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【掌編】澄んだ空にまっすぐ伸びた光が

懐かしいという感情が忌まわしかった。そもそも懐かしいと胸の内で囁かせたこの場所が憎たらしかった。それは、ここに戻りたくないとあれだけ悪口を言い続けた自分が、どこかで戻りたいと思っているということの証明だったからだ。


田舎には田んぼがあるんでしょ、田舎には山があるんでしょ、川があるんでしょ、そんなステレオタイプが何故植え付けられているのか解明しようとしたゼミの3年生がいた。私は彼女に対して、「高潔」で傲慢な感じを受けた。高潔さは善性とはイコールじゃないと、なんとなく私は分かっていた。私が自分の地元を発表した時、彼女は「素敵な田舎」と言って、なにそれ褒めてるようでいじってんじゃん、と周りから笑われ、ひとウケとったみたいな顔をしていた。私は薄く笑って、自分の住んでいた場所を思い返した。やっているのか分からない町工場、品物だけ多く客は少ないスーパー、子供たちが鬼ごっこするスペースと化した日用品店、「売地」と書かれた看板が数年経ち続ける空き地で、煙草を吸う目の細い不細工な半グレたち、歩くのが遅い老婆、誰も急かさないからゆっくり歩いたうえで偉そうにしていいんだと誤学習した老婆、殺しなぁたいと、茶髪に濃いアイラインの奥の方から老婆を睨んでいた、私。

私は戻ってくる。私は東京でも人を睨み続け、そんな自分を顧みて泣き叫ぶシャワールームが全てだったからここに戻ってきた。

老婆は、私の生まれ育った平面に近い土地を象徴しているようだった。象徴しているようだった、という表現を使うようになったのは大学のゼミに入ってからだ。そしてゼミの記憶に戻ってくる。研究発表っぽい自己主張をずっとして、そのうえで自己主張が薄い奴ほど教授に評価される。私はゼミの教授に気に入られていた。一番自己主張が薄くて、一番引用が多かったからだ。「堅実な論文が一番だし、それを学部生で実践できているのがすごい」と教授からは言われた。教授からのすすめで他の研究室にも私の論文を持っていったが「学部生の割に冒険心がなくてつまらない。もう少し自分の我儘に向き合ってもいい」とか言われた。それはつまり、私の言いたいことを先行研究ガン無視で言えって事なんだろうが、私の言いたい事なんて根底を詰めたら「最低時給をあげてくれ」ぐらいなのだ。

その地方の電力を一手に担っていた会社の保養所で、私はデザートの杏仁豆腐を皿に盛りながら、最低賃金の事だけ考えていた。


「最低賃金が上がります」

藤原紀香が笑顔で告げるポスターは、汚いハローワークの壁に貼られ、右上の部分がペラペラと剝がれかけていた。


国が始めた障害者雇用施策は単純で、ひたすらに雇用率を上げていけというものだった。それに追い立てられるようにして増えていった就職支援事業、エージェント、引きこもり支援NPO、訪問ケア。私は歩んできたキャリアで少し躓いて、次のキャリアに向けての下準備を休み休み自分のペースで進めていきたかっただけなのに、訳の分からない「地域包括ケア」の網に絡めとられて、働きたくもない会社で一生エクセルへの入力作業や請求書の処理をさせられることになった。そこを飛び出して、私はこんなもんじゃないと走り出して、息切れして、ぜぇぜぇ言って辿り着いた休憩所に、老婆。

曲がった腰がひたすら続く黒色のアスファルト上でゆらゆらと左右に揺れる。私はそれを茫然と見つめながら、急かす気にも、追い越す気にもなれずにぽつぽつ歩く。

ここは私の地元、懐かしくて、忌まわしい、汚くて、だけど夕陽が綺麗な私の地元である。


母は私に対して何も言わなかった。ただ笑顔で晩御飯を出してくれて、朝は私より早く起きて味噌汁を飲ませてくれた。父は仕事に出かけていき、帰ってきてからは新聞とテレビしか見なかった。私は広すぎる部屋の畳の上で寝転がり、15分ごとにむくりと起き上がってパソコンやスマホを見て求人情報を探した。

私の前職はCADを使った監視カメラ設置に関する図面作成だった。一時期は社内転職して総務の仕事をしたが、やっぱり何か現場に還元できる仕事がしたいと元のポジションに戻ったら上長が引退していて、折り合いの付かない中年男性と言い合いになって、なんでなんでと泣きながら通勤経路を往復し、インスタグラムの広告で障害者雇用について知り、私はこの「障害者」という言葉の柵みたいなものに囲い込まれたいと不意に思った。

障害者雇用に携わる数多のスタッフに助言をいただき、私は見事、医療界と行政から認められた「障害者」になった。障害は社会側が配慮すれば問題なく、あなたはあなたらしく働いていけるんだよ、という前向きすぎる言葉が、弱った私にはよく効いた。その言葉に誘われて就職活動を始め、そこから始まったのは、あなたは特別な習性を持った「障害者」なことを自覚しなさいと言う説法の毎日。オブラートに包まれているが、ボンタンアメより数倍ねちっこくしつこい、説法。


求人だけ見て1:30になった。さすが私、と思った。これだけ自分の将来を見つけるために必死になれる自分はどうかしていると思った。

スマートフォンを置いてパソコンを閉じ、暗くなった部屋を見渡す。デスクライトに淡く照らされた仏壇が後ろにあった。祖父の写真がたてられ、しかめっ面でこちらを睨んでいた。私は祖父に会ったことがなかった。祖父が今の私に何をいうだろうと想像したら、居酒屋でおじさんたちがしてくる重圧しかない「常識的」説教の数々が思い出されて、気分が悪くなった。

私は気分の悪さを解消するため、窓をあけた。夏だから蚊が入ってくるだろう。それでも、少しだけなら。なぜか山の上でもないただの田舎町なのに、星は綺麗に見えるのだ。光を照らして稼働させなきゃいけない場所なんて、この時間、この地にはどこにもないから。

私の名前は、「空澄」と書いて、カスミ。

澄んだ空の中を、まっすぐ進んでいく星の光のように、私は生きてきてしまった。
この世界に生きる他者に、この世界を牛耳る仕組みにまっすぐ向き合って走っていった結果、私は「障害者」になり、私はこの地に帰ってきた。
空は澄んで、老婆は歩くのが遅く、それらは懐かしいもので、私を果てしなく苛立たせる。




#シロクマ文芸部


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