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好きな情報ばかり偏食してない?

小さい頃は誰しもが、『好き嫌いせず満遍なく食べようね』と言われたかと思う。要するに野菜も食べなさいと。

その理由も簡単で、”健康に良いから”とか”大きくなるため”とか、まぁ色々正当な理由があるわけで。

それで最近思ったのは、「情報と栄養は同じ」ということ。

大人になり一人暮らしをして、毎食何を食べるか自分の判断だけで決めることができるようになると、不健康的な太り方をする人も多い。”選択肢が増える”ことは大人になると伴う特権であると同時に、自制できず楽な方に流されてしまうと、無意識のうちに偏ってしまう危険性も孕んでいる。

色んな食材や調理法を駆使して健康に気を使ってくれる親や管理栄養士の存在は偉大だ。だってこちらは出されたものを食べているだけである程度健康を保てるから。そしてこの考え方を情報に置き換えてみると、大分不健康な人が多いのではないか?と感じる。そして情報には大きく2種類の偏りがある。

①まずは、情報源の偏り。つまりどの媒体から情報を受けやすいかということ。最近だとネットニュースに偏りがちな人が多いと思うが、他にもテレビニュースや新聞、ワイドショーなど様々。媒体にはそれぞれ特徴があるし、例えば新聞だけにフォーカスしても、新聞社ごとに同じ事象に対しての捉え方も異なる。どこの情報が良い悪いは好みの問題だが、好みがあるということは、見方によってはつまり偏っているということだ。

だから『最近のテレビニュースはどこも同じでつまらないから見ない』とか聞くと、少し不安に思う。確かにその意見には同感する面もあるが、自ら情報源を遮断し、そこで目を閉じてしまうことは情報の偏食への第一歩だ。

②次に、情報の種類の偏り。経済、社会、政治、スポーツ、芸能など様々あるが、やはりここでも偏りは禁物。しかし意識しないと簡単に偏ってしまうのも事実。「政治は興味ないから~」とか言ってる人は「ピーマンは苦いから食べたくない」と主張する子どもと一緒。

また、時代の恩恵を受ける面もある。ピーマン嫌いの子のために、ピーマンを細かく切って肉に混ぜたり、皮で包んで見えないようにすると言った工夫を凝らすように、本来であれば取っかかりにくい情報を、分かりやすく説明した動画がYouTube上にあったり、本の種類も多彩である。

ここで一つ注意。加工食品は食材本来の栄養が損なわれている可能性があるが、情報も一緒である。同じ情報でも、人の解釈や要約の仕方によって伝わり方が変わるし、自分がその情報(栄養)を吸収する頃には、事実(本来の栄養素)から大分かけ離れていることだってある。ネットニュースなんかはその最たる例だ。タイトルで釣って内容はスカスカとか、情報源も不明瞭という可能性も大いにある。

幅広くニュースに関心がある場合でも注意することはある。まず、検索機能やオススメ欄は万能ではない。過去の検索履歴から、自分が好みそうな記事や動画が勝手に上に表示されるし、再生数や閲覧数は人々の関心や本当に価値のあるものを正しく表す方法とは限らない。

そういう意味でもニュース番組を流し見するとか、本屋を適当に歩くとかいう類の「情報の受動的な取得」にも意味がある。もちろんその際には結果的に意味のない情報もあるが、偏りを防ぐという意味では一定の効果がある。


私たちが日常的に受け取る情報量はネットの普及と共に膨大になり、それは何千年も前から進化していない人類の脳では処理しきれないという。選択できる自由は一見すると便利だが、制御できなければ危険も伴うということ。自戒の念を込めて。


Shingo

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