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定年後フリーランス☆趣味をマネタイズしようとする際によく勘違いすること

 私は俳句をマネタイズしている。もう少し正確に言うと〈俳句を趣味として楽しんでいるひとたち〉をマネタイズ対象としている。〈趣味〉が初めてお金になってからもうかれこれ四十七年になる。そんな私からすると〈趣味〉をマネタイズする、延いては〈趣味〉で或る程度の収入を安定的に得続けるのは想像以上に、否想像を絶して難しい。只今現在も試行錯誤、悪戦苦闘中である。 

〈趣味〉をマネタイズしようとするならば、「◯◯を趣味にしています」という言い方には気を付けたほうがよい。つまり「◯◯を趣味にしています」の〈趣味にしています〉のニュアンス。趣味への関わりの度合い。

「◯◯を趣味にしています」の〈趣味〉への関わりの度合いをざくっりと分けると、たとえば概ね以下のようになるかと。(私は俳句を趣味としているひとをマネタイズ対象にしているので、俳句を前提とした書き方になっている。また当然のことながら、自らは下記のEクラスにいることを前提にして、その視点で書いている。)

A.その趣味にそれなりに関心があり、テレビやYouTube等で見たりしているが、アウトプット(創作)はしていない。たまにその関連の本を買う。

B.その趣味に関心があって少しやっている(創作している)が、誰に見せることなく独りでひそかにやっている。たまにその関連の本を買う。

C.その趣味のグループに所属してそこそこ積極的にやっている。月に一、二回程度、例月会合に出席している。年次大会にも参加する。また趣味グループの定期刊行物を購入し、読んでいる。しばしば関連の本を買い、講座に通うこともある。

D.趣味のグループの中心メンバーやサブリーダーになって、月にかなりの頻度で会合を開いている。お金を貰って教えたり、講演会することもある。

E.その趣味に関するプロダクト(商品・サービス)を継続して不特定相応数のひとびとに有償で提供し、得たお金を生計の一部としているか、あるいはそれでもって生計をたてている。相応数のグループを率いて機関誌を定期的に発行している。

それで上記の趣味への関わり度合い(A〜E)を踏まえると、はっきりとマネタイズ対象になるのはCクラスのみである。Eクラスはそもそも「◯◯を趣味にしています」などとまかり間違っても自分からは言わない。本来は趣味人をマネタイズ対象とする側なのでこの度合い分け対象外なのだが、このクラスをめざすひとのいるCクラス、Dクラスがあるので敢えて記述する。このクラスのひとでもときどき自己投資として自分以外の同業者の商品を買うことはある。それにこのレベルのひとについては、これはと思うひとにはこちら側から著作物などを無償で提供(すなわち贈呈)する。DクラスはEクラスに近い。しかし個々の意識に差があるのでマネタイズ対象となるひともいる。よりEクラスに近づきたいという上昇志向のひとは、Eクラスのひとの著作物は購入するし、将来、指導者になりたいひとは関連著作物を購入する。ただ〈趣味〉が深まってこのクラスまで到達するひとは少ない。Aクラス、Bクラスはマネタイズできない。気が向いたら、関係の本を買ったり講座に足を運んだりはするだろうが、その頻度は少なく持続性はない。Cクラスはマネタイズ対象となる。いままさにその〈趣味〉に深入りしつつあるひとだ。この中にはDクラス、Eクラスまで到達して奥義を究めんと野心を持っているひともおり、技倆、知識、見識を向上させたいので積極的に著作物を購入したり講座を受けたりする。

「◯◯を趣味にしています」で大半を占めるのは、A、Bクラスのひとだ。じっさいにマネタイズできる可能性のかなり高いCクラスのひとの、「◯◯を趣味にしています」全体に占める割合は少ない。長く続けているひとでもだいたいA、Bクラスあたりでそのままずっとゆく。Cクラスまではこないし来ようとはしない。ここでひとつ大きい勘違いをする。〈趣味〉をマネタイズしようと目論むひとの多くは「◯◯を趣味にしています」といったひとの、〈趣味〉への関わりようの浅い深いを緻密に分析しない。「◯◯を趣味にしています」と言ったひとびとの大方がマネタイズ対象になるとざっくりとかなり楽天的に考える。だが「◯◯を趣味にしています」と言ったひとのうちでマネタイズの対象になるのは、想像よりもかなり少ないし、その中からじっさいにこちらにお金を落としてくれるひとはさらに絞られる。〈趣味〉をマネタイズしようと目論んでいるひとの多くが「◯◯を趣味にしています」と言ったひとびとをざっくりとマネタイズ対象にしてしまうのは、ひとくちで言うとその趣味に関わっているひとの関わり具合(つまり浅いか深いか)を丁寧にクラス分けして、さらにどのクラスにどのぐらいの割合いるのかを分析しないからだ。つまるところ、その〈趣味〉の本質と実態が分かっておらず、かつ甘くみて弛まぬ努力を怠っているということだ。


 そもそもからして多くの〈趣味〉の市場(ビジネスになりうる機会・場)は小さい。もちろんアニメーションや音楽やゲームやその他エンターテインメント、サブカルチャー系で巨大なものもあるが、それらの分野はマネタイズしようと参入してくる者も大量にいる。身近かなところで、昨今はYouTuberになろうと思いたったら誰でもなれるが、ほとんどが小遣い銭程度も稼げていないのと一緒だ。

 私がマネタイズ対象としている俳句は、もうだいぶ以前からブームと囃され、多少の起伏はあったものの世間からそれなりの関心を持たれ続けている印象であるが、あれは俳句という詩形式自体が注目されている訳ではなくて、半ば意図的囃し立てにひっぱり出された夏井いつきさんの俳句実作に関するパフォーマンスとキャラクターがたまたま注目され、そこにさまざまな著名タレントが絡んできて、予想以上に人気が出ただけのことである。俳句という表現形式自体のもつ本当のおもしろさ深さが理解され注目されているのではない。俳句をツールとしての夏井いつきさんのパフォーマンスおよびキャラクターに専らつよい関心が向たということだ。「それに乗じて」ひと稼ぎという向きもちらほら見掛けるが、マネタイズ云々の観点からするとそんな甘いものではない。もう一度言うが、周到にプロデュースされた〈夏井いつき〉というキャラクターあっての俳句の人気(?)である。俳句の世界にあっては極めて特異な現象だ。こういった感じの現象の見誤りやすさは、どの分野においてもあるだろう。冷静に見る必要がある。


「◯◯を趣味としています」というひとびとをマネタイズ対象として、商品ならびにサービスを提供し、その結果かなり運よく或る一定のお金が継続していただけるようになると、プロの領域に入ってくる。プロか否かはひとえに〈覚悟〉の問題に尽きる。たとえ多くのひとが〈趣味〉として楽しんでやることであっても、〈覚悟〉を持ってやればそれは、ひとさまからお金をいただける〈仕事〉になる。プロにおける〈覚悟〉とはどんな状況になっても息絶える寸前までそれをやり続けること。と同時につねに技倆の錬磨と見識の深まりをおこたらぬこと。ちょっとやった程度の〈趣味〉を銭金にしようなどとは考えるべからず。生ぬるい気持ちで入ってくるな。

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