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利他的な行為とは利己的な行為である

利他的行為とは相手の利益を優先すした行動だ。
電車で席を譲るなどの行為がそれに当たる。

しかし、これは本当に利他的な行為なのだろうか?
もしかしたら譲った本人は承認欲求や自己肯定感のために席を譲ったのかも知れない。
すると、周りから利他的に見える行為も、行為者からすると利己的な行為であるといえる。

そうすると利他的な行為は不可能なのではないかという疑問を抱くが、そんなことはない。利他は可能である。行為者がその時に与えていることを意識しなければ利他的な行為となる。

例えば、あなたは同窓会で懐かしの友人に会った際にこんなことを言われるとする。
「あの時のお前の言葉に救われたよ〜」
しかし、あなたはその言葉を贈ったことは覚えていない。(このようなことは人生で往々にしてある)
この場合、あなたは相手を助けるいう意識のないままに相手を助けたことになるため、承認欲求などが介在する余地はない。このようにして利他は成立する。

ではこのような利他的な行動をするにはどうすればいいのか。
私の出した回答は親切の習慣化だ。
考えてみてほしい、みなさん歯磨きは毎日するだろう。
しかし、わざわざ歯磨きすることを意識するだろうか?今日は歯磨きしようかどうか悩むだろうか?

つまり、人間は習慣化するとその行為に対する感情が薄れ、無意識化するものなのだ。
ここから導き出せるのことは親切を習慣化すれば無意識な贈与、つまり利他が可能であるということだ。

例え、初めは承認欲求があったとしても、それを続けていくうちに恥ずかしさやドギマギは消えるはずである。
多くの人がこの贈与を行うということは受け取る人も増えるということだ。この正の連鎖が世界を包むことを夢見ながら筆を置きます。

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