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一所懸命なことを笑わぬよう

【写真:北海道・函館市】ラビスタ函館ベイの朝食はビュッフェ形式であった。海鮮丼のバリエーションがすごい!(私は海鮮丼一切食べない人間だけど)


こんばんは。

今日、とあるアンケートに答えていて、自由記述欄に思ったことをズラズラと書いていたときに、ふと思ったことがある。それは、「こんなに一所懸命になっちゃって、馬鹿らしいのではないか」ということだ。

それに関連して、卒論の質問紙調査を実施したときのことを思い出した。自由記述欄に、かなりの長文を書いていた回答があったことを、思い出した。そして私は、それを「こんなに大真面目に沢山書いてる(笑)」と馬鹿にしたような気持ちで見ていたよな、と。

このように、何かに対して、他の人と比べて突出して力を入れて取り組んでいる人に対して、何となく馬鹿にするような気持ちになることがある。逆に、メンバーの中で自分が突出して力を入れそうになったり、力を入れていると認識したりしたとき、何だか恥ずかしいような気持ちになることもある。

これはなぜだろう?一所懸命にやっても、結果としてうまくいかなかった(うまくできなかった)(下手だった)場合、「頑張ったのにできなかった奴」と思われるかもしれないから…だろうか。

でも、一所懸命にやっている人の努力を笑うことは誰にもできないということに、数カ月前に気づかされた。まず、この記事を読んで、ハッとした覚えがある。

完成品や結果そのものに関しては無理に褒める必要はないが、その工程をあざ笑うのはよろしくないという点に、かなり同意した。

また、斜に構えていては成長しないという話を、以前「オンラインキャリアセミナー」で聞いたことがある。「何かに対して一所懸命に取り組むという経験は、誰にとっても宝になるぞ!」とのことだった。何かに一所懸命になると言う経験は、それがどんなことであっても、きっと素敵なことだろう。私もこれまでの経験(ex. 弓道部、受験勉強等)を顧みてみると、確かにそういった経験は今でも宝物となっている。良い意味で、自分を作り上げる根幹の一部を成しているといえる。

一所懸命であることは、その結果はどうあれ、素敵なことだ。だから、何かに対して他の人よりも突出して力を入れて取り組んでいる人を、笑わぬように気を付けよう。それと同時に、自分も一所懸命にやりたい、やろうと思ったとき、思う存分やってやればよい。今後とも、これをより一層意識していきたいと思う。

ではまた。明日(もう今日だけど)も素敵な一日になりますように。


関係ないけど、最近知ったもの

HafH:ホテル暮らしに関するサービス。
Whim:北欧発の、移動に関するアプリ。
muute:ジャーナリングアプリ。現在使ってみてるところ。

ご清聴ありがとうございました!

サポートはお気遣いなく。スキしていただけると感無量です。