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フェアリーアンクルの鈴村さん【5】

捨てる神あれば拾う神あり

「じゃあさ、うちで一緒に働かない?」

クワッと目を見開いてわたしにそう言ってくれたのは、去年の5月まで同じ部で働いていた俵田さんだった。ふくよかで大福のように優しく包み込んでくれるオーラを持っていて、「甘いものとしょっぱいものを交互に食べると無限だよね」とよくお菓子を配ってくれる人だった。

長年部長秘書を勤めていた彼女の部署異動が決まったのは突然で、彼女にとっても初めての異動だったらしい。ちなみに異動のための荷物の1/3はお菓子で残り1/3は韓流雑誌だった。

秘書業務を含めた総括業務とは仕事の内容が全く異なるので大変だと、社内で顔を合わすたびに言っていた。1年経った今でもそれは変わらないらしい。それでもずっとカーレースに関する仕事がしたかったというので希望が叶ったということに変わりはない。

偶然エレベーターホールで一緒になった俵田さんにまもなく派遣終了になることを告げると冒頭の言葉が返ってきた。ということで話を戻そう。

周りの人間がわたしの派遣終了について言及しているのに本人が黙っているのもどうなんだ、と開き直ったわたしは試しに俵田さんに打ち明けてみた。すると、なんということでしょう。

「実はうちのグループの派遣さんが7月で辞めちゃうの。だから後任の人を探していて来てくれたらこんなに嬉しいことないよ〜」

相変わらず語尾にほわほわと花が飛ぶように話す俵田さん。正直なところ、ネットワークの広いこの人なら何か情報を得られるかもしれないという下心はあった。それが開けてびっくり玉手箱。まさかのスカウト。求めよ、さらば与えられんとはこのことか。

「今の仕事の内容とはすごく違うし、ものすごく大変だから正直心苦しいところもあるんだけどね。それでも来てくれるとすごく心強い。わたしが」

俵田さんが異動先で苦労していることはわたしも知っていた。どうやら俵田さんが異動したことで派遣社員が辞めさせられたとかで、その人と仲が良かった派遣社員たちが俵田さんに仕事を教えてくれないらしい。

そういった経緯もあって時々、俵田さんからは仕事の相談を受けることがあった。だから、心強いというのは本音だと思うし本当に困っているんだと思う。どこも大変だ。

「とはいえ、派遣さんの指名ができないことはわかってるからね。でも、募集はかかってるはずだから良かったら探してみて」

伸るか反るか

帰宅したわたしは該当しそうな条件を入力して早速お仕事検索をしてみた。すると、いくつか引っかかった募集のなかでそれらしき案件を見つけた。会社名の明記はなくても詳細を見れば何となくわかる。これも派遣社員として培った勘みたいなもの。さて、どうしたものか。

『うまくコトが運びすぎるのがそんなに心配か?』

小さいおじさんがいつものようにテーブルの上に現れたので、わたしは俵田さんからもらったお菓子の封を開けた。50円あれば買えるこのバナナチップ入りのチョコレートビスケットに俵田さんはハマっているとかで、毎朝売店で買うことから一日が始まるらしい。

「だって派遣会社の営業さんによるとまだ6月の募集案件も出揃ってないって話だし。それがこんなに早く出てるってことはつまり、人が集まらないってことでしょ」

常に募集が出ている案件というものは人がすぐに辞めてしまうとか慢性的な人手不足とか、それなりのネガティブ要素があるはずだ。所謂ワケアリ。これも派遣社員としてたくさんの職場を見てきた勘みたいなもの。

「あの俵田さんが人間関係で苦労してるって言うくらいだし。もしかしたら俵田さんとその派遣さんとの板挟みになるなんてことにもなりかねないし。仕事っていうよりそっちだよね、心配の種は」

小さいおじさんがゴリゴリ音を立てながらお菓子を食べ進めている。わたしが手に持ったままのお菓子のパッケージにはゴリラのイラストが描かれている。

両手を合わせて「お願い!」と言った俵田さんを思い出す。俵田さんはいい人だ。わたしが1人で昼食を食べていることに気づいて声をかけてくれたのも俵田さんだったし、俵田さんのおかげでわたしに話しかけてくれるようになった人もいて仕事もやりやすくなった。

俵田さんがいなければ、わたしは今の仕事を辞めていたかもしれない。それくらい俵田さんはいい人で何より信頼できる。そんな俵田さんの助けになれるのなら……、て、違うか。捨てられようとしているわたしをまた、俵田さんが助けようとしてくれているのかもしれない。そんな気がする。

「ま、やっぱり勘なんだけどさ」

『勘なんていうのはそもそも経験からくるものだからな。あながち間違いじゃないさ』

ゴリゴリ、小さいおじさんが音を鳴らす。その小さい背中を見ながら、どんな条件を並べられても結局決めるのは自分の気持ちしかないとぼんやり思っていた。いつだってそう。わたしを呼ぶ声のする方に気持ちは向くものなんだ。

「ま、話を聞かないことには何も始まらないんだけどさ」

とりあえず画面に表示されている他の仕事案件を飽きるくらい眺めた後でわたしは、その仕事のエントリーボタンを押した。なんだかんだで自分は運がいい方だと信じている。捨てる神あれば拾う神あり。さて、どうなるかな。

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