寄り添うことがいいとは限らない


紳士淑女の皆様ごきげんよう。


ヨガを仕事にすると、というわけでもありませんが指導をすることが生活のベースになると必然的に”意見を伝える”立場になりやすいのが現実です。


そうなると何かと頼られたり、相談されたりするわけで。


そんな時に私が徹底して気をつけていることがあります。


それは、






寄り添わない





ということ。



この辺についてはしっかり暑苦しく記載をしておかなければなりません。




難しいんですけどね。



寄り添うって言葉はいいですが、寄り添っている自分に満足してしまっていることが多々あります。


どんなきっかけでそんなシステム障害みたいなのが起こってしまうのかはさっぱりわかりませんが、なんにせよ、足元確認が大事なのよって話ではあります。



どうして今日こんな記事を書いているかといえば、つい先日一つ年下の同業の女の子と飲む機会がありまして、先生を雇うって大変だよねー。なんて話をしていました。


彼女は地域密着型のスタジオの"長 "を任されており、もちろん経理の部分まで手をかけているわけですが。


話を聞いていると、よくもまあ頑張っているなぁと思うのです。


ただね、今回話をしながら、随分と反省をしました。


タイトル通り、寄り添いすぎてしまったのです。



自分意見を伝えすぎて、相手の意見を伝える時間や空気を奪ってしまったなあと。



もっというと、自分が伝えているそのこと自体に陶酔してしまったのかもしれません。










あーーーー恥ずかしい。










穴があったら入りたい。







随分と逸れてしまいましたが、母性が強い女性によくあることなんですよね。




特にそれって恋愛で顔を出しまくる。





でもさー不思議なもので。男性と女性って全く考え方が違うから、自分の思考にピントを合わせてしまうと本気でずっこける。



女性はさ、割となんでも話してほしいし、一緒に苦しんだり、一緒に楽しんだりっ最優先が"共感"ってことだと思うんですね。


だから、男性が悩んでいてポロッと何かを話してくれるとたちまち嬉しくなってしまって一緒に悩んで解決に向かおうとするでしょ。



しかし、男性って意見されると、自分自身を否定されたっていうか、頼りないのかなって思ってしまうんですって(厄介すぎーーーー!)



で、ですよ。



ここで、『寄り添わない』って思考が役に立つ。





あのねー寄り添っちゃうと共感になって恩着せがましくなりやすい。






(何もしないことを提供する、ってことも結構大事だったりするのよ。)




しかし、寄り添わないことをベースにすると、相手が今何を求めていてどうしてほしいか、そして今の自分はそれを提供できるかどうかっていう客観視ができるようになるんです。




引っ張り上げることができないのに、なんか助けてあげたいから聞いてあげる、みたいな事するとすごく鬱陶しいし、共倒れになるのは見えています。







誰かを救いたいって言っている人ほど、本当は救われたい人間なんですよね。





私は基本的には、誰かを救おうとも思ってないし、自分を救えるのは結局自分しかいないと思っているので。












〇〇してあげたい!って言葉の裏には私の思い通りなあなたであってほしい、が隠れていることにできるだけ気づいていきたいね。







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岡部悠加
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