年少

ホームスクールを選択した理由(3歳~7歳の話)

息子は、赤ちゃんの頃から発達も早く育てやすかった。覚えもよく、好奇心旺盛、お友達も大好き!より良い環境で過ごせるようにと、幼稚園受験を考えていた。幼稚園受験のお教室でIQが随分と高そうだと言われていたので、幼稚園選びは様々な体験が出来る園を選択。息子が好きなお茶や習字など日本文化を体験する時間があり英語や体育の専門の先生も居た。息子も幼稚園に入るのを楽しみに面接に挑んだ。が、、、

幼稚園落ちた!(皮肉なことに、この時期保育園落ちた!日本〇〇!”が流行)

慌てて他の幼稚園に駆け込み入園(バス通園)をすることになったが、私達の暮らしは一変した。「なぜ落ちたんだろう?何がダメだったのだろう?」幼稚園受験に落ちたことは、私達の子育てを全否定された様に感じて自信を失い心は重く塞いだ。しかし気持ちを入れ替え“ご縁”を受け入れる努力をした。

入園式が無事に終わり初登園。初日から事件は起きた。手が掛からない息子は、ほぼ一日放置され、待たされていた為に起きた事故。申し訳ないと口先だけの謝罪電話を頂いた。その後、数日通った息子は「幼稚園に行きたくない」と夜中に泣きながら起きるようになった。赤ちゃん返り、落ち着きが無くなり、私達は息子の変化にショックを受けた。

引き剥がされて泣きながらバスに乗せられる息子を見送る日々。皮膚も内臓も引きちぎられるほどに痛く辛い気持ちで私も不安になっていった。息子は、先生は他の子のお世話に忙しいから自力でトラブルをクリアしないといけないと思っていたり、封鎖された教室内でしつこく意地悪をしてくる子からの逃げ方が解らなかったらしい。息子は5月末に幼稚園を辞めることになった。

自宅から近いところにスポーツ幼児園が翌年4月に開園するとわかり、年中から通い始めた。運動が大好きな息子にピッタリ☆楽しく通っていると思っていたが、5月頃から意地悪をする子がいて叩かれると言うようになった。息子は「先生はやり返せっていうけど、僕はやり返したくない。」と平和な解決を望んでいた。

スポーツ幼児園ということもあり、先生方は、競わせ勝ち負けを煽ることで成長を促すとかいう考えだったようだが、どうやら裏目に出た。何でも器用に出来て物知りな息子への嫉妬から虐めが始まっていたのだ。「幼児園の小さい子が虐めなんてしません!」と、先生は鼻息を荒くして私をモンペ扱いしたが、暴力は回数も強さも増していき、周囲の子も加担するようになった。更に先生が私達を辞めさせようと画策していたことまでわかり、精神が崩壊しそうだった。

夏休み、キャンプに行ったとき「僕、ここに300日泊まりたいな!」と息子が懇願したことを思い出し、退園し心機一転自然が豊かな田舎へ引っ越しをすることにした。夫は仕事を辞めるわけにいかず、私たちは遠く離れ二重生活をスタートした。母子二人で大冒険のスタートだった。

私も仕事を見つけようと、年長になるタイミングで保育園に入園した。小人数でアットホームな園だったが、よそ者は目立つ。都会の子はひ弱だとか言葉が通じないだとか、偏見の眼差しと、母子家庭への蔑みを体験した。秋の運動会の後、息子が「お母さん、僕ね、幼稚園に行きたい。幼稚園なら早く帰られるし、お弁当だから。」と、、、息子がまた意地悪されていたことを知っていたので、悩むことなく幼稚園に転園した。

その園は、私自身も居心地が良くていつも遊びに行っていた園だった。息子は4園目にして漸く!ありのままの自分を出せる居心地の良い居場所を見つけた。レッジョエミリアのような空間。絵を描きたい!探検したい!工作したい!泥んこになりたい!やりたいこと何でも出来ちゃう最高の環境だった。先生は、子どもをコントロールせずに見守り、手を添えて下さった。

そろそろ小学校の準備が始まるという頃、息子が「あのね、僕は◯◯小学校には絶対に行かないよ。先生が怒りん坊で生徒を縛り付けるんだ。僕は、自由な学校に行きたい。」※学区の小学校に保育園から幾度か交流体験に行ったり噂を見聞きしていた。

そう、私達は引っ越して肌で感じていたのだった。”田舎だから大らかで自由だろうというのは幻想で大間違いだった。頭の片隅に追いやっていた事実。3歳の時、幼稚園を辞めた後に IQ130以上のお子さんが通う東京の「聖徳学園」で発達検査を受けた際に「公立小学校は、先ず無理でしょうね。」と、はっきりキッパリとアドバイス頂いていたのに、田舎なら少人数で手厚く学ばせて頂けるのではないか?と、僅かに期待を寄せていた。

幻想を捨てて、自由な学校探しをした。第一候補は「きのくに子どもの村」でも、残念ながら断られてしまった。私達は、途方に暮れた。しばらくして自然がいっぱいで自由を謳歌出来そうな小学校を見つけ面接。息子は、校長先生と「毒蛇の研究」をする約束をして、とても嬉しそうだった。合格通知が届き、居心地の良い幼稚園を卒園する前に退園し、関東へ戻ることになった。

一年生の入学式。校長先生が変わったと聞かされた。まるで、詐欺にあったような何とも言えない気持ちで小学校生活がスタートした。見学や面接の際に前校長が話していたのとは話が全く違うじゃないか!!!憤りが次々と湧いて起こった。息子は「校長先生と毒蛇の研究が出来なくなった」と、ひどく残念がり、勉強もつまらなく、保健室で本を読むことが増えた。

クラスメイトや上級生からの暴力、暴言、先生との噛みあわない会話。信頼も信用も無くなり、心が通わなくなった。そして「僕が思っていた学校と随分違う。僕、学校辞めるわ。やりたいことはやらせてもらえないのに、やりたくないことは無理やりやらされる。もう学校へは行かない。学校を辞めてお家で勉強する。お母さん!お父さん!お願い!!!」

私達も、その頃には息子が学校に合わないのは嫌というほど!全身で!理解していた。息子の特性を理解し守って下さると信じて入学したのに裏切られた。誰のための学校?無理強いから何を学べるというのだろう?擦り傷のようなザラザラした悲しみも飲み込んで通った学校とは、もうサヨウナラ。

公立小学校に籍だけ置かせて頂き児童相談所で”発達検査”を受けた。息子のIQは140を超えていた。心理士から、海外で言うギフテッドであろうと思うから無駄な登校刺激を受けて心が辛くならないようにと学校へ電話。「ホームスクールを選択する理由」を学校に受け入れて貰えて安堵した。

息子が登校渋り、不登校をしていた頃から一年。

昨年の夏休み明けから始まったホームスクーリングも、すっかり馴染んで自分のペースで楽しみながらモリモリ学べている。今日は、ドリルを6ページしてからスマホで英語物語を黙々と。午後からは、パソコンで勉強して児童館に行く予定だそうだ。

最後まで読んで頂き、有難うございました(^^)感謝☆

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