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技術と遊び心を融合する:GOGENのエンジニア、楠本

GOGENメンバーの「語源」を探る社員インタビュー。(※ CTOに就任する前のインタビュー)

今回は、ソフトウェアエンジニア、インフラエンジニアとしてDeNAなど数社で活躍したのち、GOGENに参画した楠本朋大のご紹介。

GOGENの個性の強いメンバーと一緒に、プロダクト作りをしていくことが「面白い」と感じているそうです。GOGENに参画する経緯はどのようなものだったのか。話を聞きました。

楠本 朋大 TOMOHIRO KUSUMOTO
新卒でCDNサービスを提供するAcceliaに入社し、大規模配信やDDoS防御サービスの開発に従事。その後、DeNAにてゲームプラットフォームの決済基盤の開発や全社のエンタメ系サービスのインフラ開発に従事。その後、独立して複数の会社でプロダクト開発をした後に、GOGENに参画。


「ものづくり」への情熱が導いたエンジニアへの道

ーー幼少期からどのようにエンジニアリングに興味を持ちましたか?

小さい頃から「ものづくり」が好きでした。よくLOGOブロックで遊んでいて、自分の中で思い描いたものを組み合わせて作り上げていくことが楽しみでした。小学生の頃には段ボールを使って「空き缶の回収機」を作り、それが横浜市で表彰されたこともあります。実際に空き缶を入れると、それがトリガーとなって擬似的なお金が出てくるなど、何かを動かすと別の何かに作用する仕組みに興味を持ったのはこの頃からです。高校在学時は、「ものづくり」に関わる仕事がしたいと思っていて、その当時は塾代など自分でバイトして賄っていたりと何かとお金で苦労することも多かったので、最終的には就職率が高かった電気電子工学科に進学しました。

大学ではバイトやインターン、研究室での活動に熱中していました。プログラミングに本格的に取り組み始めたのはエンジニアとしてインターンを始めた頃です。自分が書いたコードが意図通りに動くことに純粋な楽しさを感じ、いつの間にかプログラミングに夢中になっていました。研究室では、自律走行型のロボットを作って国内外の大会に出場したりしていましたが、ソフトウェアのスピード感や自分で作り上げる楽しさに強く惹かれ、WEBの世界で働くことを決意しました。

多様なキャリア経験の上で築いたエンジニアとしての基盤

ーー最初に働いた会社での経験はどのようなものでしたか?

新卒で就職したのが、CDN(Content Delivery Network)を提供する会社でした。入社のきっかけは、インターネットの基盤やそれを支える技術に興味があったからです。また、大学の教授陣やアカデミックなバックグラウンドを持つ人も多数在籍しており、同期も自分以外博士や修士の学位を持つ人ばかりで、そういった環境に身を置くことは、多くの学びを得られるだろうと感じていたのも一つの要因ですね。

経緯は複雑なので省略しますが、入社して約10ヶ月は営業をしていました。営業の経験を通して売ることの難しさに気づけたのは良い学びでした。その後、ソフトウェアエンジニアとして働き、営業の経験からの課題感などを生かして、社内向けに売りを作るための簡易CDNツールを作成しました。入力したFQDNをもとにHTTPヘッダーを書き換えて自社CDNのキャッシュサーバにキャッシュさせ、パフォーマンスのデータを収集しレポートを作成するものでした。営業メンバーにも使ってもらい、売りに繋がったことで感謝の言葉をもらったり、実際に要望を反映させて改良したりしたのが嬉しかったことを覚えています。

その後は、自社CDNや付帯サービスであるDDoS防御サービスなどの新規サービス立ち上げに構想からリリースまで携わりました。インフラエンジニアとして自社サービスの運用や運用改善を担当しながら、ソフトウェアエンジニアとしての役割も兼務していました。自然とSRE的な動きをしていたことが多かったです。営業、運用、開発と実務を積み重ねることで、自分の仕事に対してより深く自分ごととして向き合うことができたのは大きな成長の要因でした。

限られた制約の中でいかに価値を生み出すか

ーーその後、DeNAに転職されたきっかけを教えてください。

DDoS防御サービスの立ち上げから運用までをやり切り、CDNサービスやDDoS防御サービスを運用する中でコンテンツ自体に興味が湧いたこと、新卒から約5年勤務したことが転職を考えた主な理由です。大学時代の友人に相談したところ、会食を通じてDeNAからオファーをもらい、メンバーのハングリーさやプロダクトへの情熱に惹かれて入社を決めました。転職を決意する際には、偶然にも「サイレントマジョリティー」の曲が何度も流れ、その歌詞やMVの映像が心に響き、運命的なものを感じたことも大きな要因だったのかなとも思っています。

ーーDeNAではどのような業務に従事していたのですか?

DeNA入社後は、ゲームプラットフォームの開発に従事し、決済や計上、プラットフォームポイントの開発を担当しました。消費税の増税対応や新規決済手段の導入など、多くのステークホルダーと連携しながら業務を進めました。また、技術コミュニティに積極的に参加し、OSS活動やGo言語へのコントリビュートなども行いました。その後、社内副業制度を利用してインフラエンジニアに転向し、主にSREの業務を担当しました。特に、Pocochaの急成長を支えるためのスケーリング構成が印象的でした。

ーーその後、独立されましたが、どのような経緯で決意されたのですか?

DeNAでは技術的なスキル向上はもちろん、多くの学びを得ました。プラットフォームや複数のプロダクトを開発・運用する中で、多くのやることややりたいことが次々と生まれてきます。その中で、いかに価値をつくるか、売りを作るか、時には開発をしないという手段も考慮しながら、運営の中で試行錯誤を繰り返しました。また、ステークホルダーが多い中で物事を推進していく経験も非常に貴重なものでした。

副業などを通じて、よりユーザーに近いところで一つのプロダクトを大きくしていくことや楽しさや実感が増したこと。コスト最適をしていく中で、自身の最適化を図ることに関心が深まったこと。自分自身の力を試してみたいという気持ちが強まったことなどこれらの思いから新しい道に踏み出すことにしたのです。

副業とシェアハウス運営の経験と発見

ーーさまざまな副業をされていたと伺いましたが、具体的にはどのようなプロジェクトに関わっていましたか?

GOGENに参画する前は、副業をいくつか行っていました。開発業務は副業で行いやすいですが、基盤やインフラ部分は権限の問題で正社員でないと任せるのが難しい。そう考えていた為、副業では主に開発に携わることを重視して選んでいました。勉強会で知り合った方の紹介で、風車の故障検出機のインフラ基盤を構築したり、友人の紹介で文字起こしサービスをゼロから開発してベータ版リリースまで持っていったりしました。また、運営していたシェアハウスのメンバーと一緒に開発することもありましたね。

特に、新設のスタートアップでアイデアを形にしながらプロダクトを開発し、リリースしてTwitterなどのSNSで反響を得られたことは非常に嬉しかったです。元々、少人数で働くことを好んでいたこともあり、0→1フェーズでの開発の面白さを実感したのはこの頃からです。

ーーシェアハウスの運営経験についてもお聞かせください。

はい。元々は、大学時代の友人達とルームシェアをしていたのですが、環境の変化などで人が抜けることもあり、新しいメンバーを募集したことがきっかけですかね。ルームシェアを始めた理由は、職場が近かったことと、気心の知れた仲間と一緒に住むことにそっちの方が楽しそうだなと魅力を感じたからです。

空間やコミュニティには関心があったので、自然とそうした環境作りに取り組むことになりました。人が入れ替わり立ち替わりで約5年ほど運営していました。年齢や働いている業界も近かったこともあり、よく仕事の話などで盛り上がりました。少し遅れた青春のような感じで良い思い出です。エンジニアも多かったので、一緒に開発したりもしていました。自分にとっては居心地の良いものでしたし良い思い出です。

独立後の活動とGOGENとの出会い

ーー独立後の活動について教えてください。

まずは、自身のコスト最適化のために一人法人を設立しました。役員社宅やその他の制度を活用しながら、節税や益税を図り、効率的な運営をしていました。その過程で、より税に関する知識を深めるために大学の授業を受講したりもしていました。また、最適化のために複数のキャッシュフローを持つことを目指し、さまざまな業務に携わりました。スタートアップの新規プロダクト開発、外資系の会社でのSREチームのマネジメント、社内でのGo推進サポート、買収したサービスの移管など、多岐にわたる業務を行っていました。その中で、GOGENとの出会いがありました。

ーーGOGENとの出会いについて詳しく教えてください。

きっかけは知人の紹介ですね。僕がお手伝いしていたコミュニティに所属している人が金原さんの元同僚だったんですよね。独立した話を知人にしていたところ、「エンジニアを探している面白い会社があるよ」と紹介されたのがGOGENでした。その頃は色々と活動している最中でしたが、一旦話は全て聞こうというスタンスだったので、今のGOGEN参画に繋がります。

「よかったら一度遊びに来てください」と声をかけてもらい、それがきっかけでGOGENに興味を持ちました。コロナ禍だったので、まずはオンラインで会話するのかなと思いきや、直接オフィスに呼ばれたことが印象的でした。当時の和田さんが借りていたマンションが立派なタワーマンションで、スタートアップらしくないと驚いた記憶がありますね。でも、中に入って少し会話すると、「ご飯でも食べます?」と茶碗に入った米と舞茸の入った味噌汁を出してくれて、その温かみのあるコミュニケーションと豪華な外観とのギャップに驚きました。温かみがあって、面白い会社だと感じました

GOGENでの現在の役割と展望

ーー代表の2人と話して、どんな印象を持ちましたか。

まず、2人ともマンションが好きなんだなというのがよく伝わりました。タワーマンションの外観を見ただけでどこのマンションか言い当てたり、建設中のマンションを見にいっていたり、2人の出会いがマンションコミュニティだったことなど、マンションにまつわるエピソードがたくさんありました。これが非常に印象的でした。

実際に働いてみてからは、佐々木は臨機応変なスピード感と実行力が特に際立っており、まず着手するまでのスピードがとにかく早いです。そのスピードと独自の視点の掛け算で今まで成果を上げてきた方なんだなと思っています。また、豊富な投資経験と分析力に基づいた行動力も持ち合わせています。一方で和田は、不動産に関する専門知識が豊富なことはもちろんですが、ステークホルダーなども含めた全体を俯瞰しながら意見やアイデアを出し、実際に推進していくところにいつも驚かされます。

「早く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたければみんなで行け」という言葉があるように、この人達となら、遠くへ行けそうだな、そんな思いを抱いたのを覚えています。

ーー現在のGOGENでの役割について教えてください。

当初は、プロダクト開発の技術面でアドバイスをする役割でしたが、物事が進む速さやメンバーの魅力に引かれ、現在はソフトウェアエンジニアとして、プロダクト開発に関わるあらゆることをやっています。具体的には、レリーズというサービスのプロダクト開発ですね。他にも新規開発などの要件定義や成果物のレビュー、他エンジニアのマネジメントや採用などもしています。

ーー最後に、今後GOGENでの仕事の上で実現したいことを教えてください。

不動産売買取引をもっとなめらかにし、レリーズを通じてお客様の期待を上回る価値を提供していきたいです。そのために、追加機能を柔軟に開発できる仕組みを作り上げたい。そして、そのデリバリーを実現するために、エンジニアが楽しく働ける土台や基盤づくりに尽力していきたいです。

代表取締役CEO・和田浩明から楠本さんへ

テックグラウンドをあまり持たない僕と佐々木の共同創業において、一緒にGOGENを創っていくエンジニアの発掘は避けて通れないものでした。そんな時、彗星の如く現れた存在が楠本です。初めて会った際に、彼の「遊び心」にとても心惹かれたことをよく覚えています。

テクノロジーは目的ではなく手段であり、世界をもっと楽しませたり、ワクワクさせたり、感情を揺さぶったりする手段として存在すべきと思っています。そして楠本は、まさにそんな特性を持ったエンジニアです。実際、エンジニア的な能力は一切わからずに採用していますが、最近は(失礼を承知で)、エンジニアとしての能力の高さに驚かされる日々です。

「技術」と「遊び心」の両方を兼ね備えた唯一無二のGOGEN創業メンバーとして、果てしなく壮大なプロダクトをこれから一緒に形にしていきたいと思っています。


※2022年9月時点での情報に基づく記事です
(取材・文/高橋三保子)

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