見出し画像

(掌編小説)くろねこ春子の日常

満月の夜に黒猫に変身する女の物語


「黒沢さん。ちょっと聞いてもらえますぅ?」
 田中さんはつやつやの髪を午後の陽射しでさらに輝かせながら、きれいな顔を近づけてきた。病院の職員専用食堂のすみでコソコソ話。細身の彼女はナース服が良く似合う。私とは大違いだ。田中さんは24歳位かな?私と一回り位違うわね。
「なぁに?」
 私は彼女の顔をのぞき込んで尋ねた。彼女は突然顔色を曇らせると、声のトーンを落としながら話し始めた。
「彼氏のことなんですけどぉ…」
「鈴木くん?」
「はい。結婚する予定なんですけどぉ、なんだか最近夜に連絡がつかないことがあってぇ、浮気してんじゃないかって」
 それにしても語尾を伸ばさないと話せんのかね?この子は。私は少しイラッとしたけど、彼女の顔つきは深刻そのもの。今まで見たことがない雰囲気だったから、これは真剣に聞くか。
「うーん。でも鈴木くんってそんな風には見えないよね。看護師の男の子の中でも特に真面目っぽいし」
「でもなんか変なんですよぉ。このまま結婚してもいいのかなって、最近よく思うんです」
 田中さんは瞳をうるうるさせながら私を見ていた。そして言葉を続けた。
「黒沢先輩!もし出来たらそれとなく聞いてみてくれませんか?涼介に」
「えー!」
 まさかのお願い。でもついつい、後輩ちゃんのお願いに私は弱い。
「約束は出来ないけど、聞けたら聞いてみるよ」
「すみません!先輩!」
 私は田中さんの肩をポンと叩いて、自分の病棟に戻った。私はとても鈴木くんにそんなこと聞けない。うーん、仕方ない。今日は満月。夜に動いてみるか。

 日勤が終わって寒空の下、私は急いで自分のマンションに帰った。鈴木くん、今日は深夜入りだったよな。彼が住むのは病院の隣にある職員マンション。駐車場に車があるのも確認した。私のマンションはそこから病院を挟んで反対側、ほんの少し先にある。以前はそこに居たのだが、職場の関係が鬱陶しくなって引っ越した。私は自分の部屋に入ると大好きなロックバンドの曲をガンガン流しながら、カップ麺にお湯を注いだ。
 黒沢小春。看護師。35歳。ライブハウスでロックを聴くのが大好きな女の子だ。ライブハウスに行く時は本当にドキドキワクワク。そして今日は別のドキドキ…変身する日だ。この時の私は、まるでディズニーランドに行く子供のような気分になる。私はいい感じに仕上がったカップ麺を食べ、その時を待った。

ここから先は

1,817字 / 1画像

¥ 100

この記事が参加している募集

猫のいるしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?