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〈その他大勢〉のひとはフリーランス一本でやってゆくのは止めたほうがよい。

 表題の視点についは、ここまでマスメディアやオウンドメディアでちょくちょく見かけてきたから今更かもしれない。ダメ押しながら、私自身の体験的実感から少し書いておきたい。

当該記事は、〈その他大勢〉のひとに向けてのものである。因みに〈その他大勢〉とは、〈選ばれしひとびと〉以外のひとびと全てである。〈選ばれしひとびと〉を分かりやすく言うと世間一般に認知された〈著名人〉である。さもなくば〈天才〉か〈天才的〉なひと。

〈その他大勢〉のひとが、フリーランス(ひとり商売)ただ一本きりでやってゆけないとは言い切れない。が、誰にも免れがたくやってくるさきざきの老境期の姿を想像するに、私はあまり明るい気分にならない。

昨今の〈その他大勢〉組のフリーランスのひとびとの様子をみていると、羽振りの良いひともじり貧のひともひとしなみに、単発あるいは短有期の刹那仕事を、ハムスターが必死に回し車を漕ぐように無心にやり続けている印象だ。それらの仕事の多くは企業を中心としたいろいろな組織から切り出されたもの。もともとその組織内の誰かがやっていたものだ。だいたいは業務効率化(コストカット)のために切り出される。企業の事業運営に関わる仕事に限ってみても需要自体は溢れるほどあるだろうが、その需要に群がる供給側も溢れるほどいる訳で。受発注の対象となるそれらの仕事に、難易の差による希少価値は生ずるだろうが、発注側・受注側双方の諸条件の変化もあって、いずれ自分以外の誰かにとって代わられる可能性はかなり高い。(もちろん誰かがやっていた仕事に取って代わることもあるが。)〈切り出された仕事〉でかつ〈期限の定まった仕事〉は、詰まるところ〈下請け仕事〉である。〈下請け仕事〉をうまく繋いで死ぬまでやり切る幸運なケースもそれなりにあるだろうが、自分自身の劣化(陳腐化)と後続世代の追い上げとでいずれ先細りする。

それでは〈下請け仕事〉ではなくオリジナルなプロダクト(商品やサービス)を以ってすれば、発注主ともっと対等に先細りせずに最後まで生き長らえることができるかと言えばそううまくはゆかない。これとても現状維持だと陳腐化必至だから絶えず更新してゆかねばならない。自分自身の劣化と後続世代からの突き上げは〈下請け仕事〉と何ら変わりない。

〈下請け仕事〉でゆくにしても〈オリジナルなプロダクト〉でゆくにしても、フリーランスは不安定で、これ一本きりでゆくにはかなり危うい。「自分は〈その他大勢〉組である」と認識しているひとは、少なくとも、若い頃からいきなりフリーランス一本でゆくのはやめたほうがよい。ほどなくして(場合によってはほぼいきなり)じり貧に陥って、その段に到って雇ってもらうにしてもキツイところしか残っていなくて、そんなところを短期に転々として、完全に防戦モードとなり疲弊してどんどん底のほうへ沈んでゆき、詰む。(経済面での庇護者が存在する場合はまったく別であるが)。昨今は、大きな企業においても若い世代に対して「暫くは大目に見て育成してゆこう」という意識は薄くなっているが、フリーランスはハナからまったくない。フリーランスは若いもベテラン(年季の入ったおっさん)もないオープン戦だ。さしたるサラリーマン(雇われ)経験のない、新卒に毛の生えた程度の若者は、社会の修羅場をひとつふたつ潜った、海千山千の手練れのおっさんにはさすがに負ける。(おっさんが若者よりも経済的に余力があるというのもひとつある。)

そんなことでまずはサラリーマン(企業に雇われる)とフリーランスの二本立てでゆくのがよいかと。入り(新卒スタート)はサラリーマンで数年、みっちり無心に下積みをして基礎(ビジネスマナーすごく大事)を身につけ、銭金蓄えつつ、少し余力がでてきたならばフリーランスとしての仕事、〈下積み仕事〉ではない〈オリジナルなプロダクト〉を開発して実績をあげられる(つまり銭金を稼げる)よう励む。以降、サラリーマン稼業を軸としながらフリーランスの仕事の質と量を充実させてゆく。質とはプロダクト(商品・サービス)の開発と精度向上。それと発注主と自分(受注者)の間に信用をしっかりつくるということ。サラリーマン稼業とフリーランス(ひとり商売)の二本立てでいった場合の質・量の割合の推移はひとによって違う。必ずしもフリーランスへの転向ありきでゆかなくともよいかと私は考える。フリーランスの質・量が順調に充実してゆき、サラリーマン稼業に取って代われると確信したらフリーランス一本に転向したらよいが、サラリーマンとフリーランスの二本立てのままでゆき、企業を御役御免になるのを契機に、自然とフリーランス一本きりの状態になるのもよいかと。きわめて現実的には〈その他大勢〉組のひとの落ち着きどころは後者かと。

私はサラリーマンを御役御免(退職)になって、さらにお国から不労の金(公的年金)をいただく身なので、以下の記述はとりあえずその年代のひとを前提とした話になる。
サラリーマン稼業を長くやって、雇われ先から御役御免(退職)になった時、運がよければそこそこかたまった金(退職金)をいただける。さらにサラリーマン御役御免(六〇歳ぐらいが多いか)から五年ほどして、不労の金(年金)が国からいただける。サラリーマン御役御免(退職)から不労収入発生(公的年金受給)までの、巷で言われているところの〈空白の五年〉の生活の糧のこしらえ方は数種類ある。ひとつは再度、専ら何処かに雇われる。正社員、契約社員、パート、アルバイト等々。ひとつは雇われながら、並行してフリーランス(業務委託契約)をする。ひとつは専らフリーランスをする。

 ただいま既におっさん(実質はおじいさん)フェーズの私はといえば、比較的若い頃(三〇代半ば)からサラリーマンを軸としながらフリーランス(ひとり商売)との二本立てとなった。瞬間風速的に月の実入りが雇われ先から貰っている給料(手取り)を上回ることもあったが、多大なる費用発生(子供の養育・住宅ローン)もあり、とてもとてもフリーランス一本で立つような状況には到らず、そのままずるずると雇われ先から放出される(一般よりかなり早く退職)まで二本立てでいって、雇われ先放出以後の七年ばかりをはからずもフリーランス一本となり、そこまでの家の内部留保金を食いつぶしもしながら辛うじて凌ぎ、七年後、やっと不労の金(公的年金)がいただけてひと息つけて、そのまま此処までフリーランス一本の状態を続けている次第。

〈その他大勢〉組の同世代のひとでも、私よりずっとうまくいっている、かなりうまくいっている、少しうまくいっているひとは数多いるだろうが、ぜんぜんうまくいっていない、もしかしたらフリーランスを廃業したひともそこそこいそうだ。〈下請け仕事〉はほとんど受けず、かといって圧倒的な唯一無二の〈オリジナルなプロダクト〉で勝負していた訳でもない私のフリーランス稼業は、〈なんちゃってフリーランス〉を辛うじて免れたものの中途半端といえば中途半端であったし、おそらくこの状態でフィニッシュするだろう。それを特に情けないとも残念とも感じていない。自分の器量をかんがみればこんなものかと。

生涯、雇われの身に終始するのも気楽と思えば気楽でそれもよかろう。とは言え、ずっと続ける必要もないが、一回はフリーランス稼業もありかと。孤独であるがすこぶる自由でわくわくする事が多いから。ただ、まだうら若い頃からフリーランス一本に賭けて、悲壮感を帯びてやるのは止めたほうがよい。







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