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17-就職と転職について話そうじゃないか。

こんばんは。


今日の雑談と導入。

仕事中の出来事で忘れられないことがある。

同僚の居眠りだ。

僕が4社目に勤めていたころのお話。
4社目は、ベンチャー気質の会社だった。創業から10年以上は経っていたし、求人広告代理店という職域だったので新進気鋭のベンチャーと一緒にするわけにはいかないが、まあ、ベンチャーといって差し支えないだろう。平均年齢は20代だったし長時間労働も結構あったし給料も安かったしね。

そんな会社だったが仕事は各人に完全に任されていて、僕としては、仕事が進めやすかったし成果が出しやすかった。

話は戻る。
僕は社内でも採用代行をやるチームに所属をしており、同じチームに5人が所属していた。その中の一人が、最初に書いた居眠りをキメた人である。便宜上、ここではAさんとして続きを書いていこう。

Aさんは、僕が入社する1か月前に入った人。僕よりも1歳上で、いつも落ち着き払っている人だった。

仕事中に雑談をすることはほぼなく、ずっとPCに向かって仕事をしている。僕らのチームの仕事内容的に、PCとにらめっこするのは仕方ないのだが、雑談にも入ってこないので、人となりが分かりづらいなと感じていた。黙っていて干渉しなくても仕事は完遂できるのだが、ちょっとAさんのことが気になった僕は、他の社員が帰宅した後、残業をしているAさんと何度か話したことがある。話して感じたのは、Aさんは人から意見を求められたら話す人ということ。こっちから話を振れば何かしらの返答があるものの、Aさん主体では話がスタートすることはなかった。

コロナの第5波が始まり、会社もほとんどの社員が在宅勤務になった。Aさんも僕も在宅で仕事をしていたのだが、そこである問題が発生する。チームや他部署からの連絡にAさんのレスポンスが全くないのである。リーダーが何かを投げかけても返答は一番遅く、対応が全くなく営業がクライアントから注意を受けることもあった。

在宅が始まり、ある程度たったころ、噂が流れた。
「Aさんが在宅勤務を嫌がっている」
最高だと思っていた僕からすると在宅を嫌がる人もいるのかと思ったが、Aさんの理由は、ちょっと変わったものだった。
「周りに人がいないと仕事に集中できない」「会話でアイデアを生んでいたのにリモートになってできなくなった」
納得できる側面もあるが、2つ目の理由は違うだろと思っていた。そもそも先に書いたように、Aさんは自分発信で話し出すことはほぼなく、仕事上のアイデアを出したことは片手で足りるほどだった。加えて、福利厚生としてバーチャルオフィスも導入していたので、全社としてバーチャルオフィスで相談や報告などをしていた。確かに顔を合わせて会話することは少なくなったが、出社時もほぼPCとにらめっこだったので、そこまで変わらないはずだった。

そんな理由を会社に対して突きつけたAさんは、任意で出社を選ぶことができるようになった。ただ、チームメンバーはおろか他部署のメンバーもリモートが中心。会社にいても、出社しているメンバーは数が限られる。結果、Aさんの仕事環境は周りに人が数人増えただけで着地する。

そんな状況で仕事をすることになったAさん。
彼は出社しているのが社長含めた数名という、ある意味目立つ状況で居眠りをかますことになるのである。しかも最悪なことに、出社している他部署のメンバーからリーダー宛に居眠り報告が挙がったのである。

そこからはチームメンバーも出社をして彼を仕事の傍ら、監視することに。ただ、Aさんは止まらない。僕らチームメンバーがいても平気で居眠りをかます。挙句、社長からも指摘が入ってしまった。最後には僕らもあきれ果て、Aさんから仕事を取り上げてしまった。

こんなAさんだが、だいたい1年ぐらいで会社を辞めてしまった。チームの雰囲気にも会社の雰囲気にも合わなかったのだろう。彼が今、何をやっているかは分からない。

閑話休題。

過去一番で前段が長くなってしまいました。
今日は、こんな僕のお仕事経験。つまり就職や転職について書いていこうと思います。この時点で1500文字を超えるとは、驚き。お付き合いください。

就業経験。

僕は大学卒業後、5社に勤めてきた。
20代で5社というと、かなり多い転職歴だと思う。いわゆるジョブホッパー的な。今日はそれぞれの会社のことや思い出について書いていきます。

1社目:学習塾の教室長。

僕が大学卒業後に新卒として入社したのは、学習塾。
塾名は明言できないけど、裸の少年が塾でスイッチを入れられることで、なぜか服が吹き飛び、裸で走り出すCMの塾といえばわかる人にはわかるはず。
その塾で教室長業務をしていました。

入社理由

元々、教員を目指していた僕は学生時代に塾講師のアルバイトをしていた。アルバイト先がこの塾のフランチャイズだったのである。
教育実習で教員を諦めてからは、他にも様々な塾を受けたが、一番やり方がわかっているところがいいと思って、この会社に決めた。後で分かった話だが、アルバイトをしていた場合、一種の選考免除特典がある「内部リクルート」制度があったらしい。僕はそんなことも知らず、最初から最後まで馬鹿正直に選考を受けていた。

仕事内容

学習塾にありがちな授業をすることはほぼなく、生徒との面談や新規生徒獲得のための営業活動、請求書発行などの経理、講師採用や研修、各学校とのパイプ作りなどのマネジメントが強かった。

思い出

この会社で思い出深いことはたくさんある。
社会人一発目なので色々と至らずに怒られたこともある。入社して数週間は人事預かりで研修を行うのだが、研修の中に部署研修と呼ばれる、配属予定以外の部署を数日体験するというものがあった。人事部で研修を受けていた際、社内の人間からの人事宛の電話があった。僕が出ることになり対応しているが、どうも相手の名前が聞き取れない。あまり聞きなじみのない苗字だったのである。何度も聞き返してようやく取り次ぐことができ、一安心していた。その時は変わった名前もいるもんだと思っていたが、まさか、その人が直属の上長(課長クラス)と聞いたときは落ち込んだ。配属後にその上長からも、色々といじられたのはいい思い出である。

あとは社員合宿。塾のサービス説明は全教室統一じゃなきゃいけないという社長の一声から、僕らにある使命が課せられた。それはA3用紙両面にビッチリと印字されたサービス説明を一言一句間違えずに20分弱で言い切るというものである。一言一句間違えずなので「てにをは」と呼ばれる接続詞も間違ってはいけない。これが本当にきつかった。ディズニーランド近くにあるホテルで東日本の社員全員を集めた合宿では、このテストや社長講和、ロープレというプログラムが行われた。幸運なことに僕は初日に合格することができたのでよかったが、同じチームにはなかなか覚えることができず夜通しの練習になる人もいた。ちなみに僕は30分ぐらいかかってしまったので、色々な人から心配された。

退職理由

組織構築や採用を専門にキャリアを積んでいきたいと思った。これに尽きると思う。色々なことをやれた反面、専門性みたいなのが薄いと感じていた。勿論、未来ある子供に接することができる教育業界は素敵だったが、自身の採用や組織構築への興味を抑えることができなかった。

2社目:新卒採用の採用代行。

2社目では、採用代行をしている会社に入社。
僕は新卒採用部門に配属され、クライアントの新卒採用の主にシステム面を代行することになる。

仕事内容や思い出

正直、あまり書くことがない。
僕が入社したころはちょうどコロナの流行り始めだったこともあり、会社方針で1年目の社員は全員自宅待機となり仕事がない状態。その時は、仕事もほぼせずに海外ドラマをずっと見ていた。

仕事内容もシステム関係の設定や操作代行がメインだったので、今振り返ると、すごく面白くやりがいがあるというわけでもなかった。ただ、自分がメインで進めることができたプロジェクトは、進捗もよくクライアントからも褒めてもらったいたのでそこだけかな。

退職理由

採用の下流工程ばっかりで飽きてしまった。
上で書いたように面白さややりがいを感じることが圧倒的に少なかった。会社としてやっていたことが細々としたシステム関係の代行が多く、ほぼクライアントと接することがなかったので刺激が少なかった。それに加えて、クライアントに貢献できている感覚が得られなかった。

3社目:求人広告代理店の営業。

入社理由

採用関係で仕事をするのであれば、求人広告経験は必要だろうと思った。
実際にクライアントと直接、どんな人が欲しいかやどう採用していくかを話し合っていく経験を積んでおきたかったということもある。

仕事内容や思い出、退職理由

この会社も特に思い出はない。
というのも様々な事情から会社を短期で辞めることになったからだ。だいたい3か月ぐらい。様々な事情について書くのは憚られるので割愛する。

在職していた3か月間は、ほぼアポ取りの電話と訪問ばっかり。研修もあったから、実質2か月ぐらいかな。

4社目:求人広告代理店の採用代行部門。

入社理由

今までの採用代行の経験を活かしつつ、新しい業務もできるから。
僕は面接アドバイザーという一風変わった職種で入社した。企業に代わって採用代行をしつつ、求職者・応募者と面談をして、その企業に合格するために作戦を立てるというものである。企業の採用率を上げるとともに応募者にも一歩を踏み出してもらうという面白さを感じたこともあり、入社を決めた。
入社して仕事に慣れてきたころリーダーに言われたのが、僕は書類選考で落とされる予定だったということ。年齢の割に転職回数が多かったことが理由らしい。ただ、過去の採用代行の経験が目に留まって、面接、そして内定。各転職サイトの職歴の内容はしっかり記載すべきと改めて感じた。

仕事の内容

採用代行としては、企業の採用に関するいろいろな仕事を代行する。
書類選考だったり面接日程の調整だったり内定連絡だったり。面接以外はほぼやったかな。

面接アドバイザーとしては、応募者との面談が中心。電話だったりzoomだったりで応募者と面接対策など話をする。志望理由を一緒に作ったりもした。

思い出

僕が一番成長できたのはこの会社。色々なことをさせてもらった。
今まで会社になかった職種で採用を決めてもらったこともそうだが、
紹介予定派遣を立ち上げる際にも声をかけてもらった。残業は多かったし、ベンチャーならではの悪いところも多かったが、僕としては、非常に良い経験ができたと感じている。

あと、クライアントにも恵まれ、すごく褒められた。
僕指名で案件がリピートすることも多かったし、僕が担当じゃないと案件を発注しない、僕だからこの案件をお願いするといったことも起きていた。本当にこの時は凄かった。

そんなクライアントからの評価もあり、社長賞も取った。一種のバフがかかっていた状態だったんだろう。

退職理由

組織変更で僕の強みが活かせなくなりそうだと思ったから。
会社方針で採用代行は人からシステムに移行していく流れだった。僕の強みはクライアントとコミュニケーションをとって関係を築くこと。築いた関係性で多少の無理も何とかしてもらうみたいなところもあった。
システムに移行するとやることは2社目に近くなっていくと思った僕は、この会社から退職することを決めた。

5社目:飲食店の採用人事。

入社理由

4社目の時の僕のクライアントから引き抜きの話があり、移った形。
4社目の社長からも背中を押し出されての転職だった。

仕事内容と退職理由

まず、退職理由。
自殺一歩手前まで精神を病んだから。そのレベルになるまで理由はいろいろあったはず。もう思い出したくもないけど。

仕事内容は採用関係諸々。
求人票作ったり、色んな会社から話を聴いて採用活動に生かしたり。どうすれば人が集まるかをやっていた。

今は細々とフリーランスで採用支援をしつつ、いい会社があれば転職するといった転職活動をやっているところ。

最後に。

結構、長めになってしまった。
ある程度いいところまで行っていても、ふとしたきっかけで心を病んでしまうこともある。メンタルケアには気をつけよう。

ちなみに心を病んで心療内科に行った際に医者から言われたのは
「6階からの飛び降りじゃ50%、確実に死ぬなら9階ぐらいからじゃないと」
その時の僕は、こんな頭のおかしな医者がいるんだったらもうちょっと自分勝手にマイペースに生きても別にいいかなと思った。

苛立ちもあるけど、そんなことを言ってくれて助かった一面もある。あの時の心療内科のおっちゃん医師、ありがとよ。

今日の最後。

最後が湿っぽくなっちゃった。
みんなマイペースに自分を壊さないぐらいで生きていきましょう。

今日はおわり。

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