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非暴力と対話

【海外写真放浪記】 INDIA 6 ダラムサラー 

ダライ・ラマ14世に会いにダラムサラーへやって来た僕は可能な限りこの寺院へ訪れていた。先ずは事務局で手続きをして、謁見の日取りを決めなければならないのだが、結果的に言うとそれは叶わなかった。


会う事は出来たのだが2011年8月当時ダライ・ラマ14世の政治における権限を首相に当たる地位の方へ譲渡すると言う事があったのだが、奇しくもその祭典中に僕はダラムダラーへ滞在していたのだ。


その代わりその祭典へ出席する事が出来たのだが、カメラが持ち込み禁止だった為写真が一切ない。


実際何を喋っていたか英語ではなかった為全く分からなかったのだが、周りのチベタンの人たちがダライ・ラマ14世が現れた瞬間、膝まずき手を合わせ涙を流している姿を見て物凄く自分が場違いな気がしてならなかった。



信仰の根本は救われたいのだと解釈しているが、彼らのバックグランドを考えると居た堪れない。



普段の寺院では僧侶たちが基本2人1組になって問答をしている。そのディベート方法が、一人が座りもう一人が立って話をしていて質問の時立っている方が相手に向けて大きく手を叩いているのだがその光景は物凄く独特だ。

受け手は答え、また質問した方がその矛盾をついて行く。



徹底した非暴力を追求していくとやはり対話と言うツールが一番重要になってくるのではないだろうか?


アイヌ民族のチャランケやマオリのハカにも同様な効果があると思う。結局武力による衝突は悲しみしか生まない事を昔の人達は知っていたのだ。


僕自身普段の生活で自分をさらけ出してまで本気で誰かと話し合う事は少ない。だが、これを続け、相手とすり合わせ答えを出していく事こそが今の世の中で一番重要なのかもしれない。


SNSによる建設的なディベートの場があるとすれば民族を超えて対話できる素晴らしい事なのだが、人は匿名と言うフィルターがかかっただけで相手を思いやる事を忘れてしまう。


今後匿名と言うスタンスが無くなっていき、SNS上で建設的な場が増え国や政府間ではなく国民同士での意識交換が個人レベルで行われた場合、損得の枠を超えて解決の糸口が見えてくるのではないだろうか?


チッベットの方々が一刻も早くラサに戻れる事を願う。







次回 INDIA 7



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