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ここが変だよ、日本!

日本へ帰国して1か月が経ちました。ドイツにいた頃より時間の流れが速く感じます。

さて今回ですが、少しキャッチーなタイトルにしてみました。しかし別に海外に染まった日本人にあるあるの、

「これだから日本はだめなんだよ」

「海外ではこうだったぞ」

的な日本批判をしたいわけではありません。

ただ、生まれ育ったこの国を1年間離れた後に(たった1年間ですが)、改めて今この土地で生活する中で感じる『違和感』にも近いものを、違和感と感じるうちに言語化しておこうと思います。

①姿勢が悪い

特に電車に乗っていたり、人混みを歩いているときに『胸を張っていない人が多いな』と、漠然と感じます。

専門的な知見は知りませんが、姿勢の悪さは精神面にマイナスな影響を与えると聞いたことがあります。

男性の平均身長が180cmを超えるドイツでは、176cmの僕でも小さい方ですし、女性を見上げることもよくあります。そんな高身長で溢れる街中を歩くときは、自然と姿勢を意識しましたし、そうすることで少し自信を持てていた自分もいます。

ものすごく浅はかな比較ですが、

・姿勢が良くピシっとしているドイツ人→明るく愉快

・猫背で憂鬱そうな顔をしている日本人→疲れ切った顔

楽しくなくても笑顔でいればハッピーな気持ちになるように、良い姿勢とポジティブなマインドはセットでしょう。

②「感謝」<「謝罪」が飛び交う国

スーパーのレジで前に1人だけいたので後ろに並んでいました。3分もせずに僕の番が来て、そして第一声が、

『お待たせして大変申し訳ありません』

店員さんが、僕を待たせたことを本気で申し訳ないと思っているわけではないことくらい僕も分かっています。テンプレとして言っているわけです。

それにしても、違和感。

だって別に僕は待ったつもりもないし、生活において待ち時間が存在することなんて当たり前。

ドイツでのレジの流れを思い出してみると、、、

まず列に並び、ベルトコンベアに商品を置く。後ろの人との商品の間に境界線棒を置く(正式名称は知らないけど個人的にそう呼んでいた(笑)。自分の買う物はここまでですよ、と示すための棒状の物)。※ちなみにどれだけ列が混んでいようが店員さんは同僚やお客さんとの会話も挟みながらマイペースに仕事をこなす。

自分の番が来たら店員さんと『ハロー』とか『おはよう』と挨拶して、がさつに流れてくる商品をバックに詰めていく。お金を払ったら別れ際に『さよなら、良い1日を!』と言って、店員さんからは『ありがとう、あなたもね!』と。。。

レジに限らず、ドイツで生活する中で飛び交っていた単語は間違いなく『ごめんなさい』ではなく、『ありがとう』でした。

そんな生活から離れた今、すごく居心地が良かったなと心から思います。

③プラスチック大国

これは言わずもがなですが、日本は本当にプラスチックを使い過ぎです。

『たったそれだけのものに何枚プラスチックで包むねん!』ってことばかり。

ドイツでは環境への意識が平均的に高く、それを理由にヴィーガン(菜食主義者)になる人も少なくないです。

また環境汚染に対してのデモ活動もドイツではよく起こりますが、日本の日常的な意識の低さを目にすると、彼らの取り組みがアホらしく思えてしまいます。

ゴミはしっかり分別する、コンビニやスーパーではマイバックを使う、マイボトルを持ち歩くなど、、、

個人レベルで取り組めることはいくらでもありますよ。

④争いごとが嫌いな国民性

日本のおもてなしの精神ってすごいですよね。

でもこれって「お客さんの方が店員さんより偉い立場」って考えが根底にあるから成り立っている気もします。

「親と子」、「先生と子」の関係でも親や先生の方が偉いから子は従うし、怒られるのが嫌だから無条件に言うことを聞く子が育ちます。

そういう一方通行な関係の弱者側にいる人は、訳はともかく謝ったり、自己主張しなくなります。でも本当にそれでいいんですかね。

これは僕の考えですが、恐らく自分を勝手に上の立場だと勘違いしている人は、相手に対するリスペクトがないんだと思います。

人間誰だって間違えるし、偉い人だって所詮人間です。大事なのは、双方の関係で良いものを作り上げていくことなはずです。

お互いに自己主張をすれば、ぶつかることもあるでしょう。でもそれから折り合いをつけたり、ときには自分の非を認めて人は成長するし、何か有意義なものが生まれていきます。

自分を偉いと勘違いしている人は、自分の悪いところを指摘してもらえるチャンスを潰しているし、逆に下の立場になってしまっている人は、「争いごと」から得られる成長の種を逃していることになります。

それこそまさに日本人が好きな言葉の「もったいない!」ことです。

人としてどうあるか

日本ではこれが正しいとか、そういう国民性だからしょうがないとかじゃなくて。

もっとシンプルに考えて、『ごめんね』より『ありがとう』と言われた方が気持ちがいいし、自分が正しいと思うことははっきりそう言った方がスッキリします。ただそれだけのことで、その方が人間らしいです。

最近のコロナウイルスの影響で、アジア人が海外で受けた差別の話をよく耳にします。でもだからって一概に『○○人は差別的だ』となるのは、それこそおかしなことです。

まだドイツにいた2月のあるとき、ドイツ人の友達に『最近よくコロナと差別を受けるよ』と言ったところ、その友達は次のように言ってくれました。

『そういう可哀そうな人は世界中どこに行っても一定数いるもんだ。そいつは差別をすることで、お前の良さを知るチャンスを逃しているから本当に可哀そうな奴だよ。おれはお前の良いところたくさん知ってるぞ』

この言葉がどれほど嬉しかったことか。そして彼のこの言葉に全てが詰まっていると思います。

自分がどういう人間であるのか。それを日々どのように振舞っているのか。

改めて見直してみるチャンスです。苦境に立っているときこそ、その人の本心が現れます。

今回はこんなところで終わりにしたいと思います。 

また読んでいただけると嬉しいです。

大変な時期ですが、それぞれが力強く、協力し合っていきましょう。

少しでもより良いものを作っていきたいので、「スキ」や「コメント」もお待ちしています。