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悟りの段階

ファーストリテの入社式で
柳井さんが
新入社員に向けて
「無知の知を知って欲しい」
「耳は口の2倍あるのだから、聞くことが大事」
的な話をしたとか、をニュースでみた(と思う)

で、
まったくもって「そうだ」と思う
「知らない」という位置にいることを自覚するのは大事だ
だから、「知りたい」に動く
決して全部を「知れない」としても…だ

そして
話すことより聞くことのが大事だ
「傾聴力」なんてのもあるからね

ただ、これは分けさせてもらうなら
世間の話だ

出世間では
これはマスターが肝に銘じる話だ

これくらい「違う」よ


すっ飛ばした感があるので
ちょっと段階を踏ませてもらうとすれば
あ、ちょっとその前に

これまで「段階」を嫌ってきたのを
やめようと思う

どうやら、段階はあったほうがいいからだ
ま、それも後になれば?「なかった」となるのだけれど
そんなこと言ってもしょうがないし
逆に固執してたと反省する

禅でも「小悟」「大悟」って分けてんでしょ?
白隠禅師だっけ?
道元禅師だっけ?まぁ、いっか

で、段階だけれども

「苦しみ」はあるだろう
ただ、それはトランスフォームが可能だ
だから、抱えているならトランスフォームするのをみてほしい
固定化されていないのをみてほしい

「快い」はあるだろう
ただ、それはトランスフォームが可能だ
だから、抱えているならトランスフォームするのをみてほしい
固定化されていないのをみてほしい

「ただみる」というのは
極力「関与」をやめることだ
関与したくなる衝動に慣れてほしい
そして、関与しないで
ただみてほしい

そうすれば、死ぬほど小悟は訪れるから

「ただみる」ことが
関与したくなる衝動に負けてしまうのなら
それは「すでに起こっている」のだから
ただ感じてほしい
溺れるままに感じてほしい
そしてトランスフォームする瞬間まで感じてほしい
それをしかと感じたら

死ぬほど小悟は訪れるから

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