朱禪(しゅぜん)

日常の中で思いが現在、過去とぐるぐる行ったり来たりしています。 未来は先回りも約束もさ…

朱禪(しゅぜん)

日常の中で思いが現在、過去とぐるぐる行ったり来たりしています。 未来は先回りも約束もされないので、 今と過去を見つめたゆるりとした日記です。

最近の記事

すばらしい人たち

これまでに出会ったなかで 最もすばらしい人たちは、 挫折を経験し、苦しみ、闘い、 敗北し、どん底から這い上がってきた人 たち。 こういった人たちは、感謝することを 知り、敏感で、自分なりに人生を理解しているから、思いやりと優しさ、それに心から心配する気持ちをもっている。 すばらしい人になるのは 簡単なことではない。

    • 継続

      継続 つづける 意思に基づき継続する 私たちの日常で 継続していること 継続しようとして、続かないこと はあります。 意思に基づきと申し上げましたが 「意思は心を統括する最高裁判所だ」 と、書き留めたのは 哲学者であったブルース・リーさんです。 継続には、意思が伴いますか? 継続できないことに、意思は伴いますか? どちらも、自分自身にしか わからない意思(感情、とらわれ) があるかと思います。 意思を保ち続けるのは わたしは、難しいな…と思うときが あります。

      • 空②

        前回は、空(くう)に思うところを 書きました。 容器(コップやグラスでもいいです)は、 空(から)でないと用途をなしえないとも 申し上げました。 心の容器も同じで あらゆる感情であふれでていると それ以上、その容器には新たな可能性や 事象、視点は入らなくなるでしょう。 瞑想は、心をおだやかにし、 何も考えない(容器(心)を空っぽにする) 状態といえるかと思います。 すでに、実習あるいは練習している方も 多数いらっしゃるでしょう。 また、この空っぽの状態は 表層意識で

        • 空(くう)

          空(くう)、空間 自分の心を容器とすると そこには、なにが入っているのでしょう。選択、問題、やること 支払い、日常生活の段取り 正と負が交錯した情動 心(脳)は分析や判断をしたがります。 もし、これらの分析や判断、予想、 想定で、その容器がいっぱいに なっていればどうなるでしょう。 容器は空っぽでなければ その用途とは、なりえないのでは ないでしょうか? 意識的な無心と言うと 瞑想というものが思いおこされます。 無心を潜在意識といっても いいかもしれません。 瞑

          過程

          人はそれぞれがそれぞれの 人生の過程を経ます。 過程と結果を思い浮かべると 結果重視が、昨今の状況かもしれません。 ここで、ふと立ち止まってみると 結果に向けて、努力、練習するのか 結果ではなく流れ続ける水のように 川の流れが、海に辿りついたところを 結果と思わずに、ただそこにあるように。 そして、絶え間ない人生の流れを 過程と考えてみるのはどうでしょうか。 過程を経るとき スムーズに流れる 困難に出くわす 嬉しさも悲しみもあり 時には怒りや失望もあるでしょう。 そ

          障害物

          人が生きていくうえで 必ずおこる障害物 人間関係、経済的困窮、病、怪我 事故、災害…… 意図的、非意図的であってもおよそ 障害物に合わなかった人は いないと思います。 障害物は、障害物として ただ存在します。 角度を変えてみても、裏返しても 障害物はそこにあるだけ。 私たちは、それにどう反応するか ではないでしょうか。 障害物があっても、なくても 変わらずに在るのは 今、この瞬間の意識だと思います。 どう感じているのか? 今に意識を集中し 自分になにが起こったのか

          時間の切り売りについて

          5月末ころから、はたと筆がとまった。 SNSといってもわたしは、ツィートかgooブログ、このnoteに細々と日々感じたことや、いま考えていること、あるいは過去に遡り、その時の自分自身との対話(会話)などを、綴ってきた。 なぜ止まったのか? 難しく考えてる訳ではない。 むろん、顔は見えずと言えど なんらかの、表現をする以上は 画面の向こうにいらっしゃる方が いらっしゃる。 わたしの、拙い文章を時間を割いて 読んでくださるのだ。 それらに対して、文責というのもある。 顔が

          時間の切り売りについて

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          スィートホーム大阪

          ロバート・ジョンソンのスィートホームシカゴを思い出すと、桑名正博さんがなぜか頭に浮かんだので。笑 桑名さん、歌うまいねー💛

          スィートホーム大阪

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          小説感想 小川国夫 「求道者」

          小川国夫自選短篇集 あじさしの洲 骨王 短篇集に含まれる 「求道者」 作者の夢をみた体験から 書いたとあとがきにある。 文章や言葉つかいに、難しさはない。 が、たびたびその言葉と言葉の 間に立つ「言葉」に、はたと、読み進める のをとめてしまう。 情景描写や心象描写は、写生的で センテンスも短く、簡潔であり 難解な表現はないのだ。 にも関わらず、わからないではなく 読み手が、とどまってしまう。 すると、小説内の文字が 立体的に「立ってくる」 (あぁ…そうやったんか…)

          小説感想 小川国夫 「求道者」

          小説感想「三たびの海峡」 帚木蓬生

          文庫本の奥付きをみると 1992年とある、30年の風月を重ねた 作品だ。 釜山でスーパーマーケットを 3店舗経営する、ある老実業家が 主人公。 彼の過去と現在が入り乱れた回顧録、 告白記の体で物語は進む。 そして「事実こそ小説」と信じて 疑わなかった故吉村昭さんの言葉を 反芻しながら、500頁近い長篇であるが ほぼ、一気読了となった。 昭和17年、18年の戦時下に 慶尚北道に暮らす17歳の主人公 「河時根(ハシグン)」は、肺に持病をもつ 父親が戦時徴用となる知らせを受け

          小説感想「三たびの海峡」 帚木蓬生

          趣味

          趣味 好きなものに触れる 好きなところへ行く 好きなことをする 責任感ありきではなく 自然と手にとるもの 心地よい時間 時間を忘れる 苦痛を感じない 見返りを求めない 趣味と頭に浮かべると こんな感覚だろうか ぼくは、多趣味ではない 銭湯に行く 酒を飲む 直感でえらんだ小説を読む 銭湯や酒は生活の中の、一部とみると 趣味ではなく 単なる習慣とすると 直感での小説が、唯一の趣味 だろう。 世の中には、紙、電子問わず 情報や文字が、それこそ スマホ1台で、清濁合わせて 奔

          読書感想 「猪飼野詩集」 金時鐘

          何故、この本を読もうと思ったのか と自分に問うと 精神的に凹んでいたでしかないと思う。 詩集もまた、断片的に拾い読みを したことがあっても 皆無に近い。 作者の金時鐘(キンシジョン)さんは もう90歳を越える方である ずいぶんと前に 梁石日(ヤンソギル)さんが 金時鐘さんをモデルにした 「大いなる時を求めて」という小説を上梓 され、読んだことがある。 梁石日さんと金時鐘さんは 同じ、猪飼野出身で 金さんが年長で兄弟のような盟友と 言える関係だろう。 梁さんの、エッセイ

          読書感想 「猪飼野詩集」 金時鐘

          言葉にならない 何かを抱える 伝える、伝わるでもなく 内なる自問自答 かと言えば すらすらと言葉が溢れでる そんな時もある 何がそうさせるのか わかったものではない 言葉とはではなく 書く、話す、読む全てに言葉は つく それを表現するのが出来ないのも 人の内面だと思う。

          言葉にならない 何かを抱える 伝える、伝わるでもなく 内なる自問自答 かと言えば すらすらと言葉が溢れでる そんな時もある 何がそうさせるのか わかったものではない 言葉とはではなく 書く、話す、読む全てに言葉は つく それを表現するのが出来ないのも 人の内面だと思う。

          小説感想 「ジニのパズル」 崔実(チェ・シル)

          もしも、自分が作品の主人公と 同じような環境、境遇なら どのように、その時代を感じていただろう。 作者の崔実さん(チェシル)は 1985年生まれの在日コリアン3世 ぼくとは、20年近くの違いが あるが、同じ3世となる。 小学校まで、日本の学校に通い 中学から東京の十条にある 朝鮮学校に転入する主人公「ジニ」 言葉(朝鮮語)がわからない 団体行動に馴染めない 小学校時代に、かすかに親近感を 持った生徒に 「汚い手で触るな」と言われ その意味がわからず じっと、その手を

          小説感想 「ジニのパズル」 崔実(チェ・シル)

          訛り

          こわんたべた~?(ごはんたべた?) おかさん、おる?(お母さんいてる?) とんかすふたつ、ちょといちば まわてきます(とんかつふたつ、できるまで市場いってきます) 最近、年が寄ったのか 夜中に目覚めたり、独り銭湯に 行き、ぼぅっとしてるとよく一世達を 思い出す。 冒頭の言葉は、その一世達の 「訛り」だった。 「ご」と小さい「っ」、おかあさんの 「あ」は伸ばす音は苦手だ。 生活するのにいっぱいいっぱいで 文字や文法を教わるよすががなかった 一世達は、稀にほぼ完璧な日本語を

          読書感想 鷺沢萠 ケナリも花、サクラも花

          鷺沢萠さん 1968年生まれ ご存命ならば、ぼくの妹と同じ年齢 である。 いまは、鷺沢さんも妹もこの世には いない。 鷺沢さんが韓国へ半年の語学留学に 行った際の、心の体験記、紀行文 いや、心の独白かもしれない。 鷺沢さんは、祖母さまが韓国の血を もつ、クオーターであった。 両親はお父さまがハーフ(帰化したのかな)お母さまは日本人で パスポートは日本国であった。 戸籍上は日本人である。 1993年に、渡韓したが そのころの、外国人登録法では 外国人登録の更新の際、指紋

          読書感想 鷺沢萠 ケナリも花、サクラも花