大学受験のための小説講義 (石原千秋) (1)

ようやく入手できたので、今日から読んでいく。楽しみ。いつもどおり、とりとのめのない雑感として書いていく。
日々、現代文の読解を指導している身としては、もっとわかりやすく教えるにはどうすればいいのかに常に関心がある。受験生にとって苦役のようなものになりかねない現代文学習を、苦役から楽役(らくえき=造語)に変換変することが受験指導者の使命である。ヴィゴツキーの発達の最近接領域の理論(子どもが一人で解答する問題によって決定される「現下の発達水準」と、他人との協同のなかで問題を解く場合に到達する水準、いわば「明日の発達水準」との間の差違が、子どもの発達の最近接領域を決定する。ウィキより引用)を考慮しつつ、現代文指導による働きかけを、生徒の「最近接領域」に向けること、それをどこまで具体化できるが問われている。
さて、本文中に「評論は書いてあることが理解できれば読めたことになるのに対して、小説は書いてないことを読まなくては読めたことにはならない」とある。評論文の読解指導と、小説文の読解指導では、根本的に異なる部分があるということだろう。

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