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第三章:支援

夕方になり、村中を覆っていた喧騒がなりをひそめた頃合いを見計らって、村人たちはおそるおそる、それぞれの家から様子を伺いに人を使いに出し始めた。
九星の家でも、隣の家の様子を家の者に見に行かせたりして、ようやく、この村が海賊に襲われたことが明らかになったのである。
東の浜には、海賊たちが残していった焚火の後が散見され、それを見とめた村の者は、海賊たちは二十はいたろうと当たりをつけた。
突如として村を襲った海賊たちによる被害は甚大で、各家から数体は死人が出るほどであった。
村を留守にしていた男衆たちが事の全貌を知ったのは、この日の黄昏時になってからであった。
目の前で息絶えたけんぼうとみっちゃんは、それぞれの家へと知らせが出され、夜半になり家族が遺体を引き取りに九星の家にやってきた。
九星はそれぞれの家族に、二人の最期の瞬間を伝える役割を負った。
一太も、二人の最期を知る者として、九星の傍らにあった。
この夜、村長の一人娘であるみっちゃんが死んだことにより、家で不幸のある村長の家には集まることはできないという理由で、村で二番目に大きな九星の家に村のおもだった者たちが集められた。
そんなわけで、昼間、網が広げられていた大広間には、今は村中の男衆が集っていた。
室内は魚の油を灯した灯りが、さきほどから隙間風にゆらめいて、部屋の壁に人影を落としている。
表に面した木戸には、海賊たちが出ていった頃から降り出した雨が、今もその足を速くして打ち付けていた。
「みな、静かに」
ざわめき立っていた場を、村長の一言が鎮めた。
「皆、聞いてくれ」
不幸のあった村長が場をしきるのには忍びないとの理由からか、村で二番手にある九星の父親が、皆の顔を見渡して口を開いた。
「今日は大変な日であったと思う。亡くなった方には心よりお悔やみを申し上げる。しかし、そう落ち込んでもいられないのだ。おそらく海賊どもは、再びこの村を襲いにくる」
その言を聞き、場内にどよめきが走った。
史実としては、この時代、有力な在地領主・神人などの特権を得た沿岸住民などが、経営活動の合間に略奪をしていることが明らかになっているが、文字も読めない島の住民たちがその全貌を知ることはなかったに違いない。
実際は、多くの者が、最近この瀬戸内を乱暴者が跋扈しているとの噂を、風の便りに聞く程度だったと思われる。
伯方村の住人たちも、まさか自分たちの村が襲われることになるとは、予想だにしていなかったのである。
九星の父は続ける。
「そこで、何か策のある者は、何でもいい、言ってくれ」
この言を受けて、今度は場がしん、となった。
「策って言ったって、おいらたちに何の力があるっていうんだ」
どこかからそんな声が飛んだ。
皆が互いの顔色をうかがって、だんまりを決め込んでいる。
どれほどの時が経ったろうか、甲高い声でこんなことを言う者がいた。
「平氏たちに助けてもらったらいいんじゃない」
場内の大人たちの視線が、その声の主、一太に向かった。
傍らの一太に注目が集まったことを受けて、九星は「ちょっと一太」と、一太を小突いた。
「平氏の偉い人に、助けてもらおう」
一太は集まった視線を受けて、声高に言った。
それを受けて、大人たちは各々好きに口を開き始めた。
一気に場内がにぎやかになる。
「静かに。一太、ありがとう」
九星の父が言う。
「どうですか、村長」
九星の父は、傍らに座った村長にうかがいを立てる。
このころ、平氏といえば、平忠盛が日宋貿易に直接介入するようになり、いよいよ権勢を誇るようになるのであるが、当然ながら村の者たちはそんなことは露も知らない。
せいぜい、海を渡る船が増した、くらいにしかとらえてはいなかった。
それでも、一太のような子供が知っているくらいには、「平氏」の名は、この地にも轟いていたのである。
「うむ」
村長は、一呼吸置いて、口を開いた。
「いいと、思う。一太の案でいこう。すぐに一番近い平氏の棟梁に、使いを出すんじゃ」
わっと、場内がわいた。
一太は大人たちに「やるじゃないか」と肩を叩かれたりしている。
それを見て九星は、無性に腹が立っていた。
「調子に乗ると痛い目みるからね」
気づくと一太に向かい、そんな言葉が口をついて出ていた。
「大丈夫。九星がいるじゃない。いざとなったら九星を頼りにするから」
「ははは、こりゃあ、いいや」
九星と一太のやりとりを受けて、周囲の大人たちがどっと笑った。
九星はかっと顔を赤らめた。
九星はその場にすっくと立ちあがると、一太の顔も見ずに建物の外に飛び出して行った。
外は雨、しとしとと冷たい霧雨が、昼間から続いていた。
猛烈な怒りが、九星の内から湧き上がっていた。

翌朝、天気はからっとした秋晴れに恵まれた。
一夜明け、村では弔いの準備がせっせと進められていた。
その傍らで、男衆は、これも昨夜の一太の発案で、村じゅうに海賊向けの罠を仕掛けるために動き出していた。
発案者である一太と、その場に居合わせた九星も、男衆に混じって朝から罠を拵えていた。
女子供は弔いの支度に追われていたが、その様子を、九星の家にあって、源貞観はじっと眺めていた。
「伊代、村は昨日海賊に襲われて大変だったみたいだねぇ」
貞観は、いまだ目の覚めない傍らの妻に向かって語り掛ける。
「昨夜、耳をそばだてていたらね、海賊はまたこの村に来るらしい」
伊代は目覚めない。
「このままここにいても殺されるだけじゃあないかな」
貞観は、宙をじっと見つめる。
「僕に考えがあるんだ」
貞観はそう言うと、ほどいていた帯を締め、外行きの恰好へと衣服を改めた。
四半時後、貞観は村人に尋ねて、村に唯一の稲荷神社へとたどり着いていた。
「さあて、うまくいくかな。若い頃に一度見たきりだけれど」
そう言うと貞観は、九星の家でもらってきたおにぎりを社に備えると、「おおん」と一声鳴いた。
「残りの呪は忘れてしまったなぁ」
そう言うと、一心に、社の前で手を合わせて祈った。
かれこれ半時はそうしていたろうか、ふいに、貞観の周囲に風が起こった。
「おお」
貞観が周囲を見渡すと、落ちていた木の葉が四方に高々と舞っていた。
「おおん」
とにかくこの言葉しか知らないため、一心に口に唱える。
貞観の体が紫色に光り始める。
すわ、一瞬のちに、風も光もぴたりとおさまった。
かと思うと、社の扉が開いており、そこに一人の人物が鎮座していた。
見た目はもう五十になろうかという老爺である。
「あ、安倍一色《あべのいしき》様でいらっしゃいますか」
貞観はおそるおそる尋ねた。
「いかにも」
一色は「いただきます」と言って、おにぎりに手を伸ばしている。
「君は、十年以上前に会った、大和の国の若者だね」
貞観の顔がぱっと明るくなる。
「いかにも。もうすっかり年をとりました。覚えていておいでですか」
「ほんのりと、ね」
もぐもぐとおにぎりを頬張る老爺である。
「それで、どうしたの、私を呼び出したりなんかして」
貞観は、病に伏せる妻のこと、また村が海賊に襲われ、再び襲撃に遭う可能性が高いことを言葉を尽くして説明した。
「なるほどねぇ」
「一色様なら、不思議の世界にお住まいの方故、なにか妙案を授けていただけるかと思いまして」
貞観は、すがるような視線を一色に向ける。
「私は既に人ではない身。人の世を捨てた身であるから、ね。あまり肩入れはできないのだよ」
おにぎりを食べ終えた手を狐のように舐めながら、一色はこともなく言った。
「そんな」
「私の寿命も近いのだよ。何もしてやれることはないねぇ。察するに、お連れの方の寿命も近いと見える」
「はい……」
そう言われ、貞観は口をつぐむ。
「殺される前に、いっそ妻を殺して自分も死のうかと……」
貞観は、絞り出すように告げた。
「自ら死ぬるは大罪ぞ」
老爺はぴしゃりと言う。
「それでも来世でもう一度再び会えることを願って」
貞観は力なく無造作に放り出した手元に視線を落とす。
「そうか、それは、お疲れ様だねぇ」
老爺の目は、笑いもせず泣きもせず、ただ貞観をじっと見定めている。
それを受けて、貞観は一度目を閉じ、再び開くと、にっと笑いこう言った。
「わざわざお呼び立てしてもしわけありませんでした。もう会うこともないでしょうが、お体にお気をつけて。ありがとうございました」
「そう。ではね。おにぎり、ありがとうねぇ」
そう残すと、次の瞬間には、一色は既に消えていた。
「人ならざる者に未来を託そうとするとは、浅はかであったか――」
そうつぶやく貞観の頭上には、抜けるような青空が広がっており、冷たい風が全身を抜けていくのであった。

「おかえり。正式な呪でもないのに出ていくなど、珍しいこともあったものだ」
目の前の狐が語りかける。
「古い知り合いに縁のある者でございましたので」
一色がこたえる。
「また無理難題を言われたのであろう」
「いえいえ、おとなしいものでございました」
表の世界と寸分違わない、けれども人だけがいない世界を見やって、一色は目を細める。
「人として生を受けたからには、私もまた輪廻の中におるのやもしれません。死の間際にそうしたことを考えさせられました」
「そうか、ゆっくり休め」
「まだまだ、世の中を見たく思いますがこのあたりでおいとまします、ね」
一色はそう言うと、静かに目を閉じた。
しばらくして、その呼吸が完全に止まると、一色の肉体は霧散霧消し、魂だけが、次の世へ渡っていったのであった。
一色の生涯は、人知れず、人の世ならぬ世で終わりを迎えることとなったのである。

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