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幸福な記憶は地下鉄の出口にだって宿る

午後から銀座に行く。

ふだん銀座に行くときは、行先にもよるが有楽町か日比谷で地下鉄を降りて歩くことが多い。

有楽町か日比谷の駅で下車した場合、どこから地上に出るかは特に決めていない。数えたわけではないが、すくなくとも3、40はありそうな出口のどれを利用するかはそれこそ行先による。

しかしきょうは、行き帰りとも「B1」と番号の振られた出口を使おうと銀座に向かう電車のなかで決めていた。ちょっとした“縛り”をもうけてみたのだ。

じつは子どもの時分から、親に連れられてよく銀座へは足をはこんでいた。

そのころはいつも日比谷駅で下車していたのだが、きまって「B1」出口を利用していたのを不意に思い出したのだ。

改札にいちばん近かったから。たぶんその程度の理由ではあったと思う。

だが、おかげで少年時代の僕にとって、この「B1」出口こそがきらびやかな銀座という街への「門扉」として絶対的な存在になったのだ。

きょうはとにかく「B1」出口から銀座に行き、そして「B1」出口から銀座を去る。そうすることで、なにか特別な感興が湧きおこるかどうか試したいと思った。

あらためて意識して眺めると、日比谷駅のこの「B1」出口は銀座へのアプローチとしてなかなか秀逸であることに気づく。

この出口は、戦前につくられた重厚な古典様式の「第一生命館」の傍らの舗道につながっているのだが、ずいぶん前にファサードのみ残して建て替えられたとはいえ当時の雰囲気はかろうじていまも感じることができる。

地上に出た瞬間の第一印象、その非日常感は、いかにも銀座に来たという気分を盛り立ててくれる。とはいえ、厳密にはまだそこは日比谷なのだけれど。

その「B1」出口を出てすぐ道を反対側に渡ると、そこにあるのはニッポン放送だ。

いまは建て替えられてきれいになったがかつてはずいぶんと古めかしい建物で、毎晩聴いているラジオ番組がこんな小さくて古びたビルから放送されているというのが子ども時代の僕にはにわかには信じられないことのように思えた。

また、ニッポン放送が入居するビルの隣か、あるいはすこし先に「アメリカンファーマシー」という名のドラッグストアがあったのも忘れられない。

小さなお店ではあったけれど、毒々しい色をして派手な香りをはなつ石鹸や自宅の近所では見たことのない輸入物のお菓子、シールや文具類、それに新聞やアメコミが無雑作に放り込まれたスタンドラックなど、どこか異国に迷いこんだようでワクワクとしたものだった。

銀座と言いつつ気づけば日比谷界隈のことしか書いていないが、子どもの頃の僕はこの魅力的なアプローチの先につづく「銀座」という街に心惹かれていたのだと今回あらためて知ることができた。

地下鉄の出口が鉤針となって、水底でひっそり眠っていた記憶の断片を釣り上げたのだ。

幸福な記憶は地下鉄の出口にだって宿る。

場所と人とは、きっとこんなふうに幸福な記憶がつくった小さな蝶番でつなぎとめられている。そしてこの蝶番は、その場所が自分の居場所であると僕に実感させてくれるものだ。

だから、こうした蝶番をひとつ、もうひとつと地上のあらゆる場所に留めて歩くことを僕は夢想する。

そうすれば、僕はここで孤独を感じることは金輪際なくなるだろうから。

日比谷駅のB1出口

#きょう銀座で買ったもの

日比谷シャンテの「しまね館」にて森田醤油の丸大豆しょうゆ(こいくち)

島根県好きのわが家の定番

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