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25-仕事を詳しく振り返ろうじゃないか。

こんばんは。


今日の雑談と導入。

 つい最近、X(旧Twitter)でバズっていた内容がある。

そもそも「琴線に触れる」の意味が分かる人はどれぐらいいるのだろうか。本来は、良いものや素晴らしいものに触れて感銘を受けることという意味。簡単に言えば、「じーんとくる」というところだろうか。逆に「逆鱗に触れる」は、目上の人を激しく怒らせるという意味。上司をブチギレさせてしまった時に使う言葉である。

意味としては正反対な気がするが、いったいどうしてこのような意味違いが発生してしまったのだろう。

おそらくは難しい言葉や慣用句に触れる機会が少なくなってしまったから。「琴線に触れる」よりも「じーんとくる」や「エモい」のほうが便利だし、「逆鱗に触れる」よりも「ブチギレさせちゃった」のほうが分かりやすい。
僕も20代の若造ではあるが、年下の子と話している際に慣用句を使うとハテナ顔をされてしまうこともある。

うーん、なんか悲しい。
ITを中心としたビジネス界隈でも横文字が流行りだしているが、日本語の風流みたいなものが消え去り始めている気がする。

今回は「琴線に触れる・逆鱗に触れる」問題を取り上げたが、まだ、意味を間違えている段階で良かった。意味はあとからでも修正できるし。その単語を知らないという段階じゃなくて本当に良かった。

こういった状況を悲観するんじゃなくて、どう是正していくか考えてみる。
簡単だよ。
本読もうぜ。ビジネス書だけじゃなくて小説をさ。言葉のプロが色々な表現を使っているし、登場人物の心理描写も相まって実際の場で使える語彙も増えてくるはず。

少し社会問題に切り込んでみました。

閑話休題。

今日は僕の琴線に触れた仕事が多かった4社目のことを深堀していく。
繋げ方が無理矢理だったかな。

4社目。

そもそもこの記事から僕の毎日日記を読んだという人は何が何だかという状況なはずなので、以前の記事を共有する。僕の転職遍歴である。

仕事内容。

仕事内容としては、大まかにいえば中途採用の採用支援。採用に困っている企業さんをどうにかして助けるというお仕事。その中でも僕は、採用代行・RPOをメインとして行っていた。

採用代行のイメージが湧かない人もいるかもしれないので説明すると企業の担当者の代わりに採用活動をやっちゃおうということである。リクナビNEXTやマイナビ転職など求人サイトの求人原稿の作成、応募者管理、書類選考、面接調整、合否・内定連絡などがある。
まあ簡単に言うと、面接以外は全てお任せされていたということ。

こういった採用代行をメインにやりつつ、クライアント企業の担当者として応募者に対して、会社説明や面接サポートをするカジュアル面談対応もしていた。

思い出①:建設業界のクライアント。

社名は勿論出せないが、僕が初めて一人で担当したクライアント。
同じチームで営業兼務だったメンバーからRPOの発注があり、僕が担当することになった。入社して2か月目だったかな。全国の建設現場に職人さんや現場監督さんを派遣する、所謂、建設派遣業がメインの会社さん。

この会社さんは色々な面で成長させてくれた。
全国に支店があって各支店ごとの選考の進め方も違うし、経験によって面接をする担当も変わる。会議があるからこういったデータを出してほしいなんてのもあった。調整力や関係構築力、データ集計と分析はこの会社を担当して身についた。僕は、細かい状況を一つ一つ整理をしながら、持てる力を全部注いだ。

そんなことを毎日していたら、クライアントからの評価は最高潮に。半期ごとの担当メンバー評価のアンケートでは、担当全員から「非常に満足している」の評価をもらうことができた。

そんな評価を得ていれば、採用代行だけの関係では収まらない。地場採用をしたいがどうすればいいのかの相談や未経験採用率向上に向けた提案を求められることもあった。

僕が担当している間に2度、営業も変わったが、このクライアントは僕が繋いでいるという自負があった。今日から開始だけど対応可能?という無茶なオーダーにも対応するし、何かあれば即レスで安心させられるし、遅い時間も平気で電話が繋がるし。おかげで何度もリピートをしていただくことができた。

僕が退職を伝えた際も、最初は皆さん絶句という状況だったが最後には快く送り出していただくことができたし、そこまで深い関係性を築けていたことも嬉しかった。

思い出②:教育業界のクライアント。

この会社も思い出深い。なぜかと言えば、このクライアントは僕の出身企業で僕の念願が叶いそうな瞬間でもあったから。

僕は2社目以降、すべて人材系の会社で仕事をしているが、教育業界から離れる時に、ある夢を掲げた。
「人材業界で得た知識で教育業界にどんな形でも何か恩返しをする」
まさか4社目でかつての夢を叶えられるかもしれない環境になるとは。こんな想いで、クライアントとのキックオフミーティングに臨んだ。

このキックオフミーティングで事件があった。キックオフミーティングは営業同席のもと、募集の背景や細かい質問、今後に向けた確認等で終わることが多い。この案件はリーダーがメイン、僕がサブという動きをする予定だった。ミーティング前に前にリーダーから「もし自分がメインになるとしたらどんな質問するか考えといて」と言われていた僕は、もし自分だったら聞くことをざっと考えていた。入社してから1か月も経っていないし質問することはないと思っていたが、ミーティングが始まり、いざ質問のターンになった際、急に営業が「ここからは彼にお任せします」と僕を指名してきたのである。驚き驚き。リーダーに補足してもらい、しどろもどろになりながら質問を終えた。ミーティングが終わったあとに営業からもリーダーからも、「たぶんできると思ったし、できたしいいんじゃない」と言われ、これがベンチャーかと妙に感心してしまったのを覚えている。

実際に案件がスタートしてみると、最初は大コケ。ニッチな職種ということもあり、応募は全く来ない。応募が来ても、年齢が高くシルバーだったり全くの未経験だったり。クライアントからも進捗がないことへの確認の電話があり焦っていた。そこで、僕は職種リサーチと原稿対応も自分でやり始めた。本来は原稿制作の専門部署がありそこが対応することなのだが、制作部も多数の案件を抱えていて手が回らない。なんとか時間を見つけてもらってやり方だけ教えてもらい、自分でもチャレンジしてみることにした。色々と施策を打ってみたところ応募もチラホラ来始め、無事に入社1名を出すことに成功した。小さい形だが、何とか恩返しすることはできたのだ。実はクライアントの担当者は僕が新入社員で入ったときにも人事にいて、研修をやってくれた人だった。報告がてら電話をしていた際に「実は…」と身分を明かしたときには、驚いたけど成長したねと褒めてもらったのだった。

そして、施策を打っていて効果が出ていないときにもクライアントに適宜連絡を入れていたことが功を奏し、対応を気に入ってくれ、別職種の案件を獲得することに繋がったのである。僕がこの4社目にいた約1年半という期間で、営業以外の部門が案件を獲得したという話は聞いたことがなかった。

思い出③:リピーター。

僕はチームの中でも新規クライアントからのリピート率が高かった。僕が担当すると、別のタイミングでも案件を任せてみようと思うらしい。非常にありがたいことだ。僕の力だけじゃなくて会社としての力も多分にあるが。

先の建設業界・教育業界の両クライアントも僕が最初の担当者だった。他にも、僕が担当だった不動産業界のクライアントからは、社長宛に「次回もやるんであればあの人がいい」と言ってもらえたし、別の業界のクライアントは「あの人がやってくれると助かる」とか、金融業界のクライアントは「君が担当から外れるなら別に頼もうか」と冗談交じりに言っていた。

特にこの金融業界のクライアントは対応していて面白かった。最初の出会いは、あまりいいものではなかったと思う。担当の方がテンションが低くて少し怖かったのだ。まあ対応していく中で関係を深めていったので問題はなかったが。定例会議にリモート参加が多い僕をイジってきたり、コロナに罹って声が全く出なくなった時は心配してくれたり、MTGに参加できなかった次の回では、顔見たかったですと言ってくれたり。
僕が退職を伝えた時がちょうど契約を続けるかの判断のタイミングで、本当に残念がって、発注を継続するかの1つのポイントにまでしてくれたし、最後には、食事に行こうとお誘いまでしてくれた。本当に僕のことを評価してくれたクライアントである。

多くのクライアントに恵まれ、この会社での仕事は本当に楽しかった。

思い出④:社長賞。

4社目に入るまで、僕は仕事上で賞罰というものと無縁で生きてきた。ダントツで良い成績を出すこともなく、罰則を食らうこともなく。ただ、この4社目で社長賞をもらうことができた。

この会社の社長賞は少し変わっていて、誰かの他薦で決まるというわけではなく、社長宛に自分でエントリーをしないといけないのだ。

クォーターに1回ある業績発表会という全社イベント前になると、社長賞エントリーが広報される。あまり目立つのが好きではない僕は興味もなかったのだが、入社から1年が経つという切れ目のタイミングだったこともあったので、モノは試しにエントリーしてみた。

僕の担当クライアントの商談には社長が参加していることも多く、ありがたいことにクライアントから社長へ直接評価が伝わることもあり、幸運にも受賞することができた。

とはいえ、貰ったのはトロフィーだけだったし名誉だけだった。ビール1箱とか商品券とか給与ベアとかがあれば、より嬉しかったな。まあ、職務経歴書とかに書けるだけでも良かったけど。

思い出⑤:同僚。

この会社は業務区分がしっかりしていた。
新規営業部門、既存顧客部門、制作部門、採用代行部門。
それぞれが対応すべき仕事が明確になっていたし、他部署の仕事にはあまり口や手を出さないというのが基本だった。

僕は採用代行部門に所属していたので、自分で案件を取ってくるということはなく、営業部門が取ってきた案件を運用するみたいなのが一般的だった。

その中で、僕は一人の女性営業の案件を担当することが多くなる。その人は凄く頑張り屋で、クライアントのことを深く知ろうとする。それでいて社内のこともよく見ていて気遣いの鬼ともいえる人なのだ。

その人は自社採用にも関わっていたから他部署のことをよく分かっていた。どんなことを知っておけば関連部署が仕事を進めやすいか、どんなことが関連部署は嫌いか、無理な納期じゃないかなど。クライアントと社内関連部署に挟まれる営業は大変だったと思う。特に僕は、色々なところに口を出すことが多かったので尚更だったはず。だからこそ、その人の案件なら進んで手を挙げたいと思っていた。結果として最後まで多くの案件を共にした戦友のような存在だ。

同僚と呼んでいいのか分からないが社長も思い出に残っている。50名もいない会社だったが直接関わる機会は決して多くなかったと思う。新しい事業を始めようとする際にも声をかけてもらったこともあるし、自分で事業案を作って社長にフィードバックをもらいに行ったこともある。5社目の引き抜きの話の際は背中を押してくれたし、退職後も何かと相談に乗ってもらっていた。今でも給料に関しては渋い人だと思っているが、僕に成長の機会をくれたありがたい人である。

最後に。

僕はかなりいい会社にいたんだと思う。
自分のキャリアや会社の方針を考えた時に離れる決断をしたが、自分が成長できた環境だったと思うし、あれほど仕事に熱くなる経験をできたのは貴重だなと思っている。会社から離れて後悔が全くないかと言われると微妙なところだが。

今日の最後。

ちょっと熱めに語ってみた。
4社目のような経験はなかなかできるものじゃない。今後、似たような熱い経験ができることは多くないんじゃないか。
まあ、今後の人生に期待ですな。

今日はおわり。

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