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【往復書簡エッセイ No.7】噛み合わない会話、届かない声

レラちゃん、こんにちは。

アレ語! すでに私のなかにも芽があります。

前回の話は耳が痛かったよ。とっさに言葉が思い出せないことが増えて、焦っているので。

レラちゃんのお母さんが言う、お互いに話半分で聞いてそれを許容し合っている関係性は、人生の先達ならではの境地だね。

一方で子ども世代の私たちは、コミュニケーションは滑らかさが正義、と思い込んでいるのかもしれない。

今回は、そんな私の思い込みが炸裂した、義父とのコミュニケーション不全の話をお届けします。


噛み合わない会話、届かない声

義理の父(夫の父)が3年ぶりに来訪した。70代前半の義父はアメリカに住んでいる。コロナ前は年に一度の来日が恒例だった。

久しぶりに会った義父は、元から聞こえの悪かった耳が、さらに遠くなっていた。ふつうの大きさの声はほとんど聞き取れないようだ。補聴器は使っていない。

そんな状態でも10時間以上かかる国際線に乗って、はるばる訪ねてくれるのはありがたい。けれど耳が遠いと、会話もままならない。何とも歯がゆいものである。

コミュニケーションが成立する唯一のパターンは、義父からスタートする。彼が思いついたことを何か言い、それに対してこちらが一言で済むような単純な返答をすること。耳元で思いっきり大きな声で話しかけられれば、一応は聞き取れるようだ。ただし返ってくる言葉が義父の想定内であれば、という条件付きで。

義父はいつも、日本に到着した翌日は一人で都内をぶらぶらする。日本語が話せなくても特に問題はない。一応の目的地は定めるが、ほどよく街歩きができればどこでも構わない。なので私にお勧めの場所はないかと訊いてくる。

検索して、東京都写真美術館を勧めてみた。訪ねるのに正確な名前が必要だろうと、英語名を義父に伝える。トーキョー・フォトグラフィック・アート・ミュージアム。すると……

「フォトグラフィックの前は何だって?」

「東京」

「何?」

「東京だよ!」

「え?」

こんな単純な言葉がなぜ通じない?! 英語じゃないのだから、私の発音のせいでもあるまいに。何回も言わせないでと思いながら、もう一度、声に力を込める。

「トーキョー!!」

「は?」

あまりの通じなさにイラ立ちの暴走スイッチが入った。私は破れかぶれになって、TOKYOのアルファベットを一文字ずつ叫んだ。

「ティー・オー・ケイ・ワイ・オー! トー! キョー!」

けれども、わめき声は虚しく空中に消えて行った。義父はまだ意味が分からないという表情をしていた。

「叫んだって意味ないじゃん。スマホの画面をグランパに見せれば?」それまで黙って私たちのやり取りを見ていた高校生の息子が言い放った。

ハッと我に返る。冷静な息子の前で、恥ずかしさに身を縮めた。通じさせようと熱中するあまり、意地になって怒鳴ったりして。義父があまり気にしていない様子なのが救いだった。

この三人で広島を旅行した。義父のたっての希望である。

宿は広島駅前のビジネスホテルを取った。二部屋に分かれ、義父はシングル、息子と私はツインルーム。同じ階だったが、部屋の位置は離れていた。

食事や外出をするときは、私たちが義父の部屋のドアをノックすることにした。「X時ごろに声をかけるね」と。

約束の時間が近づいてドアを叩いた。ところがまったく反応がない。そうだ、彼は耳が遠いのだった!

声を出して呼んでみた。最初は遠慮がちに、次第に音量を上げて。

「グランパ? グランパ!」

室内を動く気配はあるが、こちらの声は聞こえないらしい。ホテルの廊下であまり大声を出し続けるわけにもいかない。自分たちの部屋に戻って内線電話をかけてみたが、やはり気づいてくれない。

息子と私の間であればスマホにメッセージを送るところだが、義父はテキストメッセージを使う習慣がない。そもそもスマホ自体を日本で使っている様子もない。

為す術なく部屋の前をうろついていると、ひょっこり外に出てきた。「あー、よかった!」

集合時間を分単位までキッチリと決めておけばよかったのだろうが、学習しない私たちは、旅行中にこれを何度も繰り返した。それでも待ち合わせの約束がある場合はどうにかなった。

本当に困ったのは、用件があって義父を部屋から呼び出そうとしたときである。一通りのことはやってみた。ドアをノックし、「グランパ!」と声を張り上げ、内線電話をかける。もちろん返事はなかった。

偶然に室外に出てくるまで、このままドアの前で待ち伏せるしかないのか?

ふとドアの下の方を見ると、わずかな隙間があった。紙一枚が通りそうなくらいの。

これだ! 急いでメモ用紙にメッセージを書き、ドアの隙間から室内に滑り込ませた。

20分後、メモを発見した義父が私たちの部屋にやってきた。呼び出し成功。2020年代とは思えないアナログなコミュニケーションに、我ながら可笑しくなった。

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