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川端康成著『雪国』読書感想文

冒頭から、ガラス越しの風景に重なる葉子の姿の描写が印象的だ。終盤の激しい情景とは打って変わって、このシーンは謎めいた葉子の妖しい魅力が美しく静謐に描かれている。

(引用始め)

島村は彼女のうちになにか澄んだ冷たさを新しく見つけて、鏡の曇って来るのを拭おうともしなかった。

(引用終わり)p.12

旅の途中、ガラス越しに写る葉子に不思議な魅力を感じる島村。この時の島村はまだ知らない。葉子が胸に秘めているものは決して澄んだ冷たさなどではないことを。曇ったガラス越しだったが故に、この時はまだ本当の彼女の正体を知らずに済んだ。

所帯を持ち、駒子という存在がありながらも島村はずっと葉子の存在を気にかけている。そして温泉宿での生活を繰り返しその土地の人間達の生き様を知る中で、島村は徐々に葉子に心を惹かれていく。

作中では自然の描写やその土地ならではの風習が事細かに描かれている。特に島村が宿を離れる前に、街をぶらつくあたりからは様々な習わしが語られる。雪晒し、雪催い、岳廻り、胴鳴り、自然と共に暮らしてきた人々の知恵は島村にとっても、そして私にとっても新鮮だった。

(引用始め)

もう今年も海や山は鳴ったのだろうか。島村は一人旅の温泉で駒子と会いつづけるうちに聴覚などが妙に鋭くなって来ているのか、海や山の鳴る音を思ってみるだけで、その遠鳴りが耳の底を通るようだった。

(引用終わり)p.156

島村同様、雪国の豊かな自然を眺めているうちに、私自身も感覚が鋭くなってきているような気がした。そこにあの結末である。

降り積もる雪と燃え盛る炎。
炎の中を転落する女と、女の体の痙攣。
女の昇天しそうなうつろな顔。
頭上には天の河。

突然の急展開に感度ビンビンの私は困惑した。

それはまさに"非現実的な世界の幻影"だった。

ガラス越しではない、葉子の真実の姿を見た島村。彼は何を感じたのだろうか。舞踏の評論をする彼は、そこに芸術的な美を見出していたのかもしれない。そして著者である川端康成自身はこの結末を描く時、何をイメージし、何を表現しようとしたのだろうか。それは生か、死か、あるいはそれらを超越した、何か、なのだろうか。

真の美というものがあるとするならば、それはガラス越しに見るくらいが丁度良いのかもしれない。

真の美は危険だ。

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