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定年後フリーランス☆二足の草鞋ならびにフリーランスについて①

 私は現役サラリーマンの時代、ずっと〈二足の草鞋〉を履いてきた。〈二足の草鞋〉は、昨今よく使われるパラレルワーク(複業)とは、違う。パラレルワーク(複業)のうちに含まれるという見方もあるが違う。パラレルワークは
二つ以上の仕事にいずれも本業として携わる働き方。対して〈二足の草鞋〉は、本来両立し得ない二つの仕事(いずれも本業)に携わる働き方。広辞苑には、博徒と十手をあずかる仕事が事例として記されている。広辞苑に記述された事例ほどではないにせよ、〈二足の草鞋〉はまったく毛色の違った二つの有償の仕事をしている状態を指す。

冒頭に〈現役サラリーマン時代、ずっと二足の草鞋を履いてきた〉と書いたが、最初から〈二足の草鞋〉を履ききろうと意気込んでいたわけではない。確実にきっぱりと仕事と仕事以外のやりたい事(道楽の類)を切り分けた生活を意識し、じっさいそのようにしていた。きわめて合理的な思考、振舞いを要求されるサラリーマン(民間企業に帰属する労働者)稼業に偏向して心身が疲弊し行き詰らないようにと、きわめて不合理な道楽(俳句)を対置してバランスをはかった。

ただ、ひたすら楽しんで没頭していた道楽(俳句)が、三十歳を過ぎたあたりから自然と〈お金〉になりはじめ、三十代半ばあたりには、かなり固まった〈お金〉を手にすることもあって(当時の給料(手取り)に肉薄することも)、これは道楽ではなく仕事だな、いわば〈二足の草鞋〉を履いているな、と意識するに至った。

〈二足の草鞋〉の〈一足の草鞋〉ともういっぽうの〈一足の草鞋〉に優劣、軽重はない。たとえ実入りの差が歴然としていても、どちらも大事な仕事(稼業)である。ただ本心を述べると、大学を出て新卒で入社した会社(地方金融機関)の〈一足の草鞋〉よりも、道楽(俳句)から進展した〈一足の草鞋〉のほうが、私の人生では重かった。いわば会社勤めのサラリーマン稼業はライスワーク、俳人稼業はライフワーク。だからと言ってライスワークであるサラリーマン稼業を適当にやっていたということは天地神明に誓ってない。実入りはサラリーマン稼業のほうが断然よく、それで生活していたから必死であった。でも今に至って、結果として俳人稼業の〈一足の草鞋〉だけが残り、フリーランスとしてそれをメシのタネ(厳密にはメシのタネ全体のかなりの部分)としている。サラリーマン稼業の〈一足の草鞋〉は、つまるところ私にとって一生をかけて探求するに値するものではなかった。かたや俳人稼業(つまり俳句という詩形式)は一生をかけて探求するに値するものであった。たやすくは食えない俳人という〈一足の草鞋〉を支えるために、比較的たやすく食えるサラリーマンというもう〈一足の草鞋〉をかなり長く履き続けた。


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