腑に落とすってなんだろう?“理解”と“わかる”の違い


はい。本日もやってきました。


読み手に暑苦しく感じられようがウザく感じられようが書きたいことを書きまくって、その感情さえも読み手自身が責任を負えばいいと思っている私です。
さぁ今日も行ってみよー!


土曜日の夜。
こんな時間に読んでしまうあなたはきっと飲み会をドタキャンされたか合コンがおじゃんになったか、恋人と改札口で大げんかしたかしかないでしょう。かわいそうに。気の毒にと思っています。
しっかり同情をしています。


さて
本日の議題は



腑に落とすってどう言うこと?


です。

まず。腑に落とすとは

肯定形の 『腑に落ちる』 は明治時代の文献にも見られ、「納得する」 という意味で用いることは誤用ではないが、一般に 「腑に落ちる」 の形で用いられることが少なくなり、使い慣れない・聞き慣れない言葉を使われる違和感から、「正しい日本語ではない」 と誤解されることが多くなった。 腑に落とす、とは思考で理解することではない。



.......!?!?!?!?




腑に落とす、とは

思考で理解することではない。





わかりましたか。皆さん。


以上です。



嘘です。



要は、頭じゃなくて感じろよってことなんです。
Just feeling です。



これはよくヨガの講師や生徒の中でも話題になることですが。


あの先生が言っていることはなんか入ってこないとか、あの先生の言ってることは分かりやすくて納得ができるとか。


これって先生、生徒に限らず言えることではないですか?



じゃぁじゃぁ。

そもそも(大前提、その話の前に)よ。
どうしてその差が生まれてしまうのか。


そこで出てくるのが


理解 と わかる
の、違いなんじゃないのかね。

ここで言っている“そもそも”と言うのは“私が26年間生きていて、生きた経験のベースとなっている価値観の場合。”です。



理解

わかる 



分かりやすくヨガの話で行こう。 

ヨガのクラスで
ダウンドッグのときに手は目一杯広げて〜マットをしっかり捉えて〜とよく聞くワードですよね。 

なぜそれをしなくてはいけないのか。
なぜそれをする必要があるのか。 

”理解“をして説明をしていますかね? 

ここなのよ。 

どうしてそこにそれをする必要があるかを理解して、体で感じる。
ここが伸びるからそれをする必要がある。って言うのを、あーなるほど。と感じること。 

ここが腑に落ちていく段階でしょ? 

なぜそれをしなきゃいけないのか説明もできないのにそれを伝えたところで、 

受け取り側は 

???? 

まぁ先生が言ってるからそうなのか。 

で終わるわけですよ。 

オッカナイオッカナイ。 

オッカナイったらありゃしない。


頭で物事を勉強し、わかる。 


手足を動かして、なるほどねと理解をする 


実際に整理整頓をして作用を感じながら腑に落とす。 

難しいよね。うん。簡単じゃない。 

でもものすごく必要なことですね。 

ちなみに。 

私のクラスではダウンドッグをする時に目一杯手のひら広げて。とはアナウンスしないです。 

なぜかは、、、、、 

ふふふ。 

内緒😁✌️ 


土曜日の夜もダラダラと書いてしまいましたが。
少しでもハッとする人間が増えますように。目一杯のエゴを込めて。


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