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SF小説は人を幸せにする!?

しゅんしゅしゅんです。

「SF映画やSF小説は、人を幸せにするんだって」

と聞くと

「ええ、そうかな~?」

と思いませんか?

SFといえば完全なるエンタメであって、刺激的で好奇心をくすぐるものであっても、”幸せ”のようなほっこりした感覚に結びつくようなものではないと、僕は思ってました。

でもどうやら、SFは人を幸せにするようです。なぜなら、SFは日常の当たり前の有難さに気づかせてくれるから、です。

「日常の当たり前に気づくことが、なんで幸せに繋がるのん?」については、一旦そういうもんだと思ってください。(詳しくはこのnoteを読んでくれると嬉しい)

このnoteでは、「日常が失われたコロナ禍は苦しいけど、日常の有難さに目を向ける好機なんだー」と言ってますが、「コロナ禍ならわかるけど、平和な日常の中で有難さにきづくためにはどうすればいいの?」にはふれていません。

その答え自体はシンプルで、非日常の世界に身を置くことで、日常を非日常として見ることだと思います。

ここで、やっとSFに戻ってきますが、非日常に身を置くトリガーがSF小説なのだということですね。

このSFの役割については、近内悠太さんの著書「世界は贈与でできている」の中に、このような感じで書かれてます。

SFはこの世界の何かの摂理を壊した世界を描くことで、「この世界が安定し、昨日と同じような今日がやってくる」ことは必然ではないと伝えてくれるのです。

例えばSFとしての「テルマエ・ロマエ」は何を教えてくれるのか、主人公のルシウスはローマ帝国の時代から現代へタイムスリップし、現代日本の卓越した風呂文化にいちいち驚愕し、ローマ帝国へ持ち帰ろうと興奮する。

ルシウスの驚愕のひとつひとつは、現代を生きる我々に何が与えられているかを教えてくれるのです。

ああ、SFにはそういう見方があるのかあと素直に感動しました。

コンビニの陳列棚の商品、自動販売機、電車の定時運行、清潔な衛生環境、高度な医療体制などなど、ジョージアのCMじゃないけど、世界は誰かの仕事でできていることに、無数の恩恵を受けながら生きていることに、気づくってことですね。

途端にSF小説が、読みたくなってきた。

非日常を体験することが本質だとすると、行ったことのない街に行く、食べたことのないものを食べる、自分にとって異質な人と会う、海外に行って文化の違いを味わう。これらの体験も、SF小説と同価値をもっているはずです。

こういった行動って、自分の視野を広げる、価値観を変える、知的好奇心を養うといった文脈では良いことの認識はあったのだけど、日常の有難さに感謝するための文脈とはつながってませんでした。

途端に旅に、出たくなってきた。

日常を愉しむために、非日常を愉しみたいです。
面倒くさがらずにね。



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