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このくそったれな命の中で、生きていてよかったと思えてしまう理由

文学好きで物書き志望の人間は、朝日に照らされた窓際のウッドデスクで小説を書かなければいけないのか。
それともデスクライトのみに照らされた、積読まみれの四畳半で過ごさなければいけないのか。
決してそんなことはない。本はそれなりにあり、それ以外のものもあり、陽の光の入り具合もまぁまぁで、それなりに社会人をやっている人間でも、文章は書けるのだ。


以下はフィクションが混じっている。
僕の在り様を誤解しないでいただきたい。

僕の仕事は人身売買だ。
発展途上国からやってくる人々を下請けの単純労働オフィスワーカーとして送り出すことが僕の仕事だ。
普段オフィスで働いている僕からしたら、彼らのやっている仕事は代替可能性100%の単純労働だ。エクセルに数字を入力し、休憩時間に煙草を吸いながらコーヒーを飲むだけで、彼らは何かの「ポジション」を手に入れたと感じて満足してしまう。
パソコンを使っているのか、トウキョウにビルがあるのか、こんなに高いビルなのか、上場しているのか。
上場企業に入ること自体、この日本では大して難しい事ではない。上場した所で、企業はヒィヒィ言いながら毎月を乗り切っている。
アルバイトでそういう会社に入るなんてたやすい。
しかし、そのアルバイトという立場に「安定」を見出した時点で、
彼らは胸をはれるようになる。
そんな場で、少しだけ、周りから「ありがとう」と言われた時点で。

感謝の言葉を定期的に注入すれば、人は何者かになれる。
何者かになったつもりになれる。
感謝をされないから、人は小さな部屋で自分に見合わない大きな虚「夢」を見たりする。


ある小説の、ある老人が、あることを言っていた。
人は若い頃、天動説に惹かれる。自らの眩しすぎるエゴを中心に、世界が回っていると錯覚する。だけど、世の中はそんなうまくいかない。
その通りだ。

人は生まれた時点で、この世界のパーツになり果てる。
アーティストや大女優や富豪が突然自殺するのは、いくら成り上がっても、この世界の中心にある禍々しい輝きの衛星でしかないことを自覚するから。
僕はYOASOBIを思い浮かべる。
紅白歌合戦で数々のアイドルがダンスする中、BGMとして懸命に歌っていたikuraを思い浮かべる。
彼女は、紅白歌合戦という歴史・権力・体制・「太陽」によって、ひとつのパーツとして操作された。
世界中の音楽ファンたち、アニメファンたちを躍らせた、あのYOASOBIでさえも、地動説の次元からは脱していない。

それでも彼女を支えているのは、身近にいるAyaseであり、スタッフであるのだろう。自分の手の届く範囲にいる者たちからの、感謝・感激・雨あられによって、彼女は今日も歌い続けている。

増え続けるSpotifyのフォロワー数など、目にする暇もなく、
彼女は「いい日だった」と眠るのだ。


ミキサン、シゴトキマッタ、カゾクヨロコブ。
良かった、信じてましたよ、これはロコゾフさんの力です。絶対この先も大丈夫です。一緒に頑張っていただき、ありがとうございました。
アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ。
少子化によってジリ貧の日本が、活動力のある働き盛りの若者だけに頼れず、あらゆるところから労働力をかき集めた結果、彼らに目を付けた。
その日本自体も、「国際社会」とかいうバカでかいものの中で急き立てられて、訳も分からず焦っている。
末端の末端をせかせか調整する僕たちは、そこが末端だと意識していない彼らから、アリガトウアリガトウと感謝の言葉を伝えられる。
しかし彼らがこの国で稼いだお金によって、家族を喜ばせ、祖国に胸を張って帰ることができるのは事実なのだ。


大きな社会構造が、その社会構造を作り出した歴史の圧力が、その歴史を追い立ててきた、ホモ・サピエンスの行動原理そのものが、生命というゴミが、途端にどうでもよくなる。
彼の笑顔により、明日も俺は働き続ける。
そして働き続けるボクを鼓舞するように、追い立てるように、脅すように、
文学は、カルチャーは、常に僕の背後にある。

そんな位置にいる自分を確かめるように、気持ちを文字にする。



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