GOD RAIN〜ゴッド・レイン〜.1
【誰の人生も同じように終わる。人を他の人と区別するのは、いかに生きたか、いかに死んだかその内容だけだ】
ヘミングウェイの言葉が頭に浮かんだ。
そう、いつかは必ず終わる。
これだけは避けられない。
しかし、どう生きるかはお前次第だ。
お前が決めろ。
最後の1秒までお前の人生はお前のものだ。
カランカラン
ベルの音が狭い店に鳴り響いた。
木製の扉が開いて女が1人、入ってきた。
ここは私が経営しているbar キュアネ。
「いらっしゃいませ」
野上は言った。
野上はウチへ来てもう4年になっていた。
もともと裏の社会にいた人間だったが、
私と出会い、今はこうやってこの店のバーテンをやっている。50代の落ち着いた空気、ベストとシャツというバーテンらしい格好をしているが、どことなく危険な香りは消しきれてはいないと思っていた。
お客の歳は30代半ばだろうか、辺りを見渡すようにカウンターの前で立ち止まった女は、羽織っていたコートを脱いだ。
香水の匂いが店で焚いているお香の匂いをかき消した。
「お預かりいたしましょうか」
「いえ、大丈夫です」
そう言って女はカウンターの席につくなり、
タバコを取り出した。
抜かりなく野上はライターを女に近づける。
よく見るとそれなりに小綺麗にはしているが、どことなくやつれたようも見える。
この女はただの客ではない。
野上はすぐに理解していたが、
こっちから余計なことを言うことはない。
野上がおしぼりを出すと同時に
女は口を開いた。
「沖田っていう人がここにいると聞いてきたんだけど」
そう言って、女は野上を見た。
「はい、社長は今外出をしております」
「じゃぁ、待たせてもらってもいいかしら」
「いつお戻りになられるかはわかりかねますが」
「それでもいいから、待たせてちょうだい」
「かしこまりました。ではお飲み物は何に?」
「そうね、何かカクテルを」
野上はグラスの中に透き通った氷を入れジンを取り出した。
一見なんの変哲もない古びたバー。
元々私は客として通っていたのだが、前のオーナーが店をたたむと言うので権利を安くで譲ってもらった。薄暗い店内でも古さは隠せないが、野上が来てからというもの見違えるほどに綺麗な店になっていた。
私はこの店を野上に任せていることに安心感を持っていた。
店に入り、トイレのある扉を過ぎるとカウンター10席、その奥にはボックス席2つ。その奥にはまた扉がある。その扉の奥は私のオフィスとなっていた。
シェイカーの振る音と微かに流れるジュリーロンドンのBGMがとても好きで気に入っていた。
時刻はもうすぐ日付が変わろうとするところだった。
カランカラン
「お〜、寒い寒い」
この日は特に寒く感じる夜だった。
私は奥へ進もうとしたとき、
「社長・・」
野上が呼んだ。
「ん?」
俺は立ち止まった。
「はい、この方が社長にお会いしたいと・・」
私はカウンターに座っている女を見た。
「そうか・・では話を聞きましょう」
私に話があるということは、なんらかのトラブルを抱えた人間だと分かっている。私の噂をどこかで聞きつけて、この女も私に依頼をしに来たのだろう。
私は女の横に座った。
女は少し緊張していたが、それをほぐすためか、出されたジンを一気に飲み干した。
野上は何も言わず店の玄関へ行き、扉の鍵を閉めた。その後、拭きかけてたグラスを取り出しまた拭き始めた。
5年近く前、私はその辺をふらふらしながらギャンブルなんかでしのいでたところを、この野上と出会った。ギャンブルをやってるとそれなりに修羅場を経験することもよくある。そんな時いつも私のそばにいたのがこの野上だった。とても無口な男だが今はこの店でバーテンをしながら私の元にいる。
あの当時、ギャンブル絡みで出会った人間はほとんどいなくなった。
私は当時を思い返しても決してギャンブルに依存していたわけではなかった。他に何もやることがなかった。そんな時ほど刺激を欲するもんだ。そんな中でたまたまギャンブルと出会ったのだ。バカラにポーカー、あらゆるものを一通りやり尽くした。そして私の暇を解消するには十分なほどの刺激はあった。しかし依存することはなかった。そして600万ほど勝った。私には運があった。
そしてこのギャンブルで得た金で私はこの店を買ったのだ。それから幸運の女神はまだ私を見放さなかった。
女は私に用件を話す前に今グラスを拭いているそんな野上を気にしてるようだった。
「大丈夫です。彼は私の秘書みたいなもんだから、秘密は守ります」
そういうと少し安心した様子で女は話を始めた。
「私の父がある人から脅されていて、毎日数人の男が家に押しかけてくるんです」
女の話はこうだった。
彼女の父親はこの街にあるD大学の教授で、ある研究をしているらしい。そこである細胞の培養に成功したのだが、その研究成果を売るようにある男が近づいてきたらしい。父親はずっと断って来たらしいが、その男は毎日のように部下を家に送り込んで嫌がらせするようになっていた。
「で、その男に諦めさせたらいいということですか?」
「はい、私たちではもうどうにも出来なくなりまして」
「警察へは?」
「言えません」
「なぜ?」
「そんなことをしたらあの人たちがどんな事をやってくるかわかりませんので」
「あの人達は警察に言うと父の秘密をみんなにバラすと言って脅してくるんです」
「秘密って?」
「わかりません・・特に何もないはずなんですが、そうやって脅されていると何かあるんじゃないかと思ったりすることも・・・」
「なるほどねー・・・わかりました。この仕事お受けましょう」
「ただし、そんなに安くないですよ」
俺は値段の確認をし始めた。
「いくらになりますか?」
「それはこの件を解決してみないとなんとも」
「そうですか…」
女は悩んでるような態度でそう言った。
「はい、だから無理はしないほうがいい」
「いえ!お願いします」
思い切った決断をしたような顔で女はさっきまでよりも少し声を上げてそう言った。
この依頼がどれだけ本気なのかを確認する目的で俺は言った。
「わかりました。先に着手金を10万だけもらいます」
そう言って俺は着手金を受け取ることにした。
「わかりました。それではお渡しします」
そういうと女の顔が次第に明るくなっていくのがわかった。
ちなみに依頼を断る時もある。
そんな時は依頼者が明らかに正義を欠く時、子供が絡む時。そういうものは受けないようにしていた。
野上にソルティードッグを一杯作るように言った。
私はカクテルが飲めないんだが、この野上の作るソルティードッグは比較的飲みやすかった。簡単に言うとウォッカとグレープフルーツジュースを割ったものにグラスの縁に塩をつけたものだ。
「良かったら飲みますか?」
一応女にも聞いた。
「いえ、もう結構です」
「そうか、じゃ目処がついたらまた連絡しますよ」
そう言うと女は頭を軽く下げて出て行った。
玄関先まで見送った野上が戻ってきた。
「あの女はいつからここで待ってた?」
「社長が来られるほんの少し前です。」
「そうか」
「いつから動けば?」
「そうだな、早速動いてみてくれ」
野上はバーテンとしての腕もいいが、こういうことはもっと手慣れていた。もともと裏の社会にいた人間なら当然なのかもしれないが、それでも野上の仕事は素晴らしいものだった。
私はグラスを持ちながら、奥にある扉の鍵を回しドアを開けた。この部屋は私のオフィスだ。
入って向かった正面奥には机がある。
右側の壁には本棚、左側には水槽とモニター用の画面とテレビがある。本棚とモニターの間には応接できるソファーとテーブルがある。
私は机に座ってグラスを片手にノートパソコンを起動させ、メールなどの確認を始めた。時間は午前1時半。
店の終わりの時間となった。
この店の終わりは午前2時。
メールの確認を終えた私はバーの方に出ると
野上はすでに掃除と片付けを始めていた。
「明日にでも調べてみます」
「頼むよ」
そう言って私は帰ることにした。
車はいつも近くの駐車場に停めている。
AMG e63s 真っ黒いコイツが私の相棒だ。
うるさすぎない程よいエンジン音、重たさを感じるステアリング。私は早くエンジンをつけて暖まりたかった。
店のある裏路地から大通りを出た時には車内は暖まり始めていた。大通りに出てすぐに大きなピンの看板があるボウリング場、それを越えて真っ直ぐ進むと空港へ、その途中左へ曲がると飲み屋や飲食店の並ぶエリアに入る。そこを越えて真っ直ぐ進むと5分ほどで私のマンションがある。
マンションの敷地に入り月極の駐車場へ車を停めてマンションのロビー、エレベーターで7階が私の部屋だ。
玄関の鍵を開け、ドアを開けるときいつも誰かの気配がないかを計る。
誰もいない。
私はすぐにシャワーを浴びた。
そして冷蔵庫からビールを取り出した。
ソファーに座りながら今日来た女の依頼者のことを思い出していた。
正直私にとってそんなに難しい依頼ではない。今までももっと複雑で難解な依頼を受けて来た。そして受けるだけではなく解決して来た。そのせいで危険な目にも何度もあっている。それと比べると今回の依頼は簡単なものに思えた。
明日野上から連絡があるだろう。
そんなことを考えているといつのまにか眠っていた。
次に目が覚めた時はすでに外が明るかった。
時計を確認するともう少しで8時半だった。
電話が鳴った。
スマホを取り出し画面を見ると、沙希からだった。
「今何してるの?」
「今は事務所にいるよ」
「今、仕事終わったとこなんだけど、今から行ってもいい?」
「ああ、いいよ」
「じゃー待ってて」
そう言って電話が切れた。
沙希はクラブで働いている女で、俺とはここ1年半ほど前に出会った。
俺たちはお互いに寂しさを紛らわすには都合のいい関係だった。
このバーから沙希のいる店までは歩いて10分ほどの距離だ。
カランカラン
しばらく野上と話す沙希の声が聞こえてきた。
俺は素早くメールのチェックを済ましてバーの方へ行くつもりだったのだが、沙希の方から事務所に入ってきた。
トントントンとノックをしたすぐ後にドアが開いた。
「入るわよ」
先はそう言ってソファーへと座った。
「あー、疲れた」
「今日の客は面白くない男ばかりだから、余計と疲れたわ」
「そうか」
俺は沙希を見ることもなくパソコンを眺めながらそう言った。
沙希は深く腰をかけ
「仕事?」
と聞いてきた。
俺はこの時に沙希の顔を見た。
肩ほどにまである黒髪、ベロア生地の黒いワンピース。一見すると金のかかる女に見えるが、俺はこいつに金をかけたことがないし、向こうからもそれを求めてきたことがない。年は31。顔を見ると、それとはギャップのある可愛げのある清楚な顔が気に入っていた。
「まぁ、そんなとこだ」
「あっ、そうだ。前に言ってた糸田物産の専務が今日来たわよ」
「なに?下山が来たのか?」
「ええ。すごく酔ってたわ」
「で、何か言ってたか?」
「知らない」
「何でもいいから教えてくれ」
「私を情報屋のように扱わないで」
「ああ、悪かった。家でゆっくり酒でもどうだ?」
「そうね、でも今日は沢山飲まされたからお酒はいい」
「そうか、じゃぁ、家でゆっくりしよう」
事務所を出てバーにいる野上に飲んだグラスを渡した。
「先に行く」
「はい、お疲れ様でした」
そう言って俺たちは事務所を後にし、
俺の住むマンションへとタクシーで向かった。
家に着いてすぐに俺は沙希を求めた。
沙希は俺に跨るり、
冷めた身体を合わせて互いに温まるように。
甘い香りと肌のぬくもりを感じることで、
安心感というか、とにかく落ち着くことができた。
時に激しく、時にゆっくりと
この瞬間だけは全てを愛し合う。
それ以外には何もない。
お互いに果てたあと、その余韻に浸りながら、2人ベッドに横たわり、俺はタバコを取り出し火をつけた。
俺たちは出会ってからこういう関係がずっと続いてる。
沙希がいるクラブはこの街では1番の高級店で、この街にある重役共は必ずくる場所だった。
そんな重役共は酒が入り、女がいると調子よくなって色んなことをベラベラと話す。いい格好がしたい男のサガだろう。この店にいると普段では聞けないような情報簡単に手に入る
だか、俺は沙希をそんな情報を聞くだけの都合のいい女とは思ってない。俺だって寂しい時もある。そんな時にお互いの肌を重ね合わせることで、温もりを感じさせてくれるそんな存在だった。それは沙希も同じだった。俺たちは孤独な者同士似ているところがあった。
そのくせ、付き合えば長くは続かないだろうことも多分お互いにわかっていたので、どちらからも関係について話を切り出さない。
今この瞬間、男と女が裸でいる。それだけで俺たちの関係は十分だった。というか、俺たちはこの関係が変わってしまうことが、こわかったのかもしれない。
仰向けでタバコを吸う俺の胸に乗せてきた頭を撫でた。
「教えてほしい?下山のこと」
「いや、少し眠いから明日教えてくれ」
「わかったわ」
何時だろう。俺は気を失うように寝てしまってた。
窓からの明かりが夜ではないことを教えてくれた。
俺は目を閉じたまま沙希を手探りで探したが、見当たらない。そこでようやく目を開いた。
沙希はもうすでにいなかった。
わかっていたが、俺と2人でゆっくり朝を迎えようとかそんなことを考える女ではない。
スマホの画面を見ると9時を過ぎたところだった。2、3着信とメールが鳴っていたが、確認もせず、俺はとりあえずベッド脇のテーブルに置いていたタバコを取り出し、一服入れようと手を伸ばした。
その時、タバコの横にメモが置いてあることに気がついた。
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