小説「ずんぽこ」


ずんぽこは小学生である。
ずんぽこは本名を春家らいらというがこれを酷く嫌っている。理由は「全部外来語だから」という。かと言って日本語が特に好きなわけでもなく、好物であるプリンを皿に移す際のオノマトペから自身を「ずんぽこ」と称す様になったのだ。それはずんぽこからしたら独自言語なのだ。

ずんぽこは革命家である。イデオロギーはまだ無い。
ただ、それはずんぽこが無学故に自身の思想をカテゴライズする文法が見つかっていないだけであり、ずんぽこには独自の主義がある。
それは西側東側であるとか、右側左側であるとか、民主主義、社会主義、資本主義、主権国家的であるとか王権制であるとか、ましてかつての全体主義的なものとも一致しない独自のものであった。

ずんぽこは世界をひっくり返したかった。
だが別にずんぽこは世界を救いたいわけでも壊したいわけでもない。
全人類を犠牲にしてでも妹を救いたいのである。

「ずんぽこにゃー」
妹はずんぽこを呼ぶときにこう言う。
「にゃー」は「ちゃん」「くん」などに該当する敬称である。
ずんぽこの妹は妹であるが、ずんぽこ自身は兄とか姉の概念がないので、「にゃー」なのだ。兄と姉の中間をうまく取った発音という事で、ずんぽこ自慢の敬称である。

妹はずんぽこより5歳若い。
なのに思考能力はずんぽこより遥かに高い。
なのに言語能力が無く、周囲からはアホだと思われ、酷い扱いをされた。

ずんぽこは思った。妹はとてつもなく頭が良いのに喋りが下手だから周囲からアホだと思われ、暴力を振るわれる。ということはその逆もあるだろう。
けど自分がそのレースに乗るのはなんかキモくて嫌だなあ、と思った。

これはずんぽこの思想の原体験であり、やたらと言語を気にするきっかけとなった。

「ずんぽこにゃー、さっきばっさりした。きちい。ぐらっとしたやつ」

妹は言った。これは普通の人なら全く意味がわからないと思うが、ずんぽこには解った。
妹は何かしらの暴行を受けてきている。自分としてはそれが自分の弱さが原因だとは思うが、それが正しいとも思わない。社会が悪いわけでもない。そうでなく、こういった進化の仕方をした人類が悪い。そう言いたいのであろう。

ずんぽこは激しい怒りを覚えた。
そしてこんな複雑な感情をたったの数音で伝えられる妹の底知れぬほど高い知能に驚いていた。
妹の頭の中では一体どんな構造で考えが論じられ、どんな言語が飛び交っているのか。
にも関わらず、なぜ世の中はそれを理解できずに妹、そしてその妹を守る自分を虐げるのか、なんでこんなに世の中はバカなんだろうと思っていた。

ずんぽこが基本的に言語を嫌うのは妹に対する憧れがあった。妹がいて、自分がいるのだ。
そんなずんぽこが王や皇帝になりたいとは思うはずがない。
妹を帝とした立憲君主制国家はあり得るかも知れないが、妹もまたずんぽこを愛しているので、ずんぽこの上に立ちたいとは思わないであろう。
かと言って世の中を激しく恨む2人がみんな平等なパラダイスみたいな国を作りたいとも思わないである。

ある日の事である。
ずんぽこが妹と歩いていると、見知らぬ親父が近付いてきた。
「みたま」と妹が冷静な顔でいった。妹は親父のことを知っていた。親父の名前が「田村坂金太郎」である事も解った。

田村坂はずんぽこを見て嬉しそうだった。
そして「また遊ぼう」と言った。ずんぽこは直感で田村坂が妹に暴行を加えている事が解った。
それが解るとずんぽこは何だかむしろ冷静な気持ちというか、頭の上の方がなんもないみたいな状態になったのを感じた。

そして次の瞬間に田村坂は「バカだからわかんないか」と、ガキに言う感じで言った。
ずんぽこはその時もう完全に体の上の方が空っぽになった気持ちになり、田村坂の顔を思い切り蹴った。

蹴られると思ってなかった田村坂は仰天して倒れ、ずんぽこはうまいこと粗大ゴミに出されていた電子レンジで倒れた田村坂を声が出なくなるまで殴った。

妹が何かを言いながらずっと止めたが、その時ばかりはずんぽこには妹が何を言ってるのか理解できなかった。
ほどなくして田村坂は死んだ。
電子レンジは元の場所に戻した。ちゃんと札が張られていたので業者の人が回収してくれるだろうとずんぽこは思った。


ずんぽこは自分はきっと処刑されるだろうとおもった。
だが、捕まったずんぼこはよくわからん場所で思いのほか優しくされた。ご飯も出されて、ゲームとか本もあったりして、よほど妹と2人でひもじかった時よりいい生活が出来た。
だが全然嬉しくはなかった。

飯なんか菓子パンでいい、本もおもちゃもゲームもいらない、それより妹がいないのである。

ただでさえムカついているのに、優しい人達は色々な優しい事を言ってきた。
ずんぽこは次第に口を閉ざす様になった。
本はどれもつまらないものばかりだったので、自分の頭だけで色々な事を考えた。
そしてずんぽこは解っていった。世の中の仕組みを解っていった。
何にも影響されず、独自の言語で解っていった。
ある時ずんぽこは思い切り自分の言葉で優しい人たちに言った。

「まがしがるだ、こーちばしんが」

それはずんぽこ言語の完成形であり、アルファベットであれば数冊にも渡る言葉をたった二文にまとめたイデオロギーの完成だったのだ。
わかるように何度も言った。
だが、みんなは驚き、これは錯乱しているなどと極めて冷静なずんぽこはさらに長いこと幽閉された。

が、ある時突然ずんぽこは解放された。
外に出ると戦争が始まっていた。


ずんぽこは理解していた。
幽閉された世界で自身と向き合ったずんぽこは憧れていた妹に匹敵するほどの思考を手に入れていた。
おかげで妹と同じく言語能力が低下した様に思われたが、それはむしろ進化なのだ。
ここまで来ると、そういう喋り方にしかならないのだ。

どこの国とどこの国が思想の違いで戦争になり、それに同盟であるとか経済の繋がり、歴史的繋がりがあって今ずんぽこの国は戦争になった。
宇宙人が侵略しに攻めて来たので負けじと戦うみたいな分かりやすい戦争があんまない事はずんぽこは解っていたし、革命家のずんぽこに国民意識は気薄なので関心は全然無かった。
ただ、幽閉されていた自分と違って、みんなにはある程度の情報が入ってきたわけだし、いくらでも止めるなり賛成するなりのタイミングはあったはずなのに、何で戦争始まるまで呑気してたのかなあと思った。

けど人ってそんなものだよなあと思った。
だって自分は今から革命を起こすわけなので、自分や妹を虐げていたこの優れた思想が今から爆発し、これまでの文明は陳腐化するだろう。
すると突然自分や、その自分の最大の影響源である妹を崇拝し出すだろう。
もう殺してしまったけど、坂田村みたいな奴は永久に民衆の憎しみの対象になるし、ずんぽこの前の政権は社会悪の見本として廃絶されるだろう。
だけど、ずんぽこは民衆の事を決して愛したりだとか、見直したりはしないだろう。
「みんなバカだな」と、過去の自分たちへの評価を民衆に返すのだろう。

秦の時代の中華で民主主義を唱えれば「何でお前らにそんな権限があんねん」と処刑されただろう。
共産主義の思想は人を堕落させると現代ではギャグにされているが、文明が更に発展した先には資本主義がバカにされているかも知れない。
一方でマルクスは現代のソ連や中華人民共和国を見て「いや、そうじゃない」と言ってるかも知れないし、むしろ「いいぞ、その調子だ」と思っているかもしれない。
かと思えば今でいう民衆議会も資本家も既に古代ローマにいて、それを倒した事で帝政になったりみたいなわけわからん事例もある。

何となくの戦争、何となくの殺し合いを感じながらずんぽこは自身の思想の脆弱さも解っていた。
1000年後にはバカにされるだろうと。
ただ、はっきりとしていたのは妹と自分がこの現代では最も優れた思想を持っている事だけは確信していたし、なんならこの戦禍も革命に利用できるかもと思った。
ゲームをやり直すんだ、GDPなんか上がんなくていい。
むしろ自分達がゼロにするんだ。そっからやり直す。

ずんぽこはそう思って落ちていたライフルを持った。
こんなに簡単にライフルが持てる世の中になって良かったと思った。
自分なんか電子レンジで人を殺していたのだ。餅は餅屋、やはり人を殺す為に作った兵器は利便性が違う。

すると奇跡が起きた。妹がいた。知らない男と一緒だった。
賢いずんぽこはそれが妹の旦那であろうと理解した。
何しろ幽閉されてから数年が経っている。
妹もすぐに気づいた。目に涙を浮かべていた。
そして妹は叫んだ。

「らいらちゃん」

ずんぽこはびっくりした。ずんぽこにゃーではなく、自分が忌み嫌う本名で、日本語の敬称をつけられて呼ばれたことにびっくりした。
あの賢い独自言語と独自思考の妹が普通の日本語で喋りかけてきてびっくりした。

だがずんぽこは思った。
妹は何か更に先を行っているのかも知れない。
この戦禍で何かを感じたのかも知れない。
もしくは、旦那が更に頭良いのかもしれないと。
そうとしか思えない。だって今から革命を起こすのだ。
自分は最低な生きる価値ない坂田村を殺した。その程度で何年も幽閉された。
これからもっと人を殺す。
それは紛れもなく妹の為なのだ。
そのためのイデオロギーなのだ。

ずんぽこは大声で妹に叫んだ。
それはずんぽこの全てだった。
自分の思想を限界まで凝縮させた言葉だった。

「まぎまらだ」

妹は男の腕を掴んで言った。

「らいらちゃん、何いようと?」

(完)

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