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なにもないのは一瞬でいい

ノンデュアリティでも
十牛図の八枚目でも
頭が真っ白になった、でも
夢から醒めるでも
「なにもない」のをみれるのは
一瞬だ

だから
表現するなら「垣間見れた」だ
「ちらっと」一瞬みただけで十分だ

つまりは
「一瞥体験」とやらは、それであって
それだけのことだ
「真っ白」は一瞬しか見れないのだ
だから
真っ白を永遠に主張するのには無理がある
確かに真っ白は永遠にあるけれども
それを主張すると、余計に永遠ではなくなる


話を戻して
十分なのはなぜか

「なにもない」を
一旦「真っ白」とさせてもらうが
(さっきからしてるが、改めて)

真っ白を3秒でもみたら
真っ白なんてわからなくなる
真っ白なんて1分も見ていられないのだ
見えなくなるからw
真っ黒か真っ暗になるかもねw

真っ白がわかるのは
黒が一瞬みえなくなった時だけだ
黒が一瞬みえなくなったのを見続けるときには
真っ白はない

わぉ
言葉の限界?w

黒が最初からなかったら
真っ白に気づいただろうか
真っ白を認識しただろうか


さて、ここから

ノンデュアリティでも
十牛図の八枚目でも
頭が真っ白になった、でも
大事にしたがる「真っ白」体験だけれど
垣間見たものを大事にしすぎると
「世界は真っ白であるべき」だとか
「ホントの世界は真っ白なんです」とか
「なにもないのが本当」となりがちだ

なにもないのが本当…w
「本当」が泣くw居場所なしw
なにもないのが本当というのを
叫ぶなにがしかがいる時点で
本当がないのだけれど
その時に「なにもないのが本当」って
消え入りそうだねw

ま、どうでもいいかw

また、話を戻して
真っ白を存在させるために
あらゆるものがある
夢が夢であることがわかるためには
夢の中にいなくてはいけない

「ないでしょ!」と叫んではじめて
静寂がわかるのと同じだ

「ないでしょ!」と叫んだ時点で
静寂がないのがわかるのと同じだ
ないでしょ、ないでしょ叫ぶなよ!とツッコミたくなるが
叫んでくれたおかげで
「うるさいな」ともなるわけだw

やばいやばい、話がズレそうだし
長くなりそだw


世界は真っ白、は
成立しそうで、それだけでは成立しない仕組みだ
だから、真っ白の上にある
様々なものたち、それぞれが「夢」であったとしても
様々なものたちのおかげで「夢」とわかる

この2行の違いがわかるだろうか

世界が真っ白になることを望んでも無理だ
そんなことにはならない
イエスですら引き返した
一瞬還れば十分だ
なのに、「ずーーっと還り続ける」こと、または
ずっと真っ白でい続けることを提唱しだすと
すぐ破綻するだろう
だれも居続けられないからだ

そうでしょう
真っ先にあなたを排除しなきゃ、真っ白にはならないw

居続けられないのをわかっていないと
自分ごと、いや
世界中を連れで
世界を破壊したくなるだろう
「ミンナキエテナクナレ」

真っ白を邪魔するヤツらとの
新しい戦いが始まる
または、誰の透明度が高いか
透明度が高いと白が透けて見えるので、という
選別が始まる
消えてくれないから、せめてもこれくらいは透けてくれという、何重にも妥協した案で落ち着こうとする

あ、これデジャブった
のか、前にも書いたのか?
まぁ、いいか

相変わらず戦うのだ
相変わらず一部しか受け入れないのだ

一瞬の出来事を
永遠にしたがるのだ
永遠にあるものをみずに
代用するのだ

ここで立ち返る時が来た
分離はしてない
分離は夢だと
分離をみて
分離は夢だと覚めながら
安心して眠る
夢をみる

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