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12_春の夜湯 -永石温泉(別府)-

 うららかな春の日、ひと足早く大学の友人たちが卒業した。久々に会う顔ぶれはたくましくてかっこよかった。えんじ色のガウンと角帽がよく似合う。
 
 食事を楽しみ、夜もふけ、ひとりの時間になった。今日は帰り道にどこかの温泉に行こうと決めていた。海岸沿いの10号線から永石通りに入る。すぐ左手に湯屋が見えた。半分ほど開いた窓から湯気がこぼれる。今日の気分はここではない。次の機会に–、と声を漏らして素通りした。この辺りは街灯も少なく、夜に一人で歩くにはちょっぴり怖い。音楽を聞いて気分を紛らす。
 
 五叉路の中心に建つ趣のある木造建築。お目当ての湯屋に到着した。
 
 
 永石(なげし)温泉。単純温泉。市営温泉。ジモ泉。別府で一番有名なジモ泉といえば竹瓦温泉だけれど、ここも竹瓦に匹敵するほどの昔ながらの温泉の雰囲気を強く感じるお湯屋だ。
 
 入口にかけられた深みどり色ののれんをくぐると、番台さんと目が合った。こんばんはと挨拶を交わしてお金を払うと、はいこれ、入浴券ね。切符サイズの小さな入浴券を手渡された。入浴券を買って渡すことはあっても、支払いの印に入浴券をもらうことは無かったから新鮮だった。
 
 男湯はここから入ってくださいね。番台さんは右手ですぐそこ、と目の前にかかるのれんを指さす。のれんをめくると引き戸が出てきた。
 
 引き戸そのものが少し低い位置になっていて気づけなかった。引き戸をくぐると、そこには開放的な浴室が広がっていた。
 
 
 浴室は半地下構造になっていて、上が脱衣所、階段を下るとすぐに浴槽が出迎えてくれる。左手側の一段上がったところにある小さな脱衣所スペースが気に入った。服を脱いで、昔ながらの体重計に乗ってみる。目線の先の丸い文字盤で赤い針がカタカタと揺れる。食べたばかりでちょっとだけ増えていた。もちろん全く気にしない。
 
 
 手すりのついた階段をゆっくり降りて浴室へ。
 
 階段のわきに積み重なった洗面器を一つ取る。ジモ泉によっては、備え付けの洗面器が置かれていなかったりするから、自分で持ってきておいた方が安心だと聞いたことがある。家から湯屋をめがけて行くときは、自分のものを持っていくようにしているけれど、今日は出がけの立ち寄りスタイル。こういうときは、現地の湯屋でお借りする。
 
 3月下旬。日中は暖かくても、夜はまだちょっぴり冷える。ひぃい。床がとびきり冷たい。浴槽からお湯をすくい、座る場所にざぶんとかける。腰を下ろしてまた湯をかぶる。おお、やや熱い。くたくたな身体に染みわたる。21時前という良い時間だからなのか、今も湯のなかに一人、浴槽のまわりでは三人が湯を囲んで身体を洗いながら談笑している。
 
 知り合い同士が出くわすと、酒場のように会話が弾む。
 
 
 さあさあ、ようやく浴槽へ。おっと、思っていたより深いんだな。お尻をきちんと床につけると、あごのあたりが水面になる。くつろぎながら、改めて浴室をゆっくり見渡す。建物の外観は木造だけれど、浴室の半地下部分はタイル調のコンクリートになっている。半地下の良いところは、天井が高く見えるおかげで予想以上に広く感じることにある。建物の雰囲気、ちょうど良いこじんまりさ。一番好きな共同温泉に出会ったかもしれない。瞬間的にそう思った。
 
 
 普段、ジモ泉に行くときは頭は極力ぬらさない。ドライヤーが無いからだ。今日はもう遅かったから、頭も洗った。
 
 風呂上がり。風邪ひかぬよう、しっかりと拭き上げる。
 
 帰り道、まだ身体はポカポカしている。春のうたを口ずさみながら、昼間のことを思い出す。うっすらと、一年後の姿を想像する。先のことは分からないけど、きっと、たぶん、大丈夫。
 

 季節がめぐり、7月になった。
 
 偶然、永石温泉の前を通ると、入口に七夕が飾られていた。色とりどりの短冊は見えても、願い事が書かれているかは分からなかった。
 
 星に願いを、そっと唱えた。



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