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(43日目) 僕の働き方改革

幡野さんのベトナム旅行記を読んだ。

彼自身の過去と今、そしてベトナムという国の在り方と日本という国の在り方。比較と考察。とても良い文章です。是非。

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僕がこの中で特に強い印象を受けた言葉は、「楽しく仕事をしている人は、寛容だ」という彼の意見。

そうだよなぁ。日本はとかく責任感が強すぎて寛容がたりないよなぁといつも思っている。これでも15年前に比べれば大分寛容になったと思うんだけど。けれでも社会が要求する過剰な「責任感」と個人の考え方の狭間で苦しみ心を病む人たちは多い。

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日本では「学生気分が抜けていない = 責任感のない」社会人を「ダメ」と評することが多い。

なぜだろう?ここでFive-WHYを試してみる。

テーマは「仕事に責任感がないといけないのか?

WHY1: 仕事は責任感がないといけないのか?

ANS1:一部は命の危険や社会の基盤を揺るがす問題が発生するかもしれない。だから責任感が必要なのだ。

WHY2 : では命の危険や社会の基盤を揺るがす問題は発生しない(もしくは少ない)仕事は責任感は必要ないのではないか?

ANS2:それでも周りの人や社会に迷惑をかけるかもしれない。だから責任感は必要だ。

WHY3:なぜ人や社会に迷惑をかけてはいけないのか?

ANS3:迷惑をかけると、他人が不快になるからだ。

WHY4:なぜ他人が不快になるといけないのか?

ANS4:人を不快にすると … 自分が嫌な気分になるし、その人との信頼、信用が損なわれるからだ

WHY5:ではその人、という限定の人ではなく、あなたとほとんど関わりのない不特定多数の人に対しての責任感は必要ないということになるが?

ANS5: そうかもしれない。それでも、直接的には係わり合いのない人かもしれないけれど、間接的に影響を与える可能性は多いにある。だから、少なくとも、自分自身は社会に対する責任感(というより道徳心)は持っていたい。

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これはあくまで僕自身の結論だし、たぶんこれを読んでいる人はきっと違う答えを出す人もいるだろう。けれど、それでいい。

社会に求められる「よく分からないけど求められる価値観、責任感」ではなく、個々がもつ価値観、責任感で仕事に対する。それが重要なのだと思う。

そして、過剰な責任感を持つこともよくないし、相手に求めるのも良くない。

そう考えると僕たちは、あまりにも「与えられた価値観」で判断しすぎているということになる。

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最近よく聞かれるのが、「日本では働きたくない」という海外の方の言葉だ。

多分、日本の「よく分からないけど求められる価値観、責任感」に辟易してしまっているのかもしれない。

昔はジャパンマネーを求めて後進国と称されていた国から多くの労働者が日本に訪れていた。そして多分「我慢して」働いていたのだろう。

しかし、そうした国々の賃金や生活が向上する中、ジャパンマネーの魅力は減り、彼らにはなじめない日本人の「よく分からないけど求められる価値観、責任感」に疲弊し、皆帰っていく。

「高度外国人材対策」という策を出し、労働者を確保しようと躍起になっているが、働き方改革も日本人だけではなく、海外の方も考慮して生き方という抜本的な考え方の改革をしていかないと、未来はないのではないかと思う。

具体的には、教育の改革しかないと思う。大人になってからでは遅いのだ。個々が持つ価値観を受け入れ、様々な人たちと協力して何かを成すことが常識とすること。

それしかない。

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遅ればせながら、僕自身も去年から「僕の働き方改革」を実施している。計画年数は5年だ。計画のテーマはこちら ↓

こっぱずかしい厨二病のようテーマだが、仕方がない。(事実なんだもの!)

具体的には、本業以外のお金の稼ぎ方を学ぶこと(そのつながりで家を購入した。これは去年の成果です)、産業カウンセラーの勉強(後にキャリアカウンセラーまで取れればと思う)を行っています。

40になり、自分を時代に合わせてアップデートするには良い時期だと思っています。

まずは、明日のレポートを作成しないと・・・

では、皆様、よいGWを!




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