奈を傷つけることになったのも,その必要性が理解できないため許容できない.
シリーズ構成・花田十輝も,ソロオーディションを好きなエピソードとして挙げている.
文章からは,石原と同じく原作へのリスペクトが感じられるが,3の内容が少しひっかかる.
花田は,吹部の生々しさを大切にするあまり,一般人でも努力すればエリート——すなわち強豪校出身の真由と,プロの娘として生まれた麗奈——に並び立てるというご都合主義的な結末に,満足できなかったのだろうか?
しかし原作ファンはその王道展開を望んでいたのだから,やはり改変は自己満足にすぎない.
「京アニは昔から原作改変に定評がある」というが,どのアニメにもそういう要素はある.
他と比べてその傾向が著しいとすれば,それは京アニのネームバリューがでかすぎるためだろう.
アニメ化をきっかけに原作を読み始める人も多いから——宣伝効果の大きい京アニの場合は特に——,アニメ >> 原作 というパワーバランスとなっても不思議はない.
NHK ともなれば,その傾向は一層つよくなる,
「原作小説をスペクトした上で再構築して」いるにも関わらず,著者の「許容範囲を超えている部分」を修正するようなことが起きるのも,自分たちの立場が強すぎるために客観的な視点が欠落しているためではないか?
ユーフォは,1期の1話からアニオリ要素が満載だから,改変を認めない厄介ファンが多いということはない.
そもそも北宇治で誰も関西弁を喋っていない状況が容認されているのは,その改変が必要なことが明白だから.
すなわち,改変が受けいれられるかどうかは妥当性の問題だ.
必要性が理解できない度のすぎた改変が,原作ファンに拒絶反応を引き起こすのは(ユーフォに限らず)当然である.
製作陣にとって,その改変の必要性は疑う余地もないのかもしれない.
しかし,部外者はそんな内情など知る由もない.
負の向きへ 180° 回転した展開を押し付けられて,感情のないアイムソーリー「はいそうですか」とはならないだろう.
まあ,そこまでお膳立てをした上で,真由のユーフォの色と同じ銀賞どまりで,教師となった久美子はその雪辱に燃える,というところまで振り切ったバッドエンドならあっぱれだったが.
結局,作品の根底に横たわる 保守 vs. 革新 の対立構造は解決をみず,本当に部の空気が一つになったのかは疑問のまま,全国金を達成した.
視聴者の多くは,真由でなければ全国金は取れないと感じたことだろう.
しかしそれ以前の問題として,主人公を久美子から真由に変える必要性が理解できないために,改変を受けいれられない人が多くあらわれてしまった.
一方,原作で久美子が滝の一存で選ばれたのは,派閥という分断を解消して,実力的にも空気的にも「みんなが納得した状態で本番に挑みたい」(最終楽章 後編 p. 306)という久美子の希望を満足する形だった.
たとえ久美子の実力があと一歩,真由に及んでいなかったとしても,滝が久美子を選ぶことで全体として演奏のクオリティが上がると判断したのなら,彼の「全体の音楽バランスを考えて編成を組む」という信念と矛盾しない.
そして何より,真由でないと全国金が取れないほどの実力なら,極めて何か生命に対する侮辱を感じます客観的な久美子が,精神的に追い詰められる理由がない.
久美子が麗奈の「特別になりたい」という一心で練習に励んできた背景も——そもそも3期にそんな描写はないのかもしれないが——ストーリー進行にまるごと不要となり,ただ泣かせるためだけの演出になってしまう.
「努力しても夢が叶わないのが現実なんだ」という向きもあろうが,それはそういう物語を見つけてきたりオリジナルでつくったりすればいいだけの話だ.NHK 真のハッピーエンドを迎えた原作の世界観をぶっ壊す理由にはならない.
京アニは,原作ファンが不快に思うことは承知していたはずだ;むしろ想定外だったら困る.
したがって,そういうガンみたいな視聴者でも納得するような,論理的で「正しい」経緯に関する説明責任を負うのではないか?
4. 追記:監督インタビュー
4.1 2024/07/01
最終回の翌日に,次に示す監督インタビューが公開され,改変についての説明がなされた.
石原は,改変の経緯を次のように説明している.
私は,石原の判断の是非について物申す系YouTuber立場にはない.
ただ,久美子の興味が指導者に収束することを重視するのであれば,滝サンはその中心人物となるはずだ.
久美子は,滝先生との会話のなかで
という結論に至った.
それなのに滝サンは,久美子の方が断然「正しい人」として描かれたまま,生徒におんぶにだっこで「やりましたよ 千尋さん」と満たされて成仏した.人
やったのは生徒であって,滝サンは生徒に責任をなすりつけただけだ.
なぜ滝サンが北宇治を愚弄しているかのように描かれたのかという疑問は解消されていない.
4.2 2024/07/07
同週末には,次に示す監督インタビューも公開された.
「後半を久美子の物語に集中させた」……?
それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?
3期は,鈍感系主人公・真由が無自覚に部をひっかき回し,部長・久美子の思い描いた——拗れ型の麗奈の影響で,臨時に生じていた体癖現象的な——理想を打ち砕くことによって,北宇治を全国金へと導いた真由の物語だと思っていたのだが.
久美子を香織に重ねて描いているのが,その証左だ.
1期と3期との対比をまとめると,次のようになるだろう.
1期
主人公・麗奈 w/ 久美子
負けヒロイン・香織 w/ 優子
3期
主人公・真由 w/ 麗奈(つばめ)
負けヒロイン・久美子 w/ 奏(秀一)
さらに秀一を物語の中心から排除してしまったのだから,3期の主人公が久美子だと言うのは無理がある.
しかし,原作改変によって真由が事実上の主人公となったことに,石原が気付いていないとは考えにくい.
「最後は久美子の話にしっかりとフォーカスしたいというのは」,否定派を言いくるめるための方便だろう.
筆者 そうですかね?
久美子は,あすかの敷いたレールの上をまんまと歩かされて部長となった.
そして部長としての様々な経験を通じて,滝サンや美知恵といった優秀な指導者の目に見えない努力を痛感したことで,教師になりたいという結論に至った.
その久美子の成長を説得力をもって描くために,立ちはだかったのが真由だ.
原作の久美子は,裏ボス・真由を攻略しようというおごりを捨て,本心をさらけ出して真由に向き合えたからこそ,部員の心を一つにまとめ上げて「北宇治の百パーセント」を引き出すことに成功したのではないか?
この久美子の覚悟は,——コンクール至上主義と「残るのは結果だけか?」という橋本の言葉との間で揺れていた——滝サンの迷いをも断ち切った.
おそらく次の描写は,コンクール受けを最優先にするエゴではなく,教師として目の前の生徒の気持ちに向き合おうと「滝は決断し」(みんなの話,p. 115)たことを暗示しているのだろう.
アニメはそれと全く逆で,生徒の気持ちを優先する方向に傾いて再オーディションを提案した滝サンを,久美子が正しさで優ってコンクール至上主義に引き戻すという展開になっている.
そして久美子が一歩引くという形で大人になり,部内の不和を——滝サンの優柔不断もひっくるめて——すべて一人で抱え込むことで真由を救済するという自己犠牲を,美談として描いた.
さらに,二人でいると「気が緩んでしまう」(最終楽章 後編, p. 311),久美子の心のオアシスである秀一が「コケそうになったら支え」る展開も排除されたのだから,「まだまだガキ」(3, p. 265)の久美子に対する負担は限界を超えているだろう.
秀一や滝サンに対する改変については,5 章で述べた.
ところで石原は捻れ型の感受性が濃いのか,勝ち負けで結末を語っている.麗奈原作ファンと思考のずれが出たのも、きっとそのせいだ。(最終楽章 後編, p. 306)
もし真由を武器として見ていたなら,五種の合理性をもつ上に「部内の調和を求める久美子」(みんなの話,p. 113)は,最初から真由と競わず,部をまとめることに専念していたのではないか?
再オーディションまではプレイヤーとして真由とバチバチに競わせておいて,その理屈が通るのかは甚だ疑問である.
むしろ部長としての意識が土台にあって,そこへ真由という大問題が転がり込んできたために,自分がどうすべきなのかが分からなくなってしまったのではないか?
久美子が部長として働いている間にも,真由は練習できたのだから,ただでさえ実力で上回る真由には勝てなくて当然である.
そのハンデをも覆したのが,麗奈から伝染した——こういう奴はそういない,珍しいぞという捻れ型の感受性によって生じた,麗奈の——「特別になりたい」という熱い気持ちだ.
久美子がプレイヤーを真由に任せて部長職に専念していたという解釈なら,そもそも部が分断する理由が——久美子が意味もなく和を乱す無能部長だからというほか——なくなってしまう.
そこで対立構造を維持するには,真由の人格を改変し,久美子←真由という逆方向への闘志を描く必要があった.
すなわち,深いトラウマを負ったせいで闘志を表に出せなかった真由が,——彼女の本心を見抜き,部長として自らを生け贄に捧げた——久美子によって救済されるという筋書きだ.
原作にない真由のコンクールに対する情熱が描かれたのはそのためだろう.
開型の真由が,すこぶる「優しくて母性あふれる雰囲気」なのは間違いない.
しかし「みんなの幸せを望んでいる」(みんなの話,p. 116)という——性エネルギの愛情昇華傾向による——純真な心が,捻れ型の闘志に置換されているのは,真由の人格を否定しているとさえ思える.
石原が真由たんのこと好きすぎ☆て贔屓してしまうのは別に悪いことではないが,そのために他のキャラを犠牲にして反感を買ったのである.
麗奈や滝はおもくそ嫌な奴に映ってたし,なんなら真由もけっこう嫌われちゃってたよ?
麗奈に関しては,「うれしくて… 死にそう…。」で万事解決と相なったが,「特別になりたい」という本来の目的が久美子に対して達成されることはなかった.
ただし,
という解釈は,著者のキャラクター造形法に則っている.
なお補完し合うのはくみれいだけでなく,ほぼ全てのペアについて成立する.
当然まゆくみも補完になっている.
「特別になりたい」ペアにおける感受性の補完については,いつになるか分からないが記事を改める.
後編では最終話についてメタ的に語っているが,特に私が興味を惹かれる内容ではなかった.
それあなたの感想ですよね.
花田は,次の投稿を最後にユーフォに関する発信を止めている.
花田の見立てでは,まさにここ大吉山の大泣きシーンでショックを相殺すれば,多少の反発は丸めこめるはずだったのかもしれない.
しかし,それはネットを甘く見すぎている.
原作ファンの悲痛な叫びは,瞬く間に X のおすすめ・トレンドを席巻し,未視聴勢・未読勢にも伝播して,批判を抑えることは不可能だった.
京アニ信者はそれに対し,ほとんど人格否定のような攻撃をしかけ——あまつさえ原作はご都合主義で予定調和のつまらないものだと下げるほどに——激しく対立した.
かくしてユーフォは,第3期世界大戦へと突入したのである.
ユーフォに限らず,原作を認めないのはそのアニメを存在から否定するのと同義だと,アニメファンも分かっているはずだ.
したがって,ユーフォ界隈が戦場と化した責任は,改変の必要性についての論理的な説明を行わなかったアニメ制作陣にあるといえよう.
これほど深い分断が生じたことで,なあなあで予想通りの最終話では収拾がつかず,評価は両極端に分かれた.
花田が第十二回で「込めました」と言って最終話でだんまりを決め込んだのも,自慢の改変ではあるが結末までは責任を持ちませんという意思表示のようだ.
5. ポリコレへの配慮
本章では,改変に影響を与えた可能性のある社会的な背景について考察する.
京アニの枠をこえた政治的思想に興味のない読者はスキップしてかまわない.
NHK では,深夜アニメとは桁違いのポリコレに対する配慮(コンプラ)が要求される.
これは,NHK が CNN をはじめ提携する国外の主流メディアの主張を受け売りする,プロパガンダ団体という側面をもつためである.
したがって,女だらけの水泳大会吹奏楽部が舞台のユーフォは,NHK 的には扱いやすい作品といえる.
蛇足だが,NHK が(再)放送したアニメ「宇宙よりも遠い場所」(よりもい)も少女たちの挑戦を描いており,余計な男は出てこない.
私も——ペリカンと同じく——よりもいは歴代でも最高峰の神アニメだと思う.
しかしユーフォと同じく構成・花田だったことを知り,なんとも言えない複雑な気持ちになってしまった.
ところがユーフォは百合小説ではないため,男もメインストーリーに組み込まれている.
そこで3期では,百合展開が誇張される代わりに,滝サンや秀一が冷遇されて影響力も小さくなっている.
一方で求は,
前作までの伏線の回収がストーリー上,必須だったこと,
緑を亡き姉に重ね,恋愛感情なしに「支えたい」と思っていること,
見た目が中性的で男らしさがないこと,
などの理由から,かなり優遇されている.
さて,叙述トリックのネタバラシとなるエピローグでは,イタリアンホワイトのヘアピンが秀一との関係を暗示している.
ところが肝心の復縁シーンは,ばっさりカットされてしまった.
結末を知っている原作ファンがアニメで見たかったのは,部長・副部長の役目から解放された直後の秀久美のバカップルぶりで,君ガ 12 話のショックから立ち直る最後ノ希望ダった.
久美子に1分も廊下を歩かせる暇があるなら,ヘアピンを改めて渡すシーンを削らなければ時間がたりないということはないだろう.
別れまでの恋愛模様は——別れのタイミングは新体制始動時の「部長の仕事に専念したい」→夏合宿中の「部活に専念したい」へと前倒しになったが——描いておいて,幸せの絶頂から秀久美を外すのは,まさに滝サンのようにブレていて一貫性がない.
青春の王道をゆく秀久美エンドはポリコレのふるいを通過することができなかったため,明示的には百合エンドとする必要があったのだろうか?
原作では,最後まで顧問は滝サンだった.
ところがアニメでは,滝の存在が確認できない代わりに美知恵が登場し——教頭は字幕で(教頭)のままで,久美子は「副顧問」と明言されているため——,顧問を滝から美知恵にミスリードしている.
これが男性リーダーを良しとしないポリコレ思想の表現だとすれば,滝サンに対する執拗な好感度下げにも得心がゆく.
あるいは中の人の不倫騒動も,滝を——原作ファンの不満が爆発することが明らかな——改変のスケープゴートとする一因となったのかもしれない.
話は逸れるが,ジョン・マカフィーの遺言で——2020 年の選挙前で,時期大統領が決定していないにも関わらず——9月に辞任すると予言された認知症バイデンの後任として,史上もっとも不人気な副大統領カマラ・ハリスや陰で傀儡政権を運営するジル・バイデン,オバマの夫妻ミシェル・オバマが選ばれるようなことになれば,この演出は女性リーダー誕生の予測プログラミング的でもある.
また NHK は,アメリカ大統領選挙の年に,(1年次から逆転して)保守派の指導者のような立場になった久美子が,「あのお熱いスピーチ」で部内の分断を解決した上で,(勝手に)革新派のエリートの神輿を担がれていた真由を,正々堂々のオーディションで上回って大団円,というシナリオも看過できなかっただろう.
一致団結すれば人は強くなるから,大衆のコントロールが存在意義であるメディアの日本代表・NHK としては,対立構造は永久に不滅ですあってほしいはずだ.
結果的に,音楽エリートの二人がソリを吹いて全国金という現実的な結末を——庶民の夢を玉砕した上で——視聴者に無理矢理のみ込ませている.
あるいは,京アニがカネのなる木ポリコレに擦り寄りすぎて,原作の改変が自己目的化しているのかもしれない.
そのくせ,上下型で貧乳の久美子が巨乳の美人になるというのは,ちゃんとルッキズムだから,本当に意味がわからない.
果たしてユーフォの改変は,資本主義の圧力が一切ない,京アニが自由意志で伝えたいメッセージを純粋に反映した結果なのだろうか?
6. 結論
私は今,ユーフォの体癖分析に傾注している.
それほどモチベがあるのに,3期は NHK という時点で嫌な予感しかせず,原作改変が X のトレンド入りするまで見ていなかった.
これは閉型の直観だったらしく,ショックが最小限に抑えられたので正解だった.
なお見出しのセリフは,奏の言葉選びが良すぎて選んだだけで,決して真由が嫌いなわけではない.
真由も,原作とは全く異なる解釈でキャラ付けされているから,むしろ改変の被害者の一人だ.
原作の真由は,奏をして
と言わしめる「裏ボス」(cf. あとがき)である.
さらに体癖は久美子の逆になっており,相互補完的な感受性をもつ「ダーク久美子」だった.
したがって,久美子が真由の考えを理解できないのは当然だ.
ところが,あえてミステリアスに描かれていた真由の背景を掘り下げたことで,アニメでは真由の救済が必須となった.
その結果として生じたひずみは,久美子が吸収せざるをえない.
これが,今回の改変の——うわっつらの——経緯だろう.
だから見出しの「あの人」は真由ではなく,表面的には滝サンである.
しかしそう仕立てたのは京アニだから,実質的には石原・花田となる.
ところが,その構成を検閲する立場にあるのは放映権をもつ NHK であり,京アニの一存ともいいきれない.
さらに,NHK の意思決定には——ポリコレへの配慮が必須であるという——社会的な背景が影響する可能性があり,その場合には独断というよりエコーチェンバーといった方が正確かもしれない.
いずれにせよ,真由や麗奈,滝サンといった魅力的なキャラクターたちが原作にない無駄な恨みを買ってしまったことについては,京アニのクリエイターたちにとっても不本意な結果だろう.
前作までと方針がブレているように感じるのも,ポリコレ的な打算が影響しているのではないかと思う.
したがって,これほどの根本的な原作改変に妥当性はないというのが私の結論である.
久美子の物語は完結したが,新たに短編集が出版された.
苦しかった最終楽章から一転,穏やかな答え合わせとなっている.
読者諸賢も,これを読んで傷心を慰められたい.
お時間をいただきありがとうございました. ❤️やコメント,シェア等,皆様からの応援が励みになります. 参考になった/もっと読みたい等あれば,ぜひサポートもよろしくお願いいたします.