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三島由紀夫著『金閣寺』読書感想文

金閣寺を燃やす、という使命に取り憑かれた男の自意識が三島由紀夫という作家によって、過剰な程美的に、かつ技巧的に描かれている。その格調高い美意識によって、金閣寺を燃やすという愚行が、まるで高尚な芸術的行為に昇華された様に錯覚されるが、彼が語る哲学も美学も、私には眩しすぎる程に若々しい戯言にしか思えなかった。

確かに若い頃はその自意識に酔っ払い、振り回され、自分とは程遠い存在に憧れ、それに同化する思いに耽る。そして自分が抱く理想とかけ離れた現実にもがき、苦しむ。人からの理解を拒み、ただひたすらに自意識を募らせる。要は拗らせているのだが、溝口は"拗らせている"だけには留まらず、徐々にその姿には狂気を帯び始め不気味な存在となる。だがそんな不気味な存在も三島由紀夫の手にかかれば、文学的な美に変貌するのだから恐ろしい。若い頃に読むと一発喰らいかねない危険な魅力を持った作品だ。当の私も昔この金閣寺に一発喰らったクチだが、幸い溝口に影響されて金閣寺を燃やすことはなかった。

作中では日本仏教の、坊主の堕落が描かれている。精力が頭に詰まり、菓子の様な坊主を私自身よく目に耳にする。夜の街で女を買い、徒弟に脅しを受けるそんな老師を、本当は心底軽蔑していたが故に、彼は老師に忌み嫌われることに快感を覚えていたのではないだろうか。彼は彼自身にも絶望しているが、自分の思い焦がれた金閣寺の美がそんな輩に支配されていることにも絶望していたのかもしれない。

結局彼は金閣寺を燃やす、という行為によって世界を変貌させることに成功したのだろうか?
美という怨敵を破壊した彼は、何者かになることができたのだろうか?
否、わざわざ買った小刀とカルモチンの瓶を谷底へ投げ捨て、煙草を飲みながら「生きよう」と思う彼は相も変わらず拗らせているだけだった。

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