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08-部活動で体を動かそうじゃないか。

こんばんは。


今日の雑談と導入。

昨日でnoteで投稿を始めてから1週間が経ち、7日間の毎日投稿を行うことができた。まだ1週間と人は言うかもしれないが、自分としては結構凄いことだと思っている。飽き性の僕が、毎日、自分の思いの丈をつらつらと書き連ねていけると思っていなかったから。

そんな投稿開始から1週間が経った僕には、ある問題が生じている。
「noteの記事を何て呼べばいいのか問題」である。
正直、「なんでもいいだろ!」というのが大半の人の考えなのだろうが、僕にとって、名前を付けるという行為は非常に重要である。

毎日投稿をしていこうとすると、どうしても過去の投稿からの引用や繋がりが出てくる。そうした際に、なんか愛称というか呼び名があればいいなと思ったのである。
色々な人の投稿を見ていると、【記事】【note】【投稿】【ブログ】が一般的な気がする。
うーむ。どれもいいんだが、あまりしっくりこないというのが本音である。
どれも及第点ではあるんだけど、無機質な感じが拭えない。
とはいえ、画期的な呼称があるわけでもない。
今は、【記事】【投稿】【note】を使いまわすしかないか。
しっくり来たのが見つかったら、それ一本に絞っていこう。
いい案、募集中です。

閑話休題。

今日は、以前の自己紹介の投稿の中から、
中高時代の部活を振り返って書いていこうと思います。

中高の部活動=剣道部。

僕は埼玉の片田舎の男子しかいない私立に入学をし、剣道部に入部をした。
中1から高3まで同じ剣道場で6学年が一緒に稽古をするのだ。剣道場の大きさは、試合コート2面だったので12m×25mぐらい。そこに約50名ぐらいが集まっていたという計算になる。
練習は土日含めた毎日。平日は授業終わりから最終のスクールバス発車に間に合うように16時から17時30分ごろまで。土日は遠征がなければ9時半から12時ぐらいまでだった気がする。たまに二部練で午後もやった時があったような。

遠征

遠征は月2ぐらいだったかな。合同練習会や練習試合、名前も知らない大会などに行っていた。中学の時は市内や県内が主だったけど、高校になってからは関東圏の高校などに行ったことを覚えている。

一番多かったのが、どこかの学校に集まって4~6校ぐらいでやる練習試合。
これが一番きつかった。
10時ぐらいから17時ぐらいまで、3校ローテーションで総当たりを行う。大会や公式戦だと試合時間は最大4分だが、練習試合の場合は最大3分になることが多く、先方から大将までの5人戦なので、1団体戦で約20分ぐらい。
これが下の図みたいに1周したらローテーションの変更。

すごく簡単に書くとこんな感じ。

1日で試合するのは12試合前後になることが多いんだけど、まとまった休憩が取れないのよ。練習試合だから専任の審判員がいるわけでもないから仕方ないんだけど。しかも参加学校が少ないから、同じ学校の同じ生徒と何回も当たる。結構、メンタルも体力的にもやられてたな…。

合宿

剣道部は、夏に2回の合宿がある。校内合宿と猿ヶ京合宿。
校内合宿は言葉の通り、学校に泊まり込んで朝から晩まで稽古をする。校内合宿の時は、いつもの剣道場じゃなくて体育館を使うので、端から端までの追い込みなんてときはいつも倒れるかと思うぐらい。何度、気分が悪いって途中で抜けようかと思ったか。OBの先輩方も来るが、皆さん過去に経験された方なので、数を誤魔化してくれたり、楽にしてくれたりするのが本当に救いだった。

ヤバかったのが猿ヶ京合宿。
全員参加というわけではなくて初心者は2年目からという条件がある。条件があるということは、それだけキツイということ。僕の高校は群馬の猿ヶ京温泉に合宿所を持っていたので、同じ県内の2校と合同で猿ヶ京で1週間の合宿を行っていた。この合宿でキツかったのが、同じ学校の部員でなかなかグループを組めないこと。同じ高校のメンバーであれば、練習の強度に手心を加えることも可能だが、学校が違うと簡単にそうもできない。しかも、参加する他校のOBも剣道バカが揃っているので、一緒の組になると、逆にキツくするといった「あたおか」を発動してくる。今でも、猿ヶ京合宿はプラスな思い出はあまり残っていない。

思い出に残っていること。

①教員を目指そうと思ったきっかけ。

僕は高校卒業後、教員養成系の大学に進んで教員免許も取ったわけだが、そもそも教員を目指そうと思ったきっかけがこの剣道部である。

正直、僕は剣道はうまくなかった。
周りみたいにいつも勝っていたわけじゃなかったし、そもそも剣道が好きではなかった。

試合には出なくとも、メンバーをサポートすることは可能である。竹刀が割れた時の修繕や、けがの手当て。相手チームの情報収集。
サポートをしている僕を見て、とある父兄さんが言ったのである。
「教員向いてるんじゃない?」
初めて、何かに向いていると人に言われた。
僕自身、人が成果を出すためのサポートは嫌いじゃなかったし、特にやりたいこともなかったので、その父兄さんの一言によって、教員を目指すことに決めたのである。

②剣道部は学校の便利屋。

剣道部は週7日部活があるので、学校サイドとしても使い勝手が良かった。例えば、倉庫にしまってある机や椅子を教室に運んだり、新しく導入される備品の運搬をしたり。その時は、雑務でキツい稽古の時間が減るのであれば嬉しかったが、今考えると、何やらせてんだって話だね。
後、顧問が美化委員の顧問もやっていたことから、剣道部の部員は、知らぬ間にクラスの美化委員に任命されることもあった。僕も例に漏れず、中1を除く5年中、4年は美化委員だったし、高3の時には、美化委員長までやらされる羽目になった。
そういえば、新年度に切り替わるタイミングで顧問が急にキレて、校門近くの草むしりをしたこともあったな。あれって偶然…?

③BBQ事件。

夏合宿の最終日は午前練だけで、昼にBBQをやって終わるのが恒例だった。僕が高2の時、顧問のつながりで近くの女子高の剣道部が練習に参加した。その女子高はインターハイにもよく出ている強豪校だった。僕らは男子校、向こうは女子校。なんらかのアバンチュールを期待していたのかもしれない。そうはいかない。
あいつらは、女子と言っても非常にパワフルなのである。いわゆる男子諸君が好きな、可憐でか細いみたいな清廉さは感じられない。なんというか粗雑なのである。僕のことも呼び捨てにしてくるし、肉焼けって言ってくるし。
あーあ、もっと可憐な女の子のために肉焼きたかったわ!
そこであわよくばみたいな感じになりたかったわ!
そんなことはなく、僕の一夏が終わっていった悲しい思い出。

④スリッパ、上から叩くか下から叩くか。【閲覧注意】

「打ち上げ花火、下から見るか横から見るか」みたいなタイトルである。タイトルに反し、体罰を含むのでなかなかにショッキングな内容なので閲覧する場合は、注意されたい。

これは中学生2年生の春の練習試合の時の思い出。千葉の錬成会(大型の練習試合)に参加した。
その時、僕はBチームで先輩2人と同級生2人と一緒だった。Aチームには顧問がつき、Bチームには外部コーチのKがついていた。このKは後々、色々なところで問題を起こす。
その日も多くの練習試合を行い、全体終了のアナウンスがあった。練成会は、全体終了のアナウンスがあったら中締め、その後1時間ぐらいは会場を開放し、自由に練習試合を組んでもいいし、帰宅してもいいというのが一般的だった。僕らは埼玉から参加をしていたし、帰るのも1時間以上かかるので、アナウンス後に、顧問に帰るかもう少しやるのかの判断を取りに行ったら顧問は帰る判断をしたので、僕らは外部コーチに総括をもらいに行った。
その時、事件は起きた。
Kが、Bチームのリーダーとして動いていた先輩を、履いていたスリッパを脱ぎ、頭上から叩いたのである。その後、「何、下見とんじゃ!」の一声とともに、振り下ろしたスリッパを、真上に一閃。先輩は、スリッパを使った上下verの往復ビンタを食らったのである。周りにいる僕らも唖然。Kが切れた理由は、「なぜ試合を組んでやってこない」「顧問に行く前に組んでしまえば1試合はできたはず」というものだった。
僕はこの時初めて、理不尽というものを実感したのかもしれない。ちなみにKは、先輩には謝らなかった。

⑤同級生Tの苦難。【閲覧注意】

この話も体罰を含む。見る際は注意してほしい。

Tは、高校から入学をし剣道部に加わった三人の同級生の一人である。こいつは、色々と災難な目にあっていた。僕同様、いじられキャラであったが、明確に違う点があった。Kとの相性が最悪だったのである。というか、高校入学組三人は全員Kとの相性が悪かった。とはいえ、Tは前世でKの親を惨殺していなきゃ納得できないほどだった。

高2の秋、とある神奈川の練成会に参加した。
僕は相変わらずBチームだったのだが、Aチームの当落線上にいたTも、その日はBに割り当てられていた。
その日の練成会は少し特殊で、AとBで会場が異なっていた。Aの会場から1kmちょっとの高校の体育館。全体の着替えや準備、ウォーミングアップはAの会場で行うため、アップが終了次第、Bの会場に向かうことになった。その日も、Bの監督はK。
Kは車移動だったものの、僕らを乗せることはなく一人で会場に向かった。この時点で、何かおかしい気もするが、僕らは道着を着て、防具を付け、竹刀をもって会場まで歩いて向かった。午前の試合が終わり、昼休憩でAの会場に向かう際、Kからこんな一言が発せられた。
「トロトロ歩くな、走れ」
こいつは馬鹿なのか。
僕らは頭の中で同じことを思いながら、ヘトヘトの体でAの会場まで走り、昼休憩を取って午後の試合に臨むことになった。
午後の試合も終わり、いざ帰宅というタイミング。一日の総括をもらいに行ったときに、問題は起きた。基本的に、総括をもらう際は「休め」の態勢で聞くことが多いが、僕らは直前まで試合をやっていたので、汗だくだった。汗が垂れてきたTは、Kが話している最中、鼻の脇に垂れた汗を右手の親指で拭った瞬間、Kがキレた。
「なんだその手は!一生、そうしとけ!」
何を言っとるんだコイツは。僕ら全員が思ったが、Kは本気のようだった。Tは右手の親指を鼻の脇に添えたまま話を聴くことになった。総括が終わり、Aの会場に戻ろうと片づけを始めていると、KからTに向かって衝撃の一言が続いた。
「何、手を離しているんだ。一生そうしとけって言ったろ。」
僕らは思った、「片づけを片手でやれってこと…?」
僕らの邪推は、図らずも当たってしまったらしい。しかも、Tの片づけを手伝うなという命令まで出た。剣道は、思ったよりも荷物が多い。竹刀に防具、試合に使う襷や審判旗、ストップウォッチにスコアボード、飲み物なども含めると、片手では持ちきれない。僕らは、Kの目を盗みながら片づけを手伝い、何とか帰宅した。帰りの車の中でも、手を添えていたのはあまりにもかわいそうだったが。

そんなKだが、僕らが卒業した後は都内の高校で監督を勤めたが部内パワハラでフライデーにすっぱ抜かれたらしい。当然の報いだ。

最後に。

今、思い返しても、なかなかに壮絶だったし、きつかった。
先輩や同期に恵まれたから続けられたし、何よりも、親の支援があったから続いたんだと思う。

僕は高校卒業を機に、剣道にほぼ関わることはなくなった。大学の選択授業で剣道を取ったぐらいである。
だけど、竹刀の持ち方、道着の着方、防具の付け方は忘れていない。
三つ子の魂、百まで。とはよく言ったものである。

今日の最後。

僕の中高生時代の一番の思い出でした。
まだ、書ききれていないことは多いけど、いったんここまで。
もし気になる人がいれば、また書こうかな。

今日はおわり。

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