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打ち震えるようなレトリックを

「レトリック」という言葉は、普通に生活していてるとほとんど聞くことがない単語だと思う。
レトリックとは、修辞法、つまり、言葉で表現されることに関する技巧全般を指す言葉で、言葉をより簡明に、そして美しく飾るための技術である。
代表的なものに「韻文(ラップや和歌に多用されるような、似た音を連続して用いることで軽快さや美しさを表現する方法)」、「比喩(表現したいものを別の何かに例えて表現することで理解の容易化や解釈の余地を生む方法)」などがあるが、他にもいろいろな種類があり、我々の日々の表現活動に深く根付いている。

先日「好きな本」について語る記事を書いた際には失念していたが、『日本語のレトリック』という本も、私の現在の性格、そして文章の書き方に多大な影響を与えている本である。
この本は子供向けの入門書とも呼べる作品で(岩波ジュニア新書というところが出している)、「言葉をより簡明に、そして美しく飾るための技術」を専門としている本ということもあり、その内容もまた簡明で、解説書であるにもかかわらず美しい文章で書かれている。
「言葉」全般に対する興味関心と理解が深まることは間違いなく、文字を読んだり歌を聴いたりするのが好きな人が読むと、以降の鑑賞がより深いものになること請け合いである。オススメだ。

今日は、私が普段聞いている音楽の中で、優れたレトリックが用いられているもの、すなわち「良い歌詞の曲」及び「良い歌詞」を三つほど紹介したい。

一つめは、アニメ『ゾンビランドサガ』より、主題歌『徒花ネクロマンシー』だ。
ゾンビランドサガは、ある野望によってゾンビとなり蘇った少女たちが、それぞれ葛藤を抱えながら「アイドル」として返り咲いていく様子を描いたアニメである。
アイドル、ゾンビ、生と死、理想と現実、そういったキーワードを随所に発見できる本作は、その主題歌『徒花ネクロマンシー』においても、それらのキーワードを巧みに用いて曲を展開している。
曲調の激しさもさることながら、「死」にまつわるレトリックが印象的で(そもそも題からしてそうしたレトリックが用いられている)、難解で聞き取りづらい個所もあるにはあるが、そのインパクトでもって一発でフレーズを頭に焼き付けてくる名曲である。
聞けば聞くほど、読めば読むほど理解の深まる良い歌詞をしているので、ぜひ何度も繰り返し聞いてみてほしい。

さて、二つめはNHKの「みんなのうた」より、宇多田ヒカルの『ぼくはくま』である。
一つめと比べてかなり違う雰囲気の曲だ。たぶん私と同世代の人々のほとんどが知っているであろう、「くるまじゃないよ」のあのくまである。
この曲では全体を通して反復法という文字通りのレトリックが用いられているが、それ以上に印象的なのは「歩けないけど踊れるよ 喋れないけど歌えるよ」の部分だろう。
この曲を聴いた当時の私も、この歌詞には大いに衝撃を受けたことだろう。
そんなはずはない、歩けなければ踊れない、喋れなければ歌えない、生命を持たないぬいぐるみのくまである。
その物理的不可能を解釈が埋める。このくまは「みんな」にとっては、歌って踊れる愛らしく愉快なくまとして、確かに歌い、確かに踊る。
無音と不動を歌と踊りに変えて見せる、見事なレトリックだと言えるだろう。
大人になった今この曲を聞くと、懐かしさとともに、「そうだ、それでいいんだ」という素朴な安心を、夢想を感じ取ることができるだろう。

三つめは『アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ』の二周年記念楽曲、『Flyers!!!』である。
「全てのアイドルとそのファンに向けて」とでも言おうか、アイドルという存在とそのファンへの賛歌が、この『Flyers!!!』という楽曲のテーマで、当然曲の各所にはアイドルに関する言葉を用いた比喩や反復法などのレトリックが効果的に用いられている。
しかし、レトリックという点について私が度肝を抜かれたのは、この曲の「さなぎが蝶になるように 私は私になる」という部分である。
用いられているのはごく簡単な直喩と対句法(構成の似た二つの文を並べることで際立たせる手法)に過ぎないが、私はこの歌詞に打ち震えるような感動を覚えたのである。
「さなぎが蝶になるように 私は私になる」、これほど鋭く、そして優れたレトリックがあろうかというほどに感心した。
私はこの作品、通称をミリシタというのだが、このミリシタのファンという訳ではない。アイドルマスターシリーズに関しても、シャニマスを多少齧ってはいるが、日々のルーチンや「物語を消費することへの疲労(いわゆる「疲れたオタク」なのだ)」といった要因から、ほとんど門外漢といってもいい。ミリシタと『Flyers!!!』の一連の流れの渦中におらず、当時の熱狂を知らずに過ごしてきたことは本当に惜しい。
それでもこの曲は名曲であり、この句は名句である。この曲を反芻して、この句を解釈し飲み込んだ時の戦慄が、それを保証する。


と、今回の記事はレトリックと「好きな歌詞」についてのものであった。
最初に紹介した『日本語のレトリック』は本当に名著で、読み返そうと部屋中をひっくり返して探したのだが、ついに見つかることはなかった。引っ越しや古本の処分(半年ほど前に余りにも生活に困窮し、金を捻りだそうとゲームや本の類をかなりの量売却してしまったのだ)の際に失われたか、あるいは私が探していない隅の隅(以前私が「墓場」と読んだ場所)に葬られてしまったか、どちらにせよ今は読むことはできない。
来月あたりにでも買い戻そうかと思う。表現を消費することで生き長らえているものにとって、その表現の巧みさをより深く、より詳しく知ることは、これ以上ない喜びである。

今日挙げた三曲の他にも私が感銘を受けた作品はたくさんあるし、私が未だ知らない、私を打ちのめすような感動を与えてくれるような表現が存在していることも疑いようがない。そしてそういった素晴らしい表現はこれからも、明日にでもまた生まれようというのである。
それならば、備えなければならない。

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