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肌で感じる文化の違いと国民の定義について🇩🇪

あなたが道路を渡るところを
想像してください。

おそらく渡る前に右を向きましたよね?これは車が左側を走行しているため、横断者はまず右側に注意を払う必要があるからです。「右見て、左見て、もう1回右見てから横断歩道を渡りましょう」って小さい頃に教わりましたよね。

しかし車が右側走行のドイツでは、この常識は通用しません。初めてドイツ旅行をした際にこの違いに気がついて、「こんな細かいレベルで常識が違うのか!」と驚いたの鮮明に覚えています。

だって何も考えずとも(何も考えていないからこそ)道路を渡るときには勝手に右を向いちゃうし、体に染みついているこんな些細なことから違ったら、もう何もかも違うはずです。

これを文化の違いって言うのかは少し疑問ですが、今回は僕が生活レベルで感じた、「あぁ、日本と違うな」って瞬間のお話と、そこから生まれた考えについて話していきます。

①エスカレーターで

ある時、地上から地下鉄のホームへ繋がっている下り用のエスカレーターが動いていませんでした(ドイツではよくあることです)。急いでいる人のためにエスカレーターの片側を空ける慣習など存在しない国なので(多分)、上り用のエスカレーターは混み合っています。そこへ見るからに急いでいる人が電車から降りて来ました。その人は混んでいる上り側を見た途端、止まっている本来下り用のエスカレーターを駆け上がって行きました。

まず日本では、エスカレーターが止まっているなんてことはほとんどないかもしれませんが、その人が取った行動は「急ぐ」という目的に1番適した選択だなと感心してしまいました。もちろんルールやモラル的な問題もありますが、仮に同じシチュエーションが日本であっても、誰も駆け上がって行く人はいないでしょう。だって「下り用」って決まっていますから。

②レジや電車待ちの際に

スーパーのレジに並んでいたときに、閉まっていた隣のレジが開きました。日本だったら「2番目でお待ちのお客様こちらのレジへどうぞ」ってなりますよね。でもドイツではもう早い者順です。

また電車を待ってても、ドアの場所なんて地面に表記されてないから並ぶなんて概念がまずありません。電車が来たところで、順番に入ろうとしない人もまぁ普通にいます。自分のことより、まずは他人に迷惑をかけないように生活する日本では見られない光景でしょう。

③サッカー観戦にて

ある4部チームの試合を観に行ったときのことです。試合中に相手チームの応援席から花火が上がりました。

この日の試合は月曜日の20時半からキックオフで、相手チームの街からこの会場まで車で1時間半はかかります。ある放送局の都合により、このように観戦するには不向きな日時になってしまったらしく、サポーターは激怒。花火のせいで試合は一時中断してしまいました。

もちろんサポーターの怒りも理解できますが、試合が中断してしまっては自分たちが応援してる選手にまで迷惑がかかります。でもそんなことはお構いなしに「ふざけんな!」って主張して、そのあと普通にまた自チームを応援していました。日本では絶対にありえないですよね。個人的には国民性を感じまくって、最高だなって思ってしまいました(笑)

国民の定義ってなに?

少し話が逸れますが、例えば日本語を話せなくて、日本の教育を受けておらず、日本の文化も知らないけど、血縁的には純日本の人をあなたは「日本人」と見なしますか?

その逆で、見た目は完璧にヨーロッパの人だけど、ずっと日本で生まれ育った人はあなたにとって「日本人」ですか?

日本なら大抵の場合「見た目」と「言語」で日本人かどうか判断できますが、移民の多いドイツではもっと複雑です。もちろんパスポートや公的な書類によって形式的には判断できますが、「〇〇人」っていう定義は感情を持つ人間にとって、そんな紙切れで済むほど優しい問題ではありません。

元ドイツ代表のメスト・エジル選手は、トルコ系移民の背景を持つサッカー選手です。

2018年W杯でドイツ代表が予選敗退に終わった際に、彼はものすごい非難を浴びました。そのときに彼が残した言葉はとても印象的でした。

「試合で勝てばドイツ人、負ければトルコ人」

これは彼がドイツ国民からどのように扱われているかを、シンプル且つ正確に表現しています。また、ドイツ代表を選んだエジル選手に対して、トルコ国民からの非難の声もあったそうです。

大きな例えにはなりましたが、本当に人によってバックグラウンドは様々ですし、それに苦しんでいる人が少なからずいることは事実です。

おれって日本人なんだな

先ほども述べたようにドイツは移民大国のため、「ドイツ人」という定義は非常に難しいですし、その行動をした人が一概にドイツ人とは限りません。つまり「ドイツ人は列を守らない」とは言い切れませんし、日本にもそういう人は少なからずいますよね。また例えば、右側走行なのはドイツだけではなく、オランダやベルギーにおいても当てはまることです。

よく日本の友達から「ドイツ人ってどんな人?」って聞かれますが、その度に思うのは「本当に人それぞれだし、そもそも『ドイツ人』の定義もよく分からないし、一概にこう!って言えないな」です。

だから僕が文化の違いを感じる度に思うのは「ドイツやドイツ人は〇〇だな」ではなく「おれって日本人なんだな、日本で生まれ育ったんだな」ってことです。

道を渡る際に右から見たとき

前に人がいたらなんとなくその後ろに並んだとき

電車が5分遅れただけでイラッとしたとき

休み時間が終わる前に着席したとき

歩きタバコや吸殻のポイ捨てを見て嫌な気持ちになったとき

感謝の気持ちを言う際にお辞儀したとき

全部自分が「日本のことしか知らない日本育ちの日本人」だったから気になったり、勝手に体が動いてしまった結果です。それと同時に、本当に狭い常識や世界の中にいたんだなと痛感する毎日です。

別に何が良い悪いの話をしたいわけではありません。ポイ捨てする人でも良い人はいますし、お辞儀しても気持ちのこもってない人だっています。だから結局は人としての魅力がどうかってことが僕にとっては大切なんだと気がつきました。

文化の違いを感じる度に、自分に対しては「日本で生まれ育った日本人だな」って感じて、他人においてはそもそも国民の定義ってなに?って思って、でも結局そんな曖昧なことより、1人の人間としての魅力の方が大事じゃん!って気づいたお話でした。

「人は鏡」と言いますが、「他者」や「自分にないもの」を通して、初めて自分とは何者なのかが分かるような気がします。

また比較文化において、僕の意見は「約1年間ドイツで生活している留学生」というフィルターがかかっています。もっとドイツ歴が長い人だったり立場が違えば、自ずと見え方が変わってくるでしょう。

扱うテーマが難しいと、話が上手くまとまりませんね。面白いと思っていただけたり、何かの参考になれば嬉しいです!気軽に感想やご意見をお待ちしています。今回も読んでいただきありがとうございました!

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