見出し画像

心の違和感を怒りで昇華するのはもう辞めた

今日はいくつあっただろうか。
日常で違和感に出会ったとき、皆さんはどうしてますか?

僕はとにかく、その違和感は割とすぐ吐き出すようにしてます。
溜め込まないように。溜め込まないように。
(溜まるのは脂肪だけ)

そして、その違和感を僕の場合は「怒り」の形で昇華させることが多いです。

前職時代も、
「なせこんなに地方と都市部の情報格差があるのかああああああああああ」と猪突猛進でした。
その違和感の元となる原体験が明確であればあるほど、
僕の場合、怒りのエネルギー量はすさまじく、
どこに怒りをぶつけるわけでもなく、
とにかく一人でも多くの地方学生さんの就活サポートを行うこと、
を大事に就活カフェ、就活シェアハウスを展開しました。

それはそれで「怒り」という感情のエネルギー量は良かったと思ってます。

ただ、今思うとすごい不純物が入ったガソリンで、燃費が悪かったかもしれないな〜と思ってたりします。

なぜか、、、。「劣等感」「嫉妬」という気持ちも入ってしまっていたからです。
ただ、自分の弱さを認めきれず、外部と比較してしまい勝手に被害妄想的に自分で囚われてただけなのかもしれない。と。

結局、他社と比較するとどこかは必ず劣等感を感じるものだし、その劣等感や嫉妬からくる行動の先に待ってるのは、劣等感と嫉妬のループなんです。
僕の場合。

そんなメッセージを象徴しているのが、
僕が大好きな北野武さんの「アキレスと亀」という作品。

売れない画家の半生と彼に連れ添う妻の献身的な愛を描いた現代の芸術残酷物語。
自らの資質に向き合いながら悶々と苦しむ男を描いた映画。

この話は確かに、憧れに対して目標達成をしていくのだが、
何かその目標に到達したときには違和感を感じ、幸福感を感じず、
また新しい憧れに引き寄せられるように挑戦し続ける、
一向にはたからみると幸せそうには感じない、虚無感を感じる映画です。

まさにこれだなと思って。嫉妬や劣等感の克服って。
自分の外の対象物と比較した上で発せられる劣等感や嫉妬からくるモチベーションのベクトルは常に自分には向いてないんです。

「本当に自分がしたいことはなんだろうか」

他者ではなく、この問いと対峙して出てくる感情を大事にした方が
もっとラクに、楽しくなるんじゃないかな〜と思ってるんです。

ってなると、劣等感を解決することはあくまでも手段で、
目的としてはもっと楽しく、幸せ!になりたいって思うんですよ。

確かに怒りが頑張れる源だったりもしますが、
疲れちゃったりするんですよね。持続性がないというか。
だから、これからは上手に、なめらかに楽しさや喜び、優しさとして昇華させていきたいなと思ってるんです。

世界は、もっと楽しくなる。幸せになる。
自分の心の違和感に素直になろう。

他者の背中を追いかけるのは辞めよう。

自分の人生をありのままに、あなたらしくマイペースに楽しくいこう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?